00018_場違いな主婦感覚_20071020

かなり前の話になりますが、ある県に女性知事が誕生したことがきっかけとなり、建設が予定されていた新幹線の駅が建設中止となるというできごとがありました。

その大きな理由は「(駅をつくるのは)もったいない」というもので、当時、「女性ならでは」とか「今の政治に欠けている主婦感覚」とかいう肯定的評価がされていました。

最初に断っておきますが、私は、女性や主婦の皆様を差別する感覚を持ちあわせていません。

加えて、同業者や同水準の収入の方に比べて、質素倹約の精神を非常に大事にしています。日常生活において、大好きな言葉は「もったいない」「まだ使える」ですし、おそらく、節約の精神と能力にかけては、若い主婦の皆様に負けることはないでしょう。

私は、そのくらい、主婦感覚は大事にしていますし、「もったいない」精神が旺盛ですが、そんな私ですら、先ほど述べた女性知事の主張や行動には、強い違和感を感じてしまいます。

国や社会システムの設計・管理・運用は、台所の切り盛りとは著しく異なります。

インフラ(インフラストラクチャー)といわれるものは、すべからく無駄の固まりです。

道路や橋や学校や役場や病院や老人ホームや児童館や公民館なんて利用者以外にとっては邪魔なだけですし、警察も自衛隊も税務署や消防署もお世話にならない人間にとっては無駄そのもの。

「もったいない」感覚を研ぎ澄ますのであれば、新幹線の駅一つを作らないことより、学校や病院や老人ホームや児童館をぶっ潰す方がよほど理に適っています。

歴史上不朽の世界帝国を築いた古代ローマは、どんな僻地にでも、莫大なコストをかけて平坦で使いやすい道路を敷設し、ローマを中心とした高速ネットワークを完成したほか、各都市においても上下水道や学校や公衆浴場等のインフラをおしみなく提供しました。 

ローマ人は、派手好きなギリシャ人に比べ、質実剛健・質素倹約の精神にあふれていたとされますが、ことインフラの整備にかけては「もったいない」精神は封印し、カネを湯水のごとく使ったようです。

政治、すなわち、法律に基づいて税金を使う活動は、本質的に「無駄で」「もったいない」ものばかりです。

政治が「無駄遣い」であることは避けられない以上、荒っぽい言い方をすれば、「将来に生きる無駄遣いの選択」をするいい政治と、「将来を考えない無駄遣いの選択」をする悪い政治の二種しかあり得ません。

日本についていえば、新幹線や道路や空港はまだまだ足りないと思います。リニアや第二東名なんて将来確実に日本の発展に寄与しますから、カネがかかっても早急に作るべきです。無論、建設行政の透明化や財政の均衡回復は、別途の課題として進めていくべきだと思いますが、「もったいないから、将来の社会に役立つインフラ作りそのものを止めてしまえ」という乱暴な議論はまったく理解できません。

話は変わりますが、日本において出生率が急激に減少しています。

仄聞するところによると、「子供はカネや手間がかかるので、子供を作ることは、総じてもったいない行為である」という感覚を、若い世代が強く有していることも一因のようです。

個人の経済感覚としてはまことに正しい感覚ですが、将来展望という点ではひどく方向性を誤った感を抱くのは私だけでしょうか。

子供というのは将来の日本の発展のために必要な「究極のインフラ」なわけですが、件の知事の「もったいないからインフラ作りをやめる」という主張は、「お金がかかるから子供は作らない」という今時の若い世代の言い分の愚かさと、なんとなくかぶってしまいます。

「もったいない」感覚も結構ですが、何事もTPOが大切です。 将来を構想すべき政治の世界に主婦感覚が持ち込まれることは、ひどく場違いで、バカげた印象をもってしまいます。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.002、「ポリスマガジン」誌、2007年10月号(2007年10月20日発売)

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です