00011_受験現場のマネジメント

今回のリアルハックは、受験現場のマネジメントについて、です。

今年2月はじめ、私のところに、東京都文京区、目黒区所在某国立大学(仮に、「T大」といいます)を受験される、という方がお見えになりました。

T大の受験日まであと3週間弱。

T大受験を始めとする、相応の競争倍率が前提環境となる難関受験においては、試験の目的は、当然ながら、
「採点者が採点しやすくなるよう、有意な偏差を生むための知的なふるい分けを行うこと」
に尽きます。

無論、T大の試験問題に、四則演算や、小学校低学年の漢字の書き取りといった、易しい問題を出してもいいのですが、こんな問題を出せば、ほぼ全員100点を取ってしまい、合否判定ができなくなります。

平均的な高校生なら誰でも答えられそうな問題でも、T大受験生であれば、ほぼ全員解答できてしまうため、これでも、合否判定が不能に陥りますね。

かといって、誰も答えられない問題も駄目ですね。

全員、0点だった、となったら、これも合否判定不能になりますから。

で、結果、どうなるか、というと、
・まず、解けない、もっというと、受験生レベルでは到底解けることなど端から期待していない問題
・解けることは解けるが、むちゃくちゃ時間がかかり、これに没頭すると、他の易問の時間がなくなる、意地悪な問題
・一見すると難しいが、センスがあれば解ける問題
・一見すると難しいが、暗記していたり、解き方に慣れていれば解ける問題
・普通の問題
を配合した問題が作成されることになります。

なお、
「一見すると難しいが、センスがあれば解ける問題」

「一見すると難しいが、暗記していたり、解き方に慣れていれば解ける問題」
ですが、前者は現役生有利、後者は浪人生有利、といわれます。

少し前、あちこちの医大で、
「浪人生を露骨に排除するため、現役生の点数に下駄を履かせる、ということを、こっそりやっていた」
というデタラメな試験運営がバレてしまい、エラい騒ぎになっています。

そんなに浪人生を排除したければ、T大と同様、数学等で
「一見すると難しいが、センスがあれば解ける問題」
を多くすれば、無理な不正をしなくとも、自然な形で望む結果が出たかもしれません。

とはいえ、
・出題側にそういう問題を作成する能力がなかったのか、
あるいは
・現役生の方も「センスで解ける問題を、解けるだけのセンス」がなく、結果、現役生、浪人生ともに、解けないので、有意な差を生めない状況だった、
ということであれば、浪人生排除も困難であったでしょうし、そういう理由で、諦めたのかもしれません。

ちなみに、司法試験においても、一時期、
「若手を有利に扱い、なるべく多く合格させ、長年司法浪人している受験生(ベテラン受験生、などといったりします)を排除するため、不利に扱って、合格させないようにして法曹界を若返りさせよう」
という目論見のもと、慣れや暗記の努力が通用しない、パズル的な問題を多数投入したり、いろいろな努力をした時期があったようです。

しかし、どんなに意地悪をしても、ベテラン受験生を効果的に排除できなかったようで、合格平均年齢は高止まりしたままです。

結果、試験運営者は、どういう行動に出たか?

なんと、あちこちの医大で隠れてコソコソやっている、
「現役生に下駄を履かせ、浪人生を露骨に差別する」
というエゲツない合格判定運用を、悪びれず、堂々と
「公式運用として、大々的に正式化する」
という、開いた口が塞がらないような、大胆なことをおっぱじめられました。

これは、
「丙案」
と呼ばれる、
「公平、公正」
を本旨とするべき受験制度の歴史における、致命的な恥部となる、驚愕の合否判定制度であり、平成初期のある時期、現実に導入され、運用されていました。

これは、
「特別合格枠制度(いわゆる丙案):合格者の若年化を図るため受験回数による特別合格枠(通称「丙案」、受験開始から3年までの受験生を優先的に合格させる)」
という形で、今でも、ネット等で存在し、
「法曹資格制度運用当局の顕著な愚行の痕跡」
として、誰でも確認できます。

