00232_知ってるだけでは足りない_「できる人がやってくれる会社」が危ない_仕組みの不在が生むリスク

「よく気がつく人が、やってくれたらいい」
「できる人に任せれば大丈夫」
「○○のことなら、あの人が知っているから、安心だ」

職場で、こんな言葉を聞いたことはありませんか。

たしかに、臨機応変な対応ができる社員がいると、その場はうまく回ります。

一見すると、
「協力し合う風土」
のようにも見えます。

けれども、それは本当に
「良い会社」
と言えるのでしょうか。

経営者として、また、日々いろいろな会社の相談を受けている弁護士として、これまで多くの現場を見てきました。

その中で、何度も感じたことがあります。

それは、
「その場しのぎ」
でまわっている組織には、ある“共通点”がある、ということです。

一見、うまくいっているように見える。

でも実際には、がんばっている人が無理をして、どうにかギリギリ持ちこたえているだけ。

そんな組織が、驚くほど多いのです。

要するに、
「がんばる人が穴を埋める」
ことが前提になってしまっているのです。

それは、設計段階から仕組みがないまま走り出している、ということなのです。

がんばりが前提になってしまう組織の“欠陥”

たとえば――
毎月の報告資料、誰が作成するか決まっていない。
その時どきで、「手が空いている人」「わかる人」がやっている。
期限もあいまいで、「なんとなく月末までには」くらいの共通認識。
その結果、誰かの残業や土壇場の踏ん張りで、かろうじて回っている。

こういう状態が長く続くと、どうなるか。

ある日、
「がんばっていた人」
が疲れ果ててしまいます。

誰にも頼れず、負担を抱えたまま、静かに職場を去っていくのです。

そして残された人たちは、こう言います。

「あの人がやってくれてたから、成り立ってたんだな」

しかし、それでは遅いのです。

それは“仕組みの不在”に誰も気づかないまま、ただ誰かに寄りかかっていた結果です。

属人的な努力は、持続しない

人の努力には限界があります。

経験や勘、慣れに頼ってまわる業務は、一見スムーズに見えても、
「再現性」
がありません。

その人がいなくなった途端、止まってしまうのです。

これは、企業にとって極めて大きなリスクです。

なぜなら、
「人に依存する仕組み」
は、
「仕組み」
とは言えないからです。

たとえば、マニュアルがなく、口頭でしか引継がれていない業務。

あるいは、資料の作り方がブラックボックス化しているプロジェクト。

こうした
「属人化の温床」
は、日常のなかにひそんでいます。

そして、現場で最も起きがちな勘違いがこれです。

「今、まわっているから、大丈夫だ」

実際には、まわってなどいないのです。

“人が無理してまわしている”だけです。

“属人化”の 落とし穴――入社式をめぐる混乱

ある企業の人事部では、毎年4月に行う
「入社式」
の準備を、ベテラン社員のCさんが10年近く担当してきました。

式次第の作成、座席表、記念品の手配、来賓案内、役員コメントの調整等、細かな手配や関係部署との連絡も含めて、Cさんが
「過去の勘」

「社内調整力」
で動かしていたのです。

社内には正式なマニュアルや引継ぎ資料はなく、他のメンバーは
「今年もCさんがリーダーをやってくれるだろう」
「Cさんに聞けばなんとかなる」
「数時間の式だから大丈夫だろう」
くらいに受け取っていたようです。

ところが年末に、Cさんが家庭の事情で急きょ休職することになりました。

年明けて、誰も引継ぎを受けていなかったことが判明しました。

「過去はどうやってたのか」
「誰が何を担当するのか」
「どこに連絡を入れればいいのか」
記録も引継メモもないため、準備は一向に進みません。

新担当者はCさんに連絡をとってはみたものの、現場を離れたCさんから的確な回答はかえってきません。

式直前には、来賓の座席がダブルブッキングしていたり、祝辞の原稿が一部未手配だったりと、ミスが重なり、社内外から苦情が続出しました。

一過性のことだからと、たかをくくっていたのしょうか。
誰でもできると、皆が思い込んでいたのでしょうか。
他のメンバーがサボっていたのでしょうか。
Cさんが記録や引継を怠けていたのでしょうか。

むしろ、Cさんは長年、組織を支えてきた功労者でした。

式典が終われば、すぐに平常の仕事に戻らなければならず、組織は、単に、
「Cさんのがんばり」
に乗っかっていただけだったのです。

要するに、その努力が
「ミエル化」
「カタチ化」
されないまま放置されていたということです。

それこそが、構造的な問題だったのです。

こうして、大混乱の現実のあとに、
「属人化の危うさ」
が、ようやく社内で可視化されました。


「仕組みで回す」とは、どういうことか

どうすれば
「がんばらなくてもまわる」
状態をつくれるのでしょうか。

答えはシンプルです。

仕組みとは、
「誰が」
「いつ」
「何を」
「どのように」
やるか、を明文化したもの。

言い換えれば、
「行動の前提」
を、あらかじめカタチにしておくことです。

たとえば、
・資料作成はAさん、月末3営業日前までに完了
・テンプレートは共有フォルダの「資料ひな形」内に保存
・確認は部長が行い、修正はBさんが対応

このように、関係者の役割と流れを
「固定」
しておくのです。

もちろん、細部の調整や例外対応は出てきます。

しかし、ゼロから考えるより、最初の土台があれば対応は格段に速くなります。

仕組みとは、
「人の判断」
を減らすことです。

人が迷わなくなるだけで、業務は加速します。

がんばる人が報われる組織にするために

たとえば、リーダーが
「自分の背中を見て育て」
方式を続けている会社。

あるいは、
「できる人」
に業務が集中しすぎている部署。

こうした職場は、いずれ崩れます。

努力している人ほど、疲れて去っていく。

がんばっている人ほど、評価されにくい。

そんな組織は、間違いな
「仕組みのミス」
です。

人は、仕組みで守られなければ持続できません。

がんばりが組織に貢献するには、
「ミエル」
ように設計しなければならないのです。

だからこそ、必要なのです。
「属人化している仕事」
を洗い出し、
「手順」

「役割」
に落とし込んでいく作業。

この作業は、とても地味です。

しかし、これこそが、組織を持続させ、誰かのがんばりを
「価値」
として残す道です。

がんばりを“構造に変える”という発想

結局のところ、
「知っている」
だけでは、会社は変わりません。
「がんばっている」
だけでも、限界があります。

だからこそ、
・知識も努力も、仕組みに落とす。
・属人化を防ぎ、業務をミエル化する。
・仕組みをつくり、役割を明確にする。
こうしてはじめて、個人のがんばりが“組織の力”へと転換されるのです。

