家庭裁判所で、親権や監護権をめぐる調停や審判が行われると、状況に応じて、調査官調査が実施されることがあります。
たとえば、親同士の主張が大きく食い違っていたり、
「子どもの心情や家庭環境の実態を把握する必要がある」
と裁判所が判断した場合などに実施されます。
一方、当事者間に大きな争いがなく、資料や面談だけで判断が可能と裁判所が判断した場合などは、調査官調査が行われないまま調停がまとまったり、審判が出されることもあります。
さて、調査官調査に話を戻します。
調査では、親としての適性だけでなく、その人を支える身近な支援者――とくに祖父母の存在や関わり方が、重要なポイントとして見られます。
実際、祖父母が日常的にどのように子どもと関わっているか、また、その支援がどれくらい継続的に期待できるかという点は、調査官の関心が向きやすいところです。
ある相談では、依頼者の両親が子どもたちの近くに住み、日々の生活を支えているというケースがありました。
このような状況では、調査官調査に祖父母も同席してもらうことで、子育ての環境が整っていることを直接伝えることができます。
支援がきちんと機能していることが、調査官に具体的に伝わるという点でも、有効な方法です。
ただし、祖父母に調査への協力をお願いするには、慎重な検討が必要です。
家庭裁判所の調査官とのやりとりは、祖父母にとっては非日常の場面であり、強い緊張や不安を伴うこともあります。
また、善意で話したつもりの言葉が、調査官には違う意味に受け取られてしまうこともあります。
たとえば、ある祖母のケースでは、調査官に
「お孫さんとどのように関わっていますか」
と聞かれて、笑顔でこう話されました。
「息子は忙しいですからねえ。私が代わりに、学校の送り迎えや夕飯の用意をしています。もう、私がいないと生活が回らないんですよ」
この言葉を聞いた調査官は、
「父親が子育ての中心ではなく、祖母が実質的に監護しているのではないか」
と受け取りました。
実際には、父親である依頼者が毎日帰宅後に子どもと過ごし、教育やしつけも担っていました。
しかし、祖母の発言だけを聞くと、父親の監護力が弱く、祖母に頼り切った家庭のように映ってしまったのです。
同じような誤解は、他の親族の発言からも起こり得ます。
たとえば、母親の弟、つまり子どもにとっての叔父にあたる方が、調査官との面談でこう話したことがありました。
「最近は、夜遅くまでスマホをいじってるみたいですよ」
そのつもりはなかったのですが、調査官には、
「家庭内のルールが緩く、生活リズムが乱れている」
と受け取られてしまったのです。
また、ある祖父が、
「あの子は、もうちょっと叱ったほうがいいんじゃないか」
と口にした場面では、調査官から
「虐待が疑われる可能性もある」
との評価が下されたことがありました。
祖父本人としては、しつけの大切さを伝えたかっただけでしたが、発言の受け止め方ひとつで、大きく意味が変わってしまうことがあります。
どちらも、子どもを大切に思うからこその発言です。
悪気があるわけでも、間違ったことを言っているわけでもありません。
しかし、その一言が、特に、親同士の主張が大きく食い違っている場合には、調査官の家庭環境に対する評価に大きく影響してしまうことがある、という現実があります。
このような認識のズレは、当事者とその人を支える身近な支援者間の事前の打ち合わせや準備が不十分であればあるほど、起こりやすくなります。
また、調査当日の段取りや移動手段、時間の制約など、実務的な負担も考慮しなければなりません。
祖父母の年齢や健康状態によっては、長時間の対応が身体的にも大きな負担になることがあります。
一方で、調査官調査への同席を見送れば、祖父母への負担やリスクは避けることができます。
しかしその場合、調査官から
「支援が限定的なのではないか」
「そもそも、本当に祖父母の支援があるのか」
と、見られてしまうおそれもあります。
だからこそ、それをどう補っていくかが、大切なポイントになります。
そこで有効なのが、祖父母による支援の実態を具体的に整理し、わかりやすい言葉で説明できるように準備し、それを資料や文章としてカタチにしておくことです。
さらに、写真や記録を活用し、面談の中で丁寧に説明することで、同席しなくても、家庭としての支援体制をきちんと伝えることができます。
そして、もうひとつ大事な視点は
「調停や審判の手続きの中で、その内容をどのように伝えるか」
ということです。
ただ情報を並べるのではなく、調査官や裁判官が求めているのは、
「その家族がどんなふうに子どもを育てているのか」
が、伝わるカタチになっているかどうかです。
どこまで伝えるか、どう伝えるか。
ほんの少しの工夫が、相手の受け取り方を大きく変えることがあります。
その家庭に合ったやり方で、わかりやすく、そして誤解のないように伝えていくこと。
結局のところ、その積み重ねしか、調査官や裁判官には届かないのです。
著:畑中鐵丸