ま、この司法試験の丙案も、ホニャララ医大の浪人生差別も、隠れてコソコソやるか、堂々と大胆にやるのかの違いこそあれ、やっている内容は同じです。

とはいえ、
「こそこそ隠れてアンフェアな運用をする」
ということは、さすがに法律家や司法当局としての矜持が許さなかったのか、表立って公的ルール化をした点に限っては、評価できます。

ホニャララ医大さんも、犯罪者のように、隠れてコソコソ、ヒソヒソやらずに、法曹界にならって、堂々と、ルール化、システム化して、公式にルール運用として表明してから、しれっとやればよかったのかもしれません。

別の考え方になりますが、
「建前が、本音の堕落の限界を画する」
という意味で、建前は建前として、せめて、相応の美しさ、正しさを保っておいてほしいところ。

建前としての公正さすらかなぐり捨て、悪びれもせず、李下に冠を堂々として恥じず、ここまで、あらかさまに、無茶苦茶な不公正な試験運用をやられると、
「本音の堕落の限界がなくなり、試験という公正な選抜の本質をどこまでも破壊した、不正の横行」
に歯止めがなくなるのではないか、とかなり心配になりますね。

脱線しましたが、話を元に戻します。

T大の試験は、
・アンタッチャブル問題(地雷問題):まず、解けない、もっというと、受験生レベルではおよそ解けるなど端から期待していない問題
・トラップ問題:解けることは解けるが、むちゃくちゃ時間がかかり、これに没頭すると、他の易問の時間がなくなる、意地悪な問題
・要センス問題:一見すると難しいが、センスがあれば解ける問題
・要暗記問題:一見すると難しいが、暗記していたり、解き方に慣れていれば解ける問題
・易問:普通の問題
を配合した問題で構成されます。

次に、問題の配列です。

試験問題を作成する側が、受験生にやさしく、受験生の緊張やパニックを配慮し、
「なるべく、いい点数を取らしてあげたい」
という優しい気持ちを持っていれば、易問を冒頭に配置し、暗記や慣れで処理できる(暗記や経験がなければ諦めてスキップする決断ができる)問題を次に、センスを求められたり、トラップ問題は、その次、アンタッチャブル問題は、末尾に配置するはずです。

受験生としては、配置された順に問題を解いていき、最後まで到達しなかったり、仮に、トラップ問題やアンタッチャブル問題に時間がかかり、中盤以降、中途半端な解答できなかったとしても、すでに易問は手につけているので、無駄なく、ムラなく、実力を出し切れます。

ところが、そんな受験生に配慮した問題配列にすると、有意な差が生じず、合格点前後で、団子状態となり、合否判定が非常に面倒になります。

そこで、試験を運営する側としては、問題配列にあたっては、
アンタッチャブル問題や、トラップ問題といった難問を冒頭に配置し、「合格に執着し、頭に血が上り、焦りまくっている受験生」を、冒頭問題処理に没頭させ、混乱とパニックを引き起こし、時間を消耗させるよう罠を張りめぐらせるとともに、
易問や暗記問題は、中盤あるいは末尾に配置し、冒頭の問題で時間も労力も費消しつくされ、焦りと不安で朦朧とした受験生が、「冷静に本来の実力を発揮すれば、一定のレベルで解答できる」はずのところを、実力が出せないような、底意地の悪い設置にする、
という形で、もともと難しい問題に、さらに、混乱の要素をばら撒き、受験生を心理的にも翻弄し、有意な偏差を生じさせ、採点の労力負担が少なくなるようにします。

では、そんな底意地の悪い問題設定に対して、受験生として、どう立ち向かっていけばいいのでしょうか?