あなたの会社で今、
「誰かのがんばり」
によってかろうじて保たれている業務はありませんか。
その努力を、仕組みに変える時が来ています。

著:畑中鐵丸

00231_知ってるだけでは足りない_キャリアを動かす“使える知識”とは

「この話、聞いたことある」
と、よく言う人がいます。

それ自体は、悪くありません。

勉強熱心で、勘もいいですし、人の話にもよく耳を傾けています。

しかし、問題はその先です。

その
「聞いたことのある話」
を、
「自分の言葉で説明できますか?」
「具体的な場面で使えますか?」
ということです。

要するに、知っているだけでは、足りないのです。

知識は、
「使える」
ようになって初めて、自分の武器になるのです。

「知ってるのに動けない」―その壁の正体

たとえば、料理のレシピを思い浮かべてください。

見ただけで
「知った気」
には、なるでしょう。

しかし、いざ自分で作ってみると、分量も手順も、どこかおぼつかない・・・。

そんな経験はありませんか。

ビジネスの現場でも同じです。

情報は、手に入ります。

ノウハウも、ネットや書籍にあふれています。

ところが、それを実際に
「使う」
となると、話は違ってきます。

「こんなはずじゃなかった」
「どうもうまくいかない」
「聞いてた話と違う」

それは、
「知識」
から
「実践」
への転換ができていない状態です。

「知ってはいる」
けれど、
「行動にはつながらない」
ということです。

もっと言えば、行動以前の問題――
「言葉にできていない」
ということなのです。

考えがまとまっていないから、人にもうまく説明できない。

そういう
「ふわっとした知識」
は、ビジネスでは何の武器にもなりません。

むしろ、ビジネスの世界で生き残れません。

話せる人は、考えている。考えている人は、動ける。

キャリアの現場で差がつくのは、ここです。

よくできる人ほど、知っていることを
「自分の言葉で語る」
ことができます。

要するに、言語化ができているのです。

言語化されていれば、相手に伝えることができます。

伝えられれば、チームで共有できます。

共有できれば、他の人の行動につながります。

一人の知識が、他人の行動を生み出すのです。

この連鎖を起こすには、知識を
「ミエル化・カタチ化」
していく必要があります。

逆に言えば、
「なんとなくわかってるんだけど」
「あれなんだっけな」
という
「あいまいな知識」
では、誰の背中も押せません。

だからこそ、必要なのです。

自分の考えを、筋道立てて話す訓練。
知識を、紙に書いてみる作業。
フォーマルな文書に落とし込む試み。

これら地味な繰り返しこそが、ビジネス・キャリアを支える土台になります。

なぜ「言語化・文書化」がキャリアの鍵になるのか?

「自分で説明できる状態」
になるには、ただ
「繰り返し聞く」
だけでは足りません。

誰かに話してみる。
図に描いてみる。
文章にまとめてみる。

そうした
「手を動かすプロセス」
を何度も繰り返して、ようやく
「知識」

「使える道具」
になっていくのです。

ビジネスの現場では、言葉になっていない情報や、メモに残っていないノウハウは、ほとんど役に立ちません。

なぜなら、それは他者に
「渡せない」
からです。

いくら頭の中にあっても、口から出なければ意味がありません。

いくら感覚で理解していても、文章にできなければ再現できません。

要するに、言語化できる人だけが、チームを動かすことができるのです。

キャリアとは、「使える知識」を増やすこと

ここまでは、「言語化・文書化」がなぜ“動ける人”につながるのかを見てきました。

ここで話は、もう一段深くなります。

本当に違いが出るのは、その先のキャリアの話です。

「言葉にできるかどうか」
は、単なるスキルの話ではなく、あなたの職業人生を左右する話なのです。

ひと昔前のように、
「知識の量」
で勝負できる時代ではありません。

今は、ググれば何でも出てくる時代です。

だからこそ、
「知っていること」
そのものには、もはや価値はありません。

問われるのは、
「どう使うか」
「どこで生かすか」
そして、
「誰かに伝えられるか」
です。

キャリアとは、
「知っていること」

「使えること」
に変えるプロセスの連続です。

その一歩目が、言語化・文書化なのです。

たとえば、
・会議での気づきを、すぐにメモにする
・日報で、今日の学びを言語化する
・議事録として、次に使えるようにまとめておく

こうした
「地味な積み重ね」
の先に、知識が
「自分のもの」
になっていきます。

ビジネスの現場においては、
学んだ知識を「話せるカタチ」に。
理解したことを「書けるカタチ」に。

「ミエル化・カタチ化」
を意識するだけで、知識が
「武器」
へと変わっていくのです。

「知ってる」から「動ける」へ――キャリアはここから始まる

ただの知識から、使える知恵へ。
ただの記憶から、動ける力へ。

キャリアは、
「知っていることを、言葉にする」
その瞬間から動き出します。

「知ってるだけでは足りない」
――今、あなたのキャリアに
「使える知識」
はいくつありますか?

著:畑中鐵丸

00230_プロデューサーがいない企画はなぜ失敗するのか?_“1秒で帰る時代”に勝つための、分業と専門性の話

たとえば、ラーメン屋を開業しようとする人がいたとしましょう。

自分でスープを仕込み、麺も打ち、看板も描き、チラシを印刷し、SNSで宣伝しながら、調理から接客、レジ打ちまで、すべて一人でやると言い出したら・・・。

それはもう、やる前から無理があるとわかります。

実際には、厨房には麺場とスープ係がいて、ホールにはスタッフがいて、店の設計や立地選びは別の専門家が支えています。

それでも飲食店の9割は潰れる。

なのに、一人で全部やるというのは、もはや
「潰れに行っている」
とすら言えるかもしれません。

ウェブコンテンツも、まったく同じです。

いや、ネットの世界では
「1秒で帰る」
人々が相手ですから、ラーメン屋よりシビアかもしれません。

おいしいかどうか以前に、
「見た目が微妙」
「タイトルがイマイチ」
「文字が読みにくい」
このような理由だけで、何も読まれずに終わるのです。

そこで必要なのが、分業と専門性です。

実際のウェブプロジェクトでは、次のような役割分担が求められます。

・ニーズを拾い上げる「取材者」
・プロとしての見解を語る「専門家」
・ユーザー目線の文章を書く「ライター」
・読みやすく魅せる「ウェブデザイナー」
・人を集める「プロモーション担当」
・全体を見渡す「プロデューサー」

それぞれが異なるスキルを持ち、異なる視点で動きます。

どれか1つでも欠けると、全体が崩れるのです。

しかも、予算は
「ウェブデザインだけ」
では済みません。

むしろ、最も費用がかかるのは、
「おもしろさ」
「役立つ中身」
をつくる部分です。

要するに、原案・構成・シナリオ・編集といった
「見えないけれど本質的な仕事」
です。

この構造、どこかで見たことありませんか?

