00013_「訴えてやる!」と言われた場合の対処法

日常の口論でも、ケンカがエスカレートすると、
「訴えてやる」
「出るとこ出てやる」
「もう訴訟しかない」
「念書を書け」
「詫び状を書け」
といった物騒な言葉が飛び交うことがあります。

こういう厳しい言葉で詰め寄られた場合の対処法は、意外と知られておらず、無駄にビビって、相手の言いなりになって、やがて、そこからズルズルと「やられたい放題やられていく」という必敗パターンにはまり込んでいきます。

え、じゃあ、無視していいわけ?
無視したら、大変なことになるじゃない!
でも、こんな「訴えてやる」という相手の威嚇を無視して、本当に大丈夫なのでしょうか?
万が一、訴えられたら、大変なことになるのではないでしょうか?
とすると、訴えられることを回避するため、相手をなだめ、なんとかその場で話し合う方向で妥協した方がいいのではないでしょうか?
本当に大丈夫?
鐵丸先生、他人事だと思って、いい加減なこと言ってない?
ていうか、鐵丸先生、弁護士としては、揉め事起こった方が仕事になるから、仕事欲しさに煽ってんじゃないの?

という異論、反論、疑問、ツッコミが返ってきそうです。

ですが、正しい対応は、無視であり、「どうぞ裁判でも何でも、起こしたかったら起こして下さい」という突き放しなんです。

もちろん、本当に訴訟が提起される場合もないとは言えませんが、その確率は極めて低く、こういう「訴えるぞ」という脅し文句を絶叫する場合、単なる、ハッタリとしての捨て台詞であることがほとんどです。

こう言い切れるのは、訴訟の本質に根ざす事情に基づきます。

すなわち、訴訟を提起するといっても、裁判を行う場合、原告の負担があまりにも重く、訴訟を一種の「プロジェクト」と考えると、1万円札を10万円で買うような、無茶苦茶、コストパフォーマンスが悪い、「キックオフした瞬間に、経済的敗北が確定する」というくらい、厳しい負担が生じるものだからです。

というのは、民事裁判制度というゲームの構造が、原告にとってあまりに不愉快なシステムとして設計されているからです。

 違法や不正義に遭遇したときに、被害者がこれを申し出て、権力的に解決する制度として、裁判制度というものが存在します。

 よく、論争や見解対立が紛糾したりすると、「出るとこ出たる」「裁判を起こしてやる」「公の場で白黒はっきりつけてやるから覚えとけ」といった趣の売り言葉に買い言葉が応酬される場面に出くわしたりすることもあります。

 しかしながら、裁判制度の現実を考えると、実際に訴訟を提起することはかなりの困難が伴い、さらに言えば、「訴訟を提起する側は、提起しようとした瞬間、莫大な損失を抱えてしまい、経済的な敗北が確定する」とも言える状況が存在します。

 これは、裁判制度を利用するには、莫大な資源動員が要求されるからです。

 刑事事件として警察や検察等が動いてくれれば格別、民事のもめ事にとどまる限り、どんなに辛く、悲惨で、酷い状況に遭遇しても、被害者原告が、裁判を起こさない限り、国も世間も、基本的に、状況改善のために指一本動かしてくれません。

 そりゃ、同情はしてくれるでしょうが、同情を買うために愚痴を言い続けても、愚痴を聞く側もそれなりにストレスがたまるので、だんだん愚痴を聞いてくれなくなります。それでも愚痴を言い続けて嫌がられると、友達を失っていきます。

「じゃあ、愚痴言ってるヒマがあれば、とっとと、さくっと、すぱっと、裁判を起こして、解決してもらえればいいじゃん!」ってことになるのですが、これが、口で言うほど簡単ではなく、それなりの成果が出るように、真面目にやるとなると、気の遠くなるようなコストと手間暇がかかるのです。

 無論、弁護士費用や裁判所の利用代金(印紙代)もかかりますが、この外部化されたコストは、費消される資源のほんの一部にしか過ぎません。

 実際、訴訟を起こすとなると、原被告間において生じたトラブルにまつわる事実経緯を、状況をまったく知らない第三者である裁判所に、しびれるくらい明確に、かつ、わかりやすく、しかも客観的な痕跡を添えて、しっかりと説明する必要があります。

