1 「改善や改革」という仕事の重要性
「改善や改革」
をできない企業は、激変する環境に適応できず、太古の恐竜のように絶滅させられます。
企業が生き残る上で、社内において
「改善や改革」
といった仕事を継続的に進めさせることはきわめて重要です。
また、サラリーマン本人にとっても、
「何時でも余人をもって替えられるような、ルーティンしかできない」
となると、地方に飛ばされたり、不景気になると真っ先にクビを切られます。
その意味では、
「改善や改革」
という仕事を効果的に進めることは、企業にとっても、ビジネスマンにとっても生き残る上できわめて重要であり、関心がある事項といえます。
2 「改善や改革」という仕事は苦手科目
しかしながら、ビジネスマンの方で
「改善や改革」
が苦手という方は非常に多いようで、この種のタスクを命じられるとたいていの方は憂鬱になられるようです。
一般に、サラリーマンと呼ばれる方々の大多数が日々行っている
「仕事」
なるものの正体は、よく観察すると
「作業」レベル
のものに過ぎないことが多いように思われます。
作業のやり方を根本から変えたり、作業そのものをなくすような新たな仕組みを構築したり、といった劇的な付加価値を生むような仕事を行っているビジネスマンは圧倒的に少数です。
人間の頭脳は保守的にできている上、現在の詰め込み型の学校教育においては、小さいころから百マス計算とか漢字書き取りとか
「余計なことを考えず、目の前の単純作業を全力で取り組め」
という形での洗脳を長期間行っているため、平均的日本人は、
「柔軟な発想で仕事そのものを変えてみろ」
といわれても自然と思考が停止してしまうのです。
「改善や改革」
という仕事を遂行する上では、小学校以来延々と脳に刷り込まれてきた
「盲目的に目の前のルーティンを効率的にこなすことに集中せよ」
という奴隷労働的美徳から解放され、真の知的活動をする必要があるのです。
3 「改善や改革」課題の選定
「改善や改革」
というタスクを遂行する上で最初に衝突する困難は
「そもそも改革課題や改善テーマがまったく思い浮かばない」
という事態です。
この症状は、
「昔から存在するルーティンは、それなりの理由があって現在も使用されているのであり、したがって合理的なものである」
という思い込みが障害になっているものと考えられます。
しかしながら、ルーティンの中には、すでに意味を失っているものや、
「もはやその存在自体が効率性を阻害している」
という類のものも多数あります。
「改善や改革」
のテーマは、
「ルーティン課題自体を否定してみる」
という考え方から生まれてくることが多いのです。
すなわち、
「もしこのルーティンがなかったら、どうなるか?」
という発想によって、ルーティンをより効率的なものに変質させたり、別の新たなルーティンに置き換えたり、ルーティンの順序を変更することにより劇的な効率改善を生むアイデアが出てくるのです。
小学校以来優等生だった人はこの種の思考が苦手なようです。
他方、
「小さいころからレポート課題や宿題が大嫌いで、この種の『人生に役に立たない代物』がなくなることを願い、常に回避する方法や手を抜く方法を考えてきたような、小ズルイ人間」
は、
「改善や改革」系の仕事
で劇的な成果を上げることが多いようです。
これは、優等生が陥りがちな
「目の前の課題を疑ってはならない」
という固定観念に拘束されない自由な思考があるからかもしれません。
いずれにせよ、ビジネス社会では、
「課題をうまく処理できる」
というのはたいしたスキルではなく、
「課題そのものにおける課題をみつけることができる」
「新たな課題を発見することができる」
「課題そのものをなくすことができる」
能力の方が重要とされるのであり、このような能力が改善や改革の前提として機能するのです。
4 「改善や改革」案を創出する
お話しましたとおり、
「改善や改革」
といった仕事を進めていく上では、
「どういう改革課題を選定するか」