これは、私なりの方法ですが、

1 開始の合図があっても、いきなり問題を読み始めたりしない。数十秒間を置く。
2 その後、ゆったりと、気持ちの余裕をもって、問題文全体をざっと見する。
3 アンタッチャブル問題やトラップ問題や易問、といった問題属性を判別し、解答順序と時間配分を設計する
4 そして、解答しはじめる。
5 見直し時間やバッファーを含め、終了前10分前には一旦終え、解答を万全にする

という段取りを実践していました。

「1 開始の合図があっても、いきなり問題を読み始めたりしない。数十秒間を置く」
については、一見、
「?」
という反応が返ってきそうですが、これはそれなりの意味があります。

この
「間」
は、周りの動静を感じ、
「競争者が焦り、不安に陥り、パニックを来し、あるいは絶望によって、混乱している様子」
を、観察するためです。

受験生は全員が全員、私のようなヒネている人ばかりではありません。

むしろ、たいていの受験生は、単純で善良で、純朴を絵に描いたような牧歌的な
「いい人」
が圧倒的多数を占めます。

そういう方々は、やる気満々で、周りが見えず、
「絶対負けてはいけない」
という心理的プレッシャーを自分にかけてしまっており、しかも、根が純朴なので、バカ正直に一問目から律儀に解答着手される方が大半です。

そんなマジョリティの受験生が、試験開始の合図とともに、めくった問題文をみて目に飛び込んでくるのは、難問、珍問、奇問ともいうべき、
「一問目、自分がうまく解ける問題が出て、華麗なスタートを切る」
という身勝手な想定を、完膚なきまでに打ち砕いてくれる風景です。

無論、落ち着いて問題文すべてを読めば、中盤以降に、易問等があることが判ります。

ですが、視野狭窄に陥り、冒頭の地雷やトラップを
「これは、絶対乗り越えなければならない」
という固定観念に囚われてしまい、面白いように、難問、奇問、珍問の罠にずぶずぶ入り込み、時間と労力の消耗に突入していきます。

この結果、試験会場では、戦闘開始直後に立ちはだかったバカ高い壁を見上げた大多数の受験生から出てくる、絶句とも嘆息とも取れる、悲痛な叫びのような、重く、悲しく、切ない、沈痛な空気感に包まれます。

私は、これを観察というか、この最高の瞬間を、堪能し、味わい尽くすのです。

無論、キョロキョロしたら、カンニングをしていると誤解されるので、動静を感じながら、重く、沈痛な場の雰囲気を肌で感じます。

そして、ライバルたちの多くがどツボにはまり込んでいる様子に、自分だけ、
「よしよし、これで、自分より優秀なライバルが、かなりの割合、問題文作成者の心理的な罠に陥り、パニックに陥って、勝手に沈んでくれた。」
と心の中で快哉を叫びます。

試験など、満点を取る必要はなく、受験生同士の相対的な争いにおいて、相対的な優位性を保ちさえすればいいだけ。

「競争相手が、勝手に不安に陥り、知的能力を低下させ、実力が出せず、混乱のまま、相対的劣位にずり下がってくれる」
なんて、こちらとしては、飛び上がりたくなるくらいの慶事であり、これを観察できれば、自分の士気向上にもつながりますので、こんな最高のイベントを逃すなんてもったいない。

こうやって、競争相手の
「絶句とも嘆息とも取れる、悲痛な叫びのような、重く、悲しく、切ない、沈痛な空気」
に包まれる貴重な数十秒間は、受験会場の
「静かな阿鼻叫喚」
ともいうべき重たい空気感味わえる、貴重な機会として、笑いを噛み締めながら、じっくり体感し、自らの士気向上に役立てます。

この程度のメンタルマネジメントや、試験マネジメントなんて、T大目指すような連中は、皆知っているものだと思っていました。

ところが、意外と知らないんですね。

お話をしたところ、当該受験生、かなり刺激的な話として、受け止めてくれたようです。

もう私立中学受験は終わりましたが、私学、国立大も含めた大学入試はこれからが本番です。

「受験戦争」
というイベントについては、ネガティブな見方をする向きもありますが、私個人的には、人生の知的基盤を形成する、貴重で有益な経験であり、チャレンジすることには、大きな意義と価値があると考えます。

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