 裁判所は、「あいつは悪いやつだ」「あいつは嫌われている」「あいつはむかつく」「あいつの評判は最悪だ」とか、そんな、主観的評価にかかわるようなことはまったく興味はなく(むしろ、この種の修飾語の類いはノイズとして嫌悪される)、聞きたいのは、事実だけです。

 すなわち、客観的なものとして言語化された体験事実を、さらに整理体系化し、文書化された資料を整えることが、裁判制度を利用するにあたって、絶対的に必要な前提となるのです。

 そして、この前提を整える責任は、原告にのみ、重く、ひしひしと、のしかかり、世間も裁判所も、誰一人手伝ってくれません。

 それどころか、少しでも、この前提に破綻や不備があると、相手方はもちろんのこと、裁判所も「このあたりの事実経緯が不明」「この点をしっかりと、根拠をもって説明してもらわないと、裁判がこれ以上進まない」「もうちょっと、ストーリーを整理してくれないと困ります」と言って、ツッコミを入れ、裁判が成り立たなくなるような妨害行動(といっても、これは原告の主観的心象風景であって、裁判所や相手方からすると、「裁判をおっぱじめるなら、おっぱじめるで、テメエの責任で、きちんとストーリー作ってこい!」という、ある意味当たり前のリアクションをしているだけ)を展開します。

 このように、裁判システムは、ボクシングやプロレスの試合に例えると、原告が、ひとりぼっちで、延々とリングというか試合会場を苦労して設営し、ヘトヘトになって試合会場設営を完了させてから、レフリー(裁判官)と対戦相手(被告・相手方)をお招きし、戦いを始めなければならないし、さらに言うと、少しでも設営された試合会場ないしリングに不備があると、対戦相手(被告・相手方)もレフリー(裁判官)も、ケチや因縁や難癖をつけ、隙きあらば無効試合・ノーゲームにして、とっとと帰ろう、という態度で試合進行に非協力的な態度をとりつづける、というイメージのゲームイベントである、と言えます。

 こう考えると、裁判制度は、原告に対して、腹の立つくらい面倒で、しびれるくらい過酷で、ムカつくくらい負担の重い偏頗的なシステムであり、「日本の民事紛争に関する法制度や裁判制度は、加害者・被告が感涙にむせぶほど優しく、被害者・原告には身も凍るくらい冷徹で過酷である」と総括できてしまうほどの現状が存在します。

例えば、名誉毀損とか侮辱されたという類の喧嘩が起こったとして、トラブルの相手が「訴えてやる」と言ったところ、こちらが「どうぞ、訴えるか訴えないかはそちらの自由です。訴えたければどうぞ」と対応し、相手が「よし、覚えとけ。次に会うのは裁判所だ!」と言って、破談となったとしましょう。

相手が、宣言どおり、現実に、訴訟を提起するとなると大変です。
というか、ほぼ無理です。

まず、訴訟の相手をどうするか、住所は把握しているか。
いつ、誰が、どこで、どうして、どのようなことを行い、それがどのような法律要件に該当し、損害賠償請求権を生み出すのか。
賠償額をいくらにするのか。
1万円か、10万円か、100万円か、1億円か。
金額が大きくなれば印紙代もかかるが、無駄にならないか。
主張する事実に関する証拠をどのように揃え、整理し、提出の準備を整えるか。手持ちの証拠で十分か。
これだけの検討や準備や作業を独力でやるのか。
弁護士に依頼するのか。
弁護士はいくらで引き受けてくれるのか。
仮に、一審で勝ったとしても、相手が争って控訴がはじまったら、また、弁護士費用がかかるのではないか。最高裁にも行くのではないか。
そうやって、かけた弁護士費用分、きっちり賠償金が得られるか。

こんな疑問や、実施上の難題が、次から次へと浮かび上がります。

そして、これらの実施上の課題をクリアしようとすると、弁護士に依頼する場合はもちろんのこと、自分でやる場合であっても(そもそも、このレベルの事件では、素人さんにとっては、独力で訴状を書き上げることすら不可能かもしれません)、うんざりするような手間や時間やコストや労力がかかります。

さらに、残念なことに、名誉毀損の賠償相場は極めて低く、今回のようなケースで認められるとしても(そもそも認められない可能性も大変高いです)、100万円台はまずなく、10万円以下ではないでしょうか。