そう、漫画ビジネスです。

今や商業マンガは、
・取材者
・原案担当
・シナリオライター
・レイアウト構成者
・イラスト担当
・製本・流通・広告・販促
・編集とプロデューサー
が、それぞれ分業しながら、1冊のマンガを形にしていきます。

「一人で全部やる」
のは、プロの世界ではあり得ません。

それは同人誌の世界です。

もちろん否定するつもりはありません。

しかし、
「同人誌レベル」
のものを
「商業レベル」
の市場で出したところで、即座に淘汰されるのが今のインターネット社会です。

同人誌は30人が集まって、30人が帰っていく世界。

ネットは30人すら立ち止まらず、1秒でスクロールアウトします。

趣味ではなく、事業としてやるのなら・・・
人を集め、人を動かし、人を魅了するには、分業体制とプロの力が不可欠なのです。

著:畑中鐵丸

00229_語らないという判断_沈黙という応答のかたち

沈黙は「外」に向かうものなのか

情報統制の話になると、どうしても矛先は
「社外」
になります。

たとえば、顧客、取引先、メディア、あるいは株主。

社外への発信をどうコントロールするか。

この話題であれば、社内でも比較的議論がしやすいものです。

ところが、語らないという選択が真に意味を持つのは、じつは
「社外」
ではなく
「社内」
の場面です。

実際には、沈黙が向けられているのは、自分たちの内側、仲間である
「チーム」
に対してです。

本来、情報というのは共有されて初めて活きるものです。

しかし、ある種の情報は、語らないことでしか守れません。

言い換えると、語らないことでこそ、守らなければならないこともあるのです。

誰にも言わない。

その沈黙は、外部へのガードではなく、内部への矜持といえることもあるのです。

では、沈黙は、誰を守っているのでしょうか。

語らないことで守っているのは、誰なのか

ある経営者が、社内不祥事に直面したときのことです。

彼は、即時の全社展開を避け、極めて限られたチームでの対応を選びました。
一部の社員からは、
「なぜ共有しないのか」
「なぜ黙っているのか」
と批判もあがりました。

しかし、その経営者はこう語りました。

「いま全社に情報を流すことは、社員の未来を奪いかねない。私は、社員一人ひとりに対して責任を負っている」

この判断が正しいかどうかは、ここでは問わないことにします。

語らなかったことで守られたのは、情報そのものではありません。

そこに関わった人の
「判断」

「信用」

「これから」
だったのです。

語らないという判断は、何かを守っているのです。

その
「何か」
は、数字や名誉や企業ブランドであることもあるでしょう。

誰かの心情、誰かの成長機会、あるいは誰かの名もなき努力かもしれません。

語らないという選択には、守るべき
「誰か」
の存在があります。

その存在が、語らない判断を支えているのです。

「説明責任」と「信頼構築」は両立するのか

説明責任という言葉が、近年ますます強く求められるようになってきました。

企業は、迅速に、誠実に、透明性をもって語ることを期待されます。

語ること。

すなわち、開示すること、説明すること、そして責任をもつこと。

それ自体は、大事な原則のひとつであり、否定されるべきものではありません。

他方で、すべてを語ることが信頼構築の唯一の道であるとも限りません。

むしろ、語らないことでこそ示される信頼もあるでしょうし、語らずにいたからこそ残った選択肢もあり得るのです。

たとえば、ある企業で経営方針の転換が決まったときのこと。

社内からは、
「もっと早く説明してくれていれば」
「理由だけでも共有してほしかった」
といった声があがりました。

しかし実際には、外部との交渉がまだ継続中であり、時期尚早に語ることは、かえって混乱を招くリスクがあったのです。

説明を遅らせたことが、社内で一部社員の不信を生んだ面は否めません。

それでも、決して語らなかったわけではなく、
「語るべき時が来るまで語らなかった」
判断だったのです。

語ることで信頼されることもあれば、語らぬことで信頼されることもある。

このふたつを対立させるのではなく、

むしろ併置しながら、場面ごとに問い直していく。

こうした構えの積み重ねによって、説明責任の土台が築かれ、そのふるまいが、信頼へと自然につながっていくこともあるのです。

語らぬことが倫理になる瞬間

沈黙は、逃避ではありません。

むしろ、誰かのために
「語らないでいること」
を貫き通すことです。

それは、簡単ではないけれど、明らかに
「倫理的な判断」
です。

倫理とは、正しさを一律に押しつけることではありません。

むしろ、状況や背景、関係性に応じて
「語るべきでない」
と感じたときに、その感覚に自信と責任をもって沈黙することです。

たとえば、経営者が語らなかったことで、従業員が安心できた。

あるいは、リーダーが黙っていたことで、チームが守られた。

そんな瞬間にこそ、
「語らないこと」
が倫理になるのです。

語らぬことが、倫理たりえるのは、そこに
「他者」
が存在するからです。

語らなかった相手。

語らなかった理由。

語らなかった先にある未来。

倫理とは、相手を想う構えです。

沈黙が倫理になるのは、そこに
「誰か」
がいるからなのです。

最後まで語らなかった人”が示す組織の成熟度

最終的に、語らないという選択を貫けるかどうか。

それは、その組織がどこまで成熟しているかのバロメーターでもあります。

人から聞いた話ですが、その会社の管理職が退職時に次のように言ったそうです。

「入社して40年。
私の一番の判断は、『話さない』と決めたことを、最後まで話さなかったことです」

その言葉がとても印象的だったと、話してくれました。

周りにいた全員が、神妙に聞いていたそうです。

誰も内容は知りません

話さなかったという事実の裏にある誠実さを、皆が感じ取っていたのです。

沈黙の意味を、受け取る感性。

語らないことを、信頼として受けとめる態度。

それらが、日々のふるまいの中で育っていく組織には、沈黙の技術だけでなく、沈黙の倫理が根づいています。

語るのが上手い人間が評価される時代です。

しかし、語らなかった人の“重み”を感じ取れる組織は、まちがいなく強い。

そして最後に残るのは、語らないという選択を貫いた事実であり、語らずにいたという姿勢そのものです。

守りぬいた沈黙こそが、成熟の証なのかもしれません。

語らないという判断の、行方

ここまで、
「語らないこと」
をめぐって、さまざまな視点に触れてきました。

・語らないという判断の背景
・沈黙という技術
・語らぬことが信頼となる文化

この視点の先に、浮かび上がってくる問いがあります。

語らないという判断は、誰を守っているのか。

何を守っているのか。

その判断に、どれほどの倫理が宿っているのか。

たとえば――聞かれても語らない構え。

語らせようとする空気を、静かにかわす技術。

あえて説明しないことで信頼を示すふるまい。

語らない理由を、伝えずとも伝える工夫。

沈黙を、判断として貫き通す姿勢。

沈黙には、多様な技法があります。

最後に残るのは、語らないという選択の
「意味」
です。

沈黙の矛先は、社外ではなく、社内に向かうこともある。

それは、自らの仲間、自らの未来を守るための、もうひとつの
「応答」
なのです。

語らないとは、語ることと同じくらい、勇気のいる選択です。

そしてそれは、組織の品格を支える、目に見えない土台でもあるのです。

著:畑中鐵丸

00228_「語らない」という選択を、チームの美学にする_沈黙を文化に変える技術

ある企業の管理職研修で、こんな問いを投げかけたことがあります。

「あなたが沈黙を選んだとき、その沈黙は、チームの誰に伝わっていますか?」

残念ながら、誰にも伝わっていませんでした。

上司として、あるいはプロジェクト責任者として
「これは言わないほうがいい」
と判断した沈黙。

それは自分の中では
「当然」
の判断であったかもしれません。

しかし、他のメンバーはその
「語らなかった理由」
を知らされておらず、そもそもそれが
「沈黙という選択肢」
であるという認識さえ持っていなかったのです。

沈黙というのは、個人の判断だけで守りきれるものではありません。
チーム全体として、
「語らないこと」
の意味や価値を共有していなければ、その沈黙は、むしろ誤解や不信の火種となってしまうのです。