という前提をクリアするのがそもそも大変ですが、ここを何とかクリアし、無事
「改善や改革」
という仕事のテーマが選定できたとしましょう。
「改善や改革」
の遂行を命じられた人間は、次に
「(設定された)課題を克服するための具体的アイデア(ブレークスルー方法)が思い浮かばない」
という障害に直面します。
この種の
「ひらめき」
というものは個人差があり、ぽんぽんアイデアが出る人もいれば、まったくアイデアが出てこない人もいるようです。
では、どうしたら、
「ひらめき」
をうまく創出することができるのでしょうか。
発明の瞬間を描いたドラマや映画をみていますと、
「人里離れ、孤独に研究を続ける主人公の発明家が、資料が乱雑に積み上がった、みるからに雑然したデスクの上で煩悶としていたところ、天啓に撃たれるが如く、突然偉大な発明をひらめく」
といった場面が出てきます。
しかし、これは、
「天才と呼ばれる一種の異常者が、人類社会を変えるような特異な発明を行う」
という場合に限定して当てはまる話です。
「凡人の勤め人が、金儲けを効率化するようなアイデアを捻り出したり、工場現場において操業方法を工夫して品質を向上させる方法を創出する」
という卑近なアイデア創出に関しては、経験上、ゴミ屋敷のような乱雑な場所からは生まれてこないようです。
ビジネス上の改善・改革方法を創出プロセスは、
「『ビジネス上のゴールを達成しうる可能な限り多くの合理的選択肢』を丁寧に拾い出していき、これらの長所短所やコスト分析を理性的に整理・分析し、うまく行かない場合、当初の選択肢抽出の範囲を広げ」
というプロセスを地味に繰り返していくことによって生まれます。
このような退屈な作業を繰り返し行う中で、思考が純化・短絡化されていき、課題を効率的に解決する新たなプロセスが必然的に導き出されます。
思考の純化・短絡化が、他者とのコミュニケーションの中で行われることもあります。
ブレインストーミングや、あるいはまったく関係のない第三者に意見を求めたことがきっかけとなって、他者から課題に対する別の視点が提供され、これによって、思考の純化・短絡化が一挙に進み、新たな選択肢が創出されるという場合です。
以上のいずれのケースにおいても、課題を整理したり、関係者と課題共有をしたり、自分の置かれている状況を他者に説明したり、といった
「解決方法創出のための前提環境の整備」
が必要となります。
無論、
「関連データや情報も整理せず、他者とも一切コミュニケーションを取らない状況において、混乱したデスクやこんがらかった頭脳の中から、突然、トンデモないアイデアを思いつく」
という場合があるかもしれません。
しかしながら、SF小説や推理小説のトリックとは違い、ビジネスや工業製品開発におけるアイデア創出現場においては、
「一般人のドギモを抜く、驚愕のアイデア」
といった趣のものは、商業上あるいは採算上まったく価値がなく、むしろ有害であるような代物が多いといえます。
世界的時計メーカーであるセイコーを創業した服部金太郎は、こういったそうです。
「すべて商人は、世間より一歩先にすすむ必要がある。ただし、ただ一歩だけでよい。何歩も先にすすみすぎると、世間とあまり離れて予言者に近くなってしまう。商人が予言者になってしまってはいけない」
つまり、
「個人の妄想の中で生み出された独りよがりの突拍子もないアイデアは、産業社会においては使えない」
ということなのです。
いずれにせよ、机上も頭の中も乱雑になっているとますます混乱しますし、他者とコミュニケーションを取らず独善的に妄想を募らせるだけでは、あり得べき解決方法創出から遠ざかってしまいます。
ビジネスにおいて
「改善方法や改革方法」
を探求する方は、ドラマや映画の天才発明家の真似をすべきではありません。
むしろ、情報やデータを常に整理整頓し、クリアな頭で考えられる環境を作り、あるいは課題や関連情報を常に客観化して他者から様々なアイデアや意見を得られる状況を作ることが、目の前の課題を解決する方法をひねり出す近道といえるのではないでしょうか。