こんなプロジェクト、本当におっぱじめたら、経済的にも、労力的にも、精神的にも大変な負担を覚悟しなければならず、悲壮な覚悟が必要になります。

となると、経済合理性の点でもっとも賢明な選択は、「訴えてやる」と勢いよく宣言したことはおいといて、かなりかっこ悪いですが、実際は、訴えず、何もせず、諦める、という態度決定です。

「やられたら、どうするか?」

やり返してはいけません。

「やられたら、泣き寝入り」
が正解です。

そして、おまけです。

「念書を書け」と言われても、そんなもの書く義務は全くありません。

ですので、応答としては、「ヤだ」が正解です。

念書作成を要求された場合、私などは、「念書、念書、念書ってさっきから何度もいっておられますが、そんなに念書がほしいの?こっちはイヤなんだけど、そちらがどうしても念書がほしいんだったら、東京地裁に、『これこれこういう念書を作成し、交付せよ』、という訴訟を提起すればいいじゃないですか。そちらが訴えたら、こっちはこっちで、最高裁まで三回は争わせていただきます。万が一、最高裁で敗訴が確定し、さらに、確定判決に基づいてそちらが強制執行を申し立てたら、その段階で、おとなしく従ったほうがいいか無視するか、改めて、考えます」と答えることにしています。

「念書?ヤだ」といっても、引き下がらないとします。
義務がないことを強く求めたら、強要罪に該当します(ローマ法皇や皇族の方々のように、ジェントルかつエレガントに念書や詫び状をお求めになるのであれば問題ないでしょうが、詫び状をしつこく求めるような通常のケースですと、暴力や害悪の仄めかしを伴うので、強要罪ないし脅迫罪、少なくとも迷惑防止条例違反には該当するでしょう。実際、滋賀県近江八幡市のボウリング場で店員に言いがかりをつけ土下座させた、「元気が良くて、声の大きい、権利意識高めの舗装工のお兄さん」がいらっしゃったのですが、このお兄さん、大津地裁で、強要罪に問われ、2015年3月18日、懲役8月の実刑判決を食らっておられます)。
あまりしつこくやられたら、こちらが被害者として、警察を呼んで対処すればいいだけです。

いずれにせよ、「訴えるぞ」と、明らかに実現性のないハッタリかまされビビるのもダメですが、「念書書け」と言われ、言うなりになって書くのもアホです。

もちろん、こんな対処法、学校で教えてくれませんし、そもそも、教師は知りません。親も知らないでしょう。

世の中、こういう、「学校や親が教えてくれないが、生きていく上で、絶対知っておくべき、非常識なリテラシー」がかなりの数存在するのです。

一番、いいのは、弁護士に聞くことです。
その前提として、疑問に思ったら、弁護士に聞ける環境を作っておくことです。
さらにさらにその前提として、そして、常識という「バイアス」に依拠せず、「相手はこう言っているけど、ほんまかいな」と疑問に思うこと、です。

「我、疑うゆえに、我あり」
懐疑は、知的な人間としての、本質であり、全てです。

2件のコメント

  1. しゃきしゃきととても分かりやすく説明してくださってありがとうございました。
    よく「身に覚えのない請求書が来て …」の相談のことは聞いたことがあるのですが、さっき身に覚えのないサイト利用の訴訟最終通知なるものを「メッセージ」で送られてきて、電話しろと。 NTT ファイナンスの名でした。 NTT も軽くなったな~と無視していいものだとわかっていても、ランチが美味しくなかったです。 せめて請求書くらい送ってきなよ❗と、電話返して文句言ってやりたくなりました。 詐欺の気配濃厚で、メールは即削除しても、メッセージで釣ろうなんて、絶対許せない❗

  2. すごく元気の出るお話で、勇気づけられました。何十年間も家族同様だと思ってた相手に、ある日突然疑われ訴えると言われ、何がなんだかまったくわからない状態で毎日泣く日々で、いままでまじめに働いてきて、信用を、積み重ねた中での、突然の事で心身がぼろぼろの状態てす。はじめは情があると思い話し合えばと思っていましたが、段々と相手が変わっていき、何を言いたいの?何がしたいの?状態で、訴えますから、話をしたいですと言われ、相手が何をしたいのかわかりません。ですが、このサイトを見つけ読んでいくと、少し気が楽になりました。これから、いつ訴えられるのかわからないまま、日々を生活していくのが辛いですが、このサイトを読み続けていこうと思います。ありがとうございました。

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