沈黙は「ルール」ではなく「文化」

たとえば、守秘義務や情報管理に関するルールが整っている職場であっても、会議の場ではうっかり本音が出てしまったり、
「これは言っても大丈夫だろう」
と、誰かが軽率に口を滑らせたりすることが後を絶ちません。

なぜ、このようなことが起きるのでしょうか。

ルールはあっても、
「沈黙の文化」
が育っていないからです。

沈黙というのは、条文で明文化できるようなものではありません。

口にしてよい情報、口にすべきでない情報。

その
「間」
にあるのが、
「言わないことの美学」
なのです。

つまり、沈黙とは
「ルール」ではなく「文化」であり、
「守らせるもの」ではなく「自ら守りたくなるもの」
なのです。

この違いは、実はとても大きいです。

語らなかった理由が語らずとも伝わるような組織は、どうやってつくられるのか

結論から言えば、それは
「仕組み」としての“文化”化と、
「ふるまい」としての“美学”化。

この2つの軸で育てていく必要があります。

あるプロジェクトで、上司がある社外情報について一切触れず、黙ったまま方針を変更したというケースがありました。

部下たちは困惑し、現場では
「あの件はどうなったのか」
「なぜ突然変わったのか」
とざわつき始めました。

これは、語らなかったこと自体が問題だったのではありません。

「なぜ語らなかったのか」
が共有されていなかったことが、問題だったのです。

沈黙という判断を、どう
「伝える」
かという矛盾。

そこにこそ、
「語らない美学」
が文化になる余地があるのだと思います。

たとえば次のような言い回しが考えられます。

「いまは話せませんが、しかるべきタイミングでお伝えします」
「ここで語らないという判断は、チームとしての選択です」
「これは、まだ語る段階に達していません」

こうした言葉の背後には、
「沈黙という判断は、信頼にもとづいている」
というメッセージがあります。

その態度を繰り返すことで、やがて
「語らずとも伝わる」
沈黙が育っていくのです。

語らぬこと”は、チームの品格をかたちづくる

沈黙とは、弱さや逃避ではありません。

むしろ、それは強さであり、矜持であり、連帯の証しでもあります。

この話をある読者の方にしたところ、こんな反応をいただきました。

「黙っていると、仕事をしていないように見えるんです」

たしかに、そのように受け取られることもあるでしょう。

しかし、
「黙っている意味」
をチームが理解していない組織であれば、沈黙の中に込められた判断や責任は、誰からも評価されず、埋もれてしまいます。

だからこそ、沈黙の価値は、組織全体で共有しなければなりません。

あの手、この手、奥の手。

沈黙の価値を
「ミエル化」
「カタチ化」
していく工夫が、今まさに求められているのです。

たとえば、議事録に
「語らなかったこと」
を明示する欄を設けてみる。

たとえば、社内メルマガに
「いま語れないこと」
のコーナーをつくってみる。

あるいは、沈黙を貫いたことに対して、静かに称える習慣を根づかせてみる。

「語らなかったことに、意味がある」

そう思える組織には、情報を守る強さと同時に、主権ある判断を静かに貫く“芯”が内側から育っていくのです。

語らないという選択を、“私たち”の選択にするために

語らないというのは、たしかに個人の美学です。

けれども、組織の中においては、それは
「構え」であり、
「姿勢」であり、
ときに
「文化」や「連帯」そのもの
へとつながっていきます。

情報社会のなかで、すぐに語ること、すぐに反応すること、すぐに説明責任を果たすことが、正義のように扱われがちです。

だからこそ、
「あえて語らない」
という判断には、チームとしての確信と、覚悟が求められるのだと思います。

語らなさを恐れず、沈黙に意味を持たせる文化。

それは、ただのルールではありません。

それは、静かにチームを貫く、美意識そのものなのです。

著:畑中鐵丸

00227_情報を引き出す“仕掛け”と、語らない“技術”

「ねぇ、あれってどうなってるの?」
「この話、もう決まってるの?」
「誰が関わってるの?」

こうした“何気ない確認”を装った問いかけに、あなたはどこまで答えますか。

たとえ、相手が上司であれ、同僚であれ、あるいは外部の関係者であれ――
「何をどこまで話すか」
は、情報を扱ううえで、避けて通れない判断の連続です。

一見、ただの会話。

しかしその裏にあるのは、
「情報を取りにくる人たち」
の存在です。

確認のカタチをした“仕掛け”