5 「改善や改革」は必ず誰かを損させる
「改善や改革」
という仕事を行う際、注意しなければならないのは、
「改革とは必ず誰を損させるものである」
という本質です。
改善や改革が劇的であればあるほど、損や迷惑を被る人の数が多くなり、かつダメージの度合いも大きくなるものです。
歴史上、改善や改革で大失敗したのは、織田信長やナポレオンやケネディーです。
彼らの行った事業あるいは行おうとした事業は、いずれも斬新で進歩的で有意義でしたが。
しかし、
「改革とは、結局、誰かを不幸にするものである」
という単純な仕組みを知らなかった彼らの末路はいずれも悲惨極まりないものとなりました。
以上をふまえると、改善や改革を完成させる局面では、
「改革によって損をするであろう人間」
に対して、
(1)損を被るべき人に対して何らかの形で損失の補填を行うか
あるいは、
(2)損を被るべき人に損をしないようにみせかけて騙す
といういずれかの対策を取るべき必要が出てきます。
「お前の存在は不要となったので、経済的に、あるいは社会的に抹殺させてくれ。ところで幾らほしい? 言ってみろ」
といって、ふんふん頷いて適正な補償額を答えるような人間は古今東西皆無です。
法外な補償額を答えるか、そもそも
「経済的に、あるいは社会的に抹殺されること」
を良しとせず、我武者羅に抵抗するでしょう。
というわけで、成功した改善や改革の多くは、(1)という馬鹿正直な方法によらず、(2)という
「狡猾で陰険な方法」
に基づき、改革や改を邪魔する人間を排除しています。
「日本史上最大の社会改革事業」
であった明治維新についてみてみましょう。
明治維新を実務面で遂行したのは、後に
「維新の元勲」
と呼ばれる薩摩長州藩等に所属する一部の下級官僚たちでした。
「維新の元勲」
たちは、
「維新という事業を進めていく上では、江戸幕府のみならず、自らが属した藩や士族階級そのものも邪魔になるので、解体するべきである」
ということは明確に認識していました。
しかしながら、彼らは、このことは一切明らかにせず、逆に、所属する藩にあたかも
「維新によって、単純な支配交替が生じ、薩摩藩や長州藩及びこれらの藩に属する士族たちが、それまで栄華を極めていた江戸幕府に替わってオイシイ思いができる」
かのような錯覚を与え続けました。
薩摩藩出身の大久保利通は、同郷の盟友である西郷隆盛さえ騙し続けたのではないか、と思われる節があります。
いずれにせよ、
「元勲」
たちのクレバーさは図抜けています。
そして、最終的には、藩や士族たちが
「江戸幕府を倒した。これで、我が藩が我が世の春を謳歌できるぞ」
などと夢見心地の状態で惚けている間に、廃藩置県によって藩そのものを消滅させてしまい、事態に気づいて騒いだ士族連中もすべて葬り去り、明治維新という改革・改善事業をなし遂げたのです。
明治維新は
「『江戸幕府以外の諸藩』が、『江戸幕府』を滅ぼした戦争(内戦)」
という構図と、
「『“江戸幕府以外の諸藩”の一部下級管理職』が、『“江戸幕府以外の諸藩”のボヤボヤしていたオーナーや上司たち』をまるごと滅ぼして自分たちの政権を確立したクーデター」
という構図をあわせ持っています。
後者のクーデターという側面は、歴史においては明確に述べられていませんが、
「損を被るべき人に損をしないようにみせかけて騙す」
というセオリーに忠実に則って行われたものであり、維新という改革・改善事業を完成させる上で非常に有意義なものでした。
以上のとおり、改善や改革は単なる思いつきさえ出せば終わりというものではなく、
「既得権者の効果的排除という生臭い点まで意識しながら進めなければならない」
ということもよく認識しておく必要があります。
著:畑中鐵丸
初出:『筆鋒鋭利』No.045~047、「ポリスマガジン」誌、2011年5~7月号(2011年4~6月20日発売)