すべての確認が悪いわけではありません。

問題なのは、それが
「何のための確認か」
が曖昧なまま、無防備に語ってしまう構造です。

たとえば、
・進捗を装って、核心に迫ってくる
・雑談の流れで、こっそり裏情報を引き出そうとする
・あいまいな表現で、先に“言質”をとろうとする

こうした問いかけの本質は、“確認”ではなく“回収”です。

情報を取りにきているのです。

語らせようとする“あの手、この手”は、日々、更新され続けています。

情報を取りにくる人のタイプとは

情報を欲しがる人には、いくつかのタイプがあります。

(1)探偵型:
 意図を明かさず、質問を重ねて真相に近づこうとするタイプ。

(2)善意型:
 「助けになりたいから」と言いながら、結果的に情報を引き出してしまうタイプ。

(3)世話焼き型:
 相手の状況を“先回りして理解しよう”とする中で、無自覚に踏み込んでくるタイプ。

(4)無意識型:
 自分がどれだけの情報を引き出しているか、まったく気づいていないタイプ。

どのタイプにせよ、共通しているのは、
「自分が情報を集めている」
という自覚のなさ。

そして、語ってしまう側が
「悪意がなさそうだから」
と油断してしまう構造です。

「かわす力」は、拒絶よりも高度な技術

大切なのは、相手を敵とみなすことではありません。

情報を渡さないために、むしろ“自然に話を終わらせる”技術が求められるのです。

たとえば――
・「まだ確定していないので」と言い切る
・「今の段階では共有されていない情報です」と線を引く
・「その件は、担当が別にいます」と話題をそらす

いずれも、相手を否定せず、情報のやりとり自体を“保留する技術”です。

そして、もうひとつの高度な方法が、
「あえて“確定していないことにしておく”」
というテクニックです。

「まだ白紙です」
「案が複数あって」
「方向性を検討中です」
情報を“確定しない”という曖昧さで包むことで、相手の興味をかわす。

これは、
「嘘をつく」
のではなく、
「情報を確定させない」
という高度なバランスの技です。

「答えない文化」をチームで共有する

語らないことを個人に任せてしまうと、どうしても
「つい話してしまった」
が起こります。

だからこそ、チームとして
「答えない方針」
を共有しておくことが重要です。

・聞かれても「ノーコメント」と返す
・情報の扱い方にチーム内ルールを定める
・むしろ「何も言わないことが誠実である」という文化をつくる

そうすることで、
「誰がどこまで話すか」
をめぐる判断がブレにくくなります。

確認される前に、構えておく

情報を“持っている側”に求められるのは、ただ守るだけではなく、
「聞かれる前提で構えておく」
ことです。

つまり、情報は漏れるものだという現実を前提に、
「語らない態度」
を意識的に設計しておく。

その積み重ねが、あなた自身の信頼を守り、
組織の情報を、じわじわと外に流さない“防壁”となっていくのです。

語らないとは、ただ拒むことではありません。

流れを読んで、かわして、受け流す。

そんな
「技術」
です。

語らないとは、ただ沈黙することでもありません。

守るべきものを見極めて、あえて語らないという
「仕組み」
です。

著:畑中鐵丸

00226_聞かれてもいないのに話してしまう人_語らせようとする空気とその正体

「言わなくていいことを、なぜ言ってしまったのか」

こうした
「ポロリ」
は、社内でも社外でも、あとを絶ちません。
意図的でないにせよ、情報が漏れる瞬間というのは、実にさりげなく、そして深刻です。

たとえば、次のようなケース、身に覚えはありませんか。
・「その話、まだ表に出さないでね」――そう念を押したはずの情報が、別の部署ですでに知られていた。
・「誰にも言ってないのに」――話した相手が、なぜか“知っていて当然”の顔をしていた。
あるいは、
・聞かれてもいないのに、自分から話してしまった。
・明確な口止めがあったわけでもないのに、なぜか口を開いてしまった。
・誰に咎められたわけでもないのに、なぜか“言ってはいけないこと”を語ってしまった。

もしかすると、これらは情報漏洩というより、
「語ってしまいやすい空気」
に巻き込まれた結果なのかもしれません。
語ってしまったというより、
「語らされていた」
のかもしれません。

人は、なぜ語ってしまうのか

語りたくなる理由は、いくつかあります。
ひとつは、「知っていることを話すと、ちょっと優位に立てる」という欲求。
もうひとつは、「場をまわすために何か話さねば」という義務感のような気持ち。
そしてもうひとつ、「つい口をすべらせてしまう」という、無意識の自己防衛反応。

とりわけ厄介なのが、3つ目、
「誰かに頼まれたわけでもないのに、つい話してしまう」というパターンです。
これは
「漏らした」
というより、
「情報をわざわざ届けに行ってしまった」
という構造になります。

その背景には、情報を
「守るもの」
ではなく
「動かすもの」
だと捉えてしまう感覚があります。
つまり、
「情報は誰かに渡してナンボ」
「話せば意味がある」
という思い込み。
「一度出た言葉が、どこへどう波及するか」
その想像力が、決定的に欠けているとも言えるでしょう。

話した人だけが悪いのか?

情報が漏れるとき、責められるのはいつも
「話した側」
です。
けれども、本当に悪いのは、話した人なのでしょうか?
もしかすると、
語らせようと
「仕掛けた誰か」
がいたのかもしれません。

もう少し踏み込むなら、
「語った側」
にすべての非があるとは限りません。
話すように仕向けてくる
「誘導のプロ」
がいることもあります。

つまり、
「仕掛けたのは誰か」
「仕掛けられたのは誰だったのか」
この構図で見ていくと、
実は
「話してしまった人」
が、
「引き出されていた」
だけなのかもしれません。
そうした視点も必要です。

たとえば、何気ない雑談の中に交わされる
「最近どう?」
という一言。
それが実は、情報を
「語らせるためのトリガー」
になっていることもあるのです。

あの手、この手、奥の手、禁じ手――
あらゆる手段を使って、情報を
「引き出す技術」
を持っている人がいます。
話す側が油断したというより、聞く側が
「仕掛けていた」。
そうした構造の中で、
「つい語ってしまった」
という結果が生まれるのです。

語らないための仕組みを持つ

だからこそ大切なのは、個人の感覚に頼らない
「語らない仕組み」
を持つことなのです。

「これは話していい情報なのかどうか」
その線引きが曖昧なままでは、人は場の空気や相手の雰囲気に流されてしまいます。

語らないことを、美学ではなく
「手順」
として持つことです。

・この話題には触れない
・このタイミングでは何も言わない
・この人には話さない

そうした「語らないルール」を、あらかじめ共有しておくのです。

あるいは、守るべき人や場に対しては、必ず
「語る前に一呼吸おく」
という手順を意識しておくことです。

それだけでも、
「語らせる力」
に対する抵抗力は、ぐっと増していきます。

語らない力とは、読み取る力でもある

情報を守るというのは、単に
「話さない技術」
ではありません。

・誰が
・どんな場面で
・なぜその情報を欲しがっているのか

その背景まで読み取れる人が、本当の意味で
「語らない力」
を持っている人なのです。

そして、もう1つ。

語らないというのは、
「相手を信じていないから」
ではありません。
むしろ――
「情報の価値を理解しているから」
語らないのです。

話すことが、必ずしも親切ではない。
語らないことが、もっと深い誠実である。

そうした
「構え」
を持つ人が、組織の中で、本当に信頼される存在になっていくのです。

語らないことで、信頼を守れる。
語らないことで、未来を壊さずに済む。

こうした
「見えない技術」
こそが、
今日のビジネスの現場を、静かに、けれども力強く支えているのです。

著:畑中鐵丸

00225_組織を壊すのは、「話した人」ではなく「聞いた人」_情報を握る責任の話

中立を装う人

こんな人、身の回りにいませんか?

表向きは
「私は中立です」
と言いながら、どこにも属さないふりをして、ただ聞き役に徹する人がいます。

判断も立場も示さず、静かにうなずきながら話を受け止めるその姿には、どこか安心感すら漂っているように見えます。

しかし、どういうわけか、その話が漏れているのです。

しかも、いろいろなところで耳に入ってきます。

そして、あとになって気づくのです。

静かに聞いていたその人が、実は話していたのだと。

あちこちで、少しずつ、しかし確かに。

話を流していたのは、ほかでもない、その聞き役の人だったのです。

聞き役に見える人ほど、よく話す、ということがあります。

むしろ
「中立です」
という仮面をかぶることで、多くの人から情報を引き出しやすくなるのです。

実は、こうした聞き方には、名前がついています。

「共感型ヒアリング」
と呼ばれる技法です。

会議後の雑談が“沈黙”を崩すとき

たとえば、こんな場面を思い浮かべてみてください。

ある会議のあと、あくまで“個人的な確認”というかたちで、
「あのときの発言、どういう意味だったんでしょうね」
「いまの方向性って、まだ変わる可能性ありますかねえ?」
そんなふうに話しかけてくる人がいます。

その場では一切、主張も結論も言わないのに、会議後には各方面をまわり、温度感を探っているのです。

本人に悪気はないのかもしれません。

ただ、こうした振る舞いが結果として、
「会議で話された議題について、外では話さない」
という合意を、じわじわと崩してしまうことがあります。

「今はまだ言わない」
という判断も、
「答えを出さない」
という合意も、チームにとっては、れっきとした戦略です。

それが、雑談や“共感”という名のもとに、静かに形を失っていきます。

情報が漏れるというよりも、語らないという構えそのものが、まわりから少しずつ崩されていきます。

感覚としては、じわじわと消されていくのです。

しかも、それが、かたちとしてはまったく表に出てこないのです。

実は、これがいちばんやっかいです。

「聞かれること」がリスクになる

情報漏洩というと、多くの人は
「話す側の問題」
と思いがちです。

しかし、実際には
「聞く側が備えている技術」
こそが、リスクを高めていることも少なくありません。

・相手が“善意で話した”と思える空気をつくる
・相手に「あなたには言ってもいいかも」と思わせる
・本人に言わせたようで、実は質問の設計で誘導していた

こうした聞き方は、営業スキルの応用でもあり、人間関係を円滑に見せかけた“聞き出しテクニック”でもあります。

だからこそ――
沈黙を守る立場にある者としては、
「話すこと」
だけでなく
「聞かれること」
にも、敏感になっておく必要があるのです。

本当の“中立”とは、何も聞かないこと

「私は中立だから、あちこちの話を聞いておく」
そんなふうに言う人がいます。

その人が、意図しているかどうかはさておき、結果的に“情報のハブ”になっていることがあります。

その人のまわりだけ、情報の粒が妙に細かく揃っていくのです。

それは、本当に中立といえるでしょうか。

本当の中立とは、次のように定義できます。

・自分から問いかけないこと
・自分から線を越えないこと
・相手の沈黙も、尊重すること

つまり、“何も聞かない”ことの方が、よほど中立的な姿勢といえます。

会議でしか共有していないはずの話が、漏れてくるとき

また、たとえば、会議でしか共有していないはずの話が、思わぬ人の口から漏れ聞こえてくることがあります。

本来なら、外には出ていないはずの会議の内容が、一部だけ、どこかで言葉を変え、かたちを変えながら、広がっていくのです。

その瞬間、誰もが手を止め、一気に空気が張り詰めたようになります。

「えっ、なぜ部外者に漏れているんですか?」
「誰から聞いたの?」
「誰が話したの?」

ひとつの言葉が、場の空気を変えます。

守られてきた沈黙に疑いが生まれ、情報を握っていた人たちの“立場”が、静かに揺らぎはじめるのです。

信頼関係が壊れるとき、責めを負うのは、必ずしも“話した人”とは限りません。

むしろ、“聞いた人”によって崩されていくことのほうが多いのです。

近づいてくる人との距離を、どう見極めるか

聞き役を装う人が、悪意を持っているとは限りません。

情報を求めてくるのも、その人なりの“善意”や“責任感”によるものかもしれません。

なかには本当に、
「状況を把握したい」
「力になりたい」
と思って動いている人もいるでしょう。

けれども、だからこそ“線引き”が必要です。

・今は話す段階ではない
・自分の口から語る立場にない
・共有にはまだ準備が整っていない

このような判断があるにもかかわらず、“共感”や“信頼関係”を理由に、うっかり語ってしまうことがあります。

しかし、それこそが、最も避けたい事態です。

語らないという判断を貫くには、ただ口をつぐむだけでは足りません。

その判断が、きちんと伝わるかたちで“距離”に表れていなければなりません。

語らないという構えを、誤解なく、かつフラットに示す力が求められます。

「何も言わない」
のではなく、
「今はまだ話す段階ではないと判断しています」
という意思を、きちんと言語化すること。

そして、もうひとつ、大切なことがあります。

近づいてくる人を責めるのではなく、
誰とどのように距離を取るか
――その選択を自分の側で管理するという視点です。

距離を取るのは、冷たさではありません。

むしろ、語らないことで守るべきものがあるからこそ、あえて一線を引く。

それが、“情報を握る者”に求められる、もうひとつの責任なのです。

語らぬという判断が、守っているもの

語らぬ者が守っているのは、情報そのものではありません。

意思決定の主権であり、判断の手綱であり、そして、組織の信頼です。

その沈黙を、誰かの無邪気な共感や、中立の顔をした質問で、壊されてはなりません。

語らぬという選択は、実は深い責任の上に置かれています。

会社の行く末を守る判断であるといっても、決して過言ではありません。

そしてそれは、ひいては、あなた自身の信頼を静かに積み上げているということにもつながるのです。

著:畑中鐵丸

00224_家庭内戦争の設計図_離婚と生活費をめぐる戦略思考のリアル

離婚とは、単なる
「別れ」
ではありません。

それは、感情の綱引きであり、経済の駆け引きであり、そして何より、
「戦略」
がものを言う
「家庭内戦争」
です。

「カネは払いたくない、けれども離婚はしたい」
「生活費は出してほしい、でも別れたくはない」
このように、
「それぞれに、それぞれの理屈があり、それぞれの事情がある」
構図のなかで、利害が複雑に絡み合い、どちらの言い分も一歩も引かない状況では、冷静に戦略と戦術を組み立てる力が求められます。 

事例から見る家庭内のリアル

たとえば、ある事例。

夫は
「離婚する」
「連れ子とも離縁する」
と言い張りながら、
「お金は一銭たりとも払わない」
と主張します。

妻の側は
「愛しているから」
ではなく、
「生活費が必要だから別れられない」
と返してきます。

感情のやりとりに見えて、実はそこにあるのは生活の現実です。

もっと言えば、経済のリアルです。

家庭の構図は、企業の紛争構造と同じ

そこには感情よりも、生活の現実が色濃く見えてきます。

家庭内のこの構図――
ビジネスに置き換えれば、
「解約したい取引先が、過去の請求には応じない」
と言っているようなものです。

相手の言い分をそのまま受け入れるのではなく、まず全体を
「ミエル化」
してみることが大切です。

そのうえで、どう動くかを定めていく。

それが、戦略というものなのです。

戦略の出発点は「環境整理」

まず、
「環境整理」
をすることです。

どんな利害が交差しているのか。

どんな法的・社会的背景があるのか。

そこを丁寧に見極めることが、出発点になります。

そのうえで、
「ゴールは何か」
をはっきりさせておく必要があります。

・金銭なのか
・居場所なのか
・時間なのか
・感情なのか

――それによって、採るべき
「戦略」
が変わってくるのです。

「悲劇のヒロイン戦術」という技術

たとえば、妻側が、離婚を拒否してでも生活費を得たいのであれば、
「悲劇のヒロイン戦術」
が有効かもしれません。

・相手がウソをついているなら、それを暴く
・真実を隠しているなら、それをあぶり出す
・ときに、感情の表現を装いながら、冷静に「ATMはまだ機能している」と知らせる

これらの技術は、実は、企業の訴訟戦略とまったく同じ構造をしています。

家庭の問題を戦略的に語ることに、違和感を持つ人もいるでしょう。

しかしながら、感情だけで戦えるほど、現代の家族関係は単純ではないのです。

争いは形を変えながら続きます。

場合によっては、年単位の時間を費消することすらあるのです。

そのたびに、何を守り、何を捨て、何を得るかを考え直さなくてはなりません。

「家族」
という最小単位の社会に、
「離婚問題」
が浮上したとき、私たちは、戦略と戦術の使い手でなければならないのかもしれません。

著:畑中鐵丸

00223_オーナー社長企業_制度で動かす経営管理の未来像_6つのレイヤーの設計思考

企業を動かすとは、理想と現実のせめぎあいです。

とりわけ、オーナー社長が率いる企業においては、この緊張感はさらに際立ちます。

今回ご紹介するのは、あるオーナー社長企業の、未来型の経営体制構想です。

この体制は、国家の統治構造になぞらえて設計しています。

まず、その全体像を整理してみましょう。

国家になぞらえた、未来型オーナー社長企業の経営構造

1 オーナー社長
 …国家における「天皇」
 (最終ジャッジ、経営哲学=国家理念の発信者)
→ 冷静な経済合理性を担保しながらも、天皇の意志を常に読み取る

2 経営管理・監視機構(社外非常勤で構成されるコミッティー方式)
 …国家の「枢密院(*)」
 (合理性と合法性を冷静に検証する参謀組織)

*旧憲法(大日本帝国憲法)で、国家の大事(機密や政治上の重要な秘密)に関して天皇の諮問にこたえることを主な任務とした合議組織。

3 経営管理機構のサポート部隊
 …枢密院を支える「官僚組織」
 (政策実行の補佐、事務支援、若手育成)
→ 若手を育てつつ、自らもまた哲学を継承する立場として自覚を持つ

4 取締役会
 …国家の「内閣」
 (方針に基づき政策を実行する行政執行機関)
→ 現場との連携を腹に据えて動く

5 執行役員
 …各「省庁」の局長
 (部門ごとの運営・管理責任者)

6 従業員
 …国家公務員・現場実務官
 (具体的な政策実行、現場活動)

このように、国家統治機構をなぞらえながら、それぞれの役割と立ち位置が設計しています。


各階層の間に存在する「見えない壁」

理想とは裏腹に、現実社会では、それぞれの階層のあいだには、
「見えない壁」
が存在します。

「天皇」

「枢密院」
のあいだに。

「枢密院」

「官僚組織」
のあいだに。

「官僚組織」

「内閣」
のあいだに。

「内閣」

「省庁局長」
のあいだに。

そして、
「省庁局長」

「現場実務官」
のあいだに。

各階層のあいだに、意図せざる隔たりが生まれてしまうことがあるのです。

結果として、
「天皇」

「現場実務官」
のあいだには、幾重にも、
「見えない壁」
が生じ、それが企業の発展を阻むことになるのです。

これこそが、企業運営の難しさの正体です。

では、どうすればいいのでしょう。

「見えない壁」を知る

無意識にある
「見えない壁」
を、壊すことはできません。

しかし、乗り越えることはできます。

制度・仕組みさえ整っていれば、誰もが
「見えない壁」
を、意識せずとも乗り越えられることは可能なのです。

それには、まず、
「見えない壁」
を知ることが前提となります。

さらにいえば、
「意思に頼って乗り越えるものではない」
ということを理解することが前提となります。

意思ほど、不確実なものはありません。

「壁の存在を認め、理解できたので、あとは意思のチカラで乗り越えよう」
などと精神論を語っても、現場は動きません。

だからこそ、仕組みを整え、意識せずとも自然に乗り越えられる設計にしておくのです。

「見えない壁」を乗り越える制度や仕組み

■ 枢密院(=経営管理・監視機構)(社外非常勤で構成されるコミッティー方式)

【目的】
・オーナーのジャッジ負荷の軽減

【役割】
・御前会議にて報告と裁可
・参謀会議にて、報告徴求・状況把握、管理上の指示、報告事案の管理・整理、裁可案件の整理
・案件スクリーニング、決裁
・デイリーオペレーションのモニタリング
・計画策定・達成状況管理
・人事評価
・幹部候補OJT育成

【イメージ】
・経営管理事項に関する専門的知見
・私心や欲で判断を歪めない
・業界に対する愛と理解
・オーナー社長を敬愛しオーナー社長の経営哲学を理解

【実務に即した具体例】

1 案件スクリーニング会議の運用ルール化

(1) 会社に持ち込まれた取引案件・投資案件・契約案件などについて、「天皇」の裁可を仰ぐ前にまずは「枢密院」側でのふるい分けを行う
 (ア)金額が大きい案件
 (イ)相手先がリスクのある企業
 (ウ)契約条件に例外が含まれる
 (エ)新規性の高い事業展開を伴う など

(2)ルール化する
 (ア)どんな案件を対象にするのか(例:契約金額500万円以上)
 (イ)誰が出席するのか(例:法務・経理・営業・外部顧問)
 (ウ)どんな観点で確認するのか(例:経済性・法的妥当性・オーナー哲学)
 (エ)何曜日に開催するのか(例:毎週水曜10時〜)

2 一定金額以上の取引案件に対する「3点チェック」制度の導入

(1)経済合理性
(2)法務的妥当性
(3)オーナー哲学への適合性

3 「オーナー専権事項」リストを明文化し、介入しない範囲の明確化

4 社内で起案される文書に「裁可要否」欄を設けることで、判断の前提ラインを揃える

■ 官僚組織(=経営管理・監視機構事務局

【役割】
・参謀本部佐官級の補佐集団としての仕事
・「枢密院」のサポート
・秘書役
・事務全般
・幹部候補として徹底した経営管理技術を身につけ、かつ、「天皇」の経営哲学の伝承者として「天皇」のスピリッツを涵養する

【イメージ】
・イメージ=入社3~5年目で、向上心旺盛で勉強が苦にならない(OJTでのスキルアップのほか、休日等に自己能力開発を積極的に行うほか、ネットワークを広げられる社交性も涵養)
・私心や欲で判断を歪めない
・業界に対する愛と理
・「天皇」を敬愛し「天皇」の経営哲学を理解

【選抜方式】
・履歴書、職務経歴書、日経TESTを受験させスコア提出
・PCスキル検証
・「枢密院」全員の面接によってトライアルし、その後本格稼働

【実務に即した具体例】

1 幹部候補向けの「経営管理勉強会」の定期開催

(1) OJTの補完として、理論と実務の橋渡しとなる研修を毎月実施
    テーマ例
   ・月次経営指標の読み方
   ・社外取締役の視点を体験する模擬案件審査
   ・経営哲学にまつわるケースディスカッション

2 経営哲学の内製教材の整備

(1) 読み物形式で、オーナー社長の経営観をわかりやすく文書化(語録集)
(2) 類型化された失敗事例の収集・編集(「この判断のどこにズレがあったか」解説つき)
(3) 定期更新とバックナンバーのアーカイブ化

3 議事録作成を通じた育成制度の構築

(1) 週次・月次会議に出席し、サマリー・要点抽出力を訓練
(2) 議事メモに対して「枢密院」からのフィードバックを必須とする
(3) 1年後には、判断材料の提示や整理まで担うフェーズへ

4 人材評価項目に「哲学理解度」や「管理補佐の適正」などを定性項目として組み込む

■ 内閣(=取締役会)

【役割】
・組織統治の要として、「枢密院」と「省庁局長」の接続点を担う(「枢密院」と「省庁局長」の“翻訳者”として機能する)
・単なる承認機関にとどまらない
・形式上のマネジメント、実際は現場指揮・統括

【本来の意図】
取締役が現場の声を直接ヒアリングし、それを経営管理・監視機構にフィードバックすることで
・経営管理・監視機構が「取締役も現場の状況を理解してくれている」と感じる
・経営判断に現場感覚が反映されているという納得感が生まれる
・結果として、「執行役員」層の判断や行動に“迷いがなくなる”

【実務に即した具体例】

1 部門横断的な「現場ヒアリング」の定例化

(1) 月1回以上、「内閣」が部門横断で現場リーダーとの対話の場を持つ(=現場温度を把握する)
(2) 課題・懸念・提案などを収集し、現場と取締役会の判断との間に“納得の接点”をつくる
(3) ヒアリング内容は「官僚組織」へ報告し、判断の材料として還流させる

2 「翻訳力」を測る評価制度の導入

(1) 年1回の役員評価に、次のような“接続力”項目を含める。
 (ア) 現場の言葉を経営の文脈に置き換えて伝える力(=「上位層との接続状況」)
 (イ) 経営判断をわかりやすく現場に伝える力(=「現場連携度」)
 (ウ) 双方向の対話を継続する姿勢と頻度

3 情報接続ミーティングの制度化

(1) 月次で「枢密院」と「内閣」メンバーによる接続会議を実施する(=組織階層間の“対話の場”を創出)。
(2) 議論内容を要約・翻訳したレポートを作成する。
(3) そのレポートは「枢密院」側がレビューし、誤解なき意思伝達を確保する。

4 「意思決定プロセス図」を部署ごとに作成し、責任と裁量の境界をミエル化(=議事録と説明責任の強化)

(1) 取締役会議事録において、「何を判断し」「なぜそうしたか」の背景を明記。
(2) その記録が執行側にも配信され、納得感と透明性を担保する。
(3) 会議体の記録が「翻訳の証拠」として機能することで、組織内の信頼が醸成される。

■省庁局長(=執行役員)

【役割】
・計画遂行の責任者として、各部門におけるタスクの設計・推進・育成を統括する実行責任者層
・現場に最も近い立場で、上位の意図と現場の行動を“構造として接続”する役割も担う
・部下育成のハブとなることが求められる

【実務に即した具体例】

1 部門別KPIのレビュー制度

(1) 四半期ごとに、各部門の数値・非数値のKPI(定量・定性)を整理し、達成度を自己点検。
(2) 未達の場合は原因分析と対応策を明記し、取締役会と共有する。
(3) レビュー結果を基に、翌期の戦略・戦術の修正案を策定するプロセスを制度化。

2 「役割分担マップ」の導入と定期更新

(1) 部門内で「誰が」「何を」「どこまで」担っているかをミエル化する(=機能別の責任分担の可視化)。
(2) このマップは月1で更新され、人事異動や担当変更時の引継ぎにも活用する。
(3) 役職名や上下関係ではなく、「果たすべき機能」で分担を設計することが原則(=「役割分担マップ」)。

3 部下育成と日常業務の接続制度

(1) 執行役員が自部門の若手を対象に、毎月1テーマの育成セッションを実施(例:ケーススタディ/業務設計講座)。
(2) 人事評価には、「部下の成長を促すフィードバックの実施回数」や「指導記録」も反映させる。
(3) 育成内容と業務実績を関連づけた「育成ポートフォリオ(育成+業務実績セット)」を作成・共有。

4 改善提案制度と月次共有会

(1) 部門内に「現場からの改善提案制度(小さなアイデアのミエル化)」を整備する。
(2) 提出された提案のうち、実行されたもの・却下されたものを毎月レビューする。
(3) 月末の部門会議で「今月の改善シェア会」を開催し、成功例をチーム内で共有する。

■ 現場実務官(=従業員層

【役割】
・現場の最前線として、業務タスクを実行し、活動を報告し、気づきを発信する存在(現場情報の供給源としての自覚を持つこと)
・“組織の目と耳と手足”として機能することが求められる

【実務に即した具体例】

1 簡易な行動レポートの定着

(1) 日次または週次での作業内容・所感の記録(所定フォーマットで)
(2) 直接の上長だけでなく、一定期間後に枢密院側も確認する
(3) 「業務プロセスのミエル化」として活用

2 イントラでの「気づき共有欄」の運用

(1) 誰でも自由に書き込める「今月の気づき」コーナーをイントラに設置
(2) 優良投稿には簡易な表彰制度(例:食事券、全社メルマガ掲載)
(3) 集まった投稿は月ごとにカテゴリー化・分析され、枢密院へ報告

3 “壁”の吸い上げと共有の仕組み

(1) 月1の階層別ミーティングで「最近感じた“壁”」をテーマに話す場を設定
(2) その内容を部門長→取締役→枢密院へと吸い上げるルートを明文化
(3) 同時に「どう乗り越えたか」も共有し、制度改善への素材とする

意思に頼らず、制度で超える

このように、誰かの意思に頼るのではなく、誰がその場にいても自然に動けるように、制度と仕組みでカタチをつくるのです。

「見えない壁」
を壊すのではなく、越えさせる。

そのために必要なのは、意思ではなく、設計です。

判断の前提を揃えること。
役割の境界をミエル化すること。
現場の声を、声として届くようにすること。

こうした構造があってこそ、腹落ちが生まれ、行動が自分ごとになるのです。

意思に頼らず、制度で越える。

それが、オーナー経営における
「見えない壁」
の正しい乗り越え方であり、組織の未来をひらく、本当の統治構造なのです。

著:畑中鐵丸