経営コンサルタントやM&Aアドバイザーをやっていると、倒産する会社、倒産した会社、倒産間際の会社、もう実質倒産しているがゾンビのように生き延びている会社等、組織として経済的に死んでいる会社を相当数みかけます。
倒産する会社にはどの会社にも共通するある一定の特徴がみえてきます。
倒産する会社は、どの会社も
「整理」
というものがまったくできていない、ということです。
倒産間際の会社の社長に書類の在り処をきくと、帳簿も決算書も手形帳も社長室のキャビネットにつっこんであり、順序もヘッタクレもなく、ぐちゃぐちゃ。
会社設立の際に作成した原始定款は当たり前のように行方不明となっており、株主総会議事録や取締役会議事録などまったく見当たらない。
まさしくカオス状態になっています。
また、こういう会社は、
「営業重視、管理軽視」
という単純な経営理念で突き進んできたせいか、これまでの事業を振り返ったり評価したりすることもなく、ひたすら前だけを向いて突っ走っています。
モーレツ営業会社には、
「過去」
も
「歴史」
もなく、破産申立をする弁護士さんは、経過を聴取し、文書化するのに大変苦労する、とボヤく姿に出会います。
他方で、
「整理や管理や評価をきちんと行っている、すべてにおいて小綺麗な会社」
をみると、たいてい事業が順調であり、弁護士に後ろ向きのことを相談するようなところは皆無です。
以上のような経験に基づく雑感が正しいかどうかは別にして、整理とか管理とか評価とかという仕事は、単純で地味なものですが、事業を円滑に進めていく上で重要な役割を担っていることは間違いありません。
しかしながら、会社であれ、勤め人であれ、整理とか管理とか評価とかといった仕事を苦手とする方は意外と多くいらっしゃるようです。
このように、
「整理」
や
「評価」
という仕事に苦労するのは、仕事の意味や本質をはき違えていることが原因と考えられます。
まず、
「整理」
とは、理をもって整える、すなわち、一定の理屈にしたがって履歴を並べかえる、ということを意味します。
時系列、サブジェクト毎、重要性、近似性といった
「一定の理屈」
を構築し、当該理屈にしたがって資料や事実を並べ替えることが
「整理」
の意味です。
「整理」
という仕事を
「仕事がデキる人」
と
「デキない人」
それぞれにやらせてみると、
「整理」
の力点の置き方に違いが表れます。
仕事のデキる人に
「整理」
をさせると
「一定の理屈」
の構築に時間とエネルギーを注ぎ込み、後に残った
「並べ替え」
という作業自体は適当に行うか、
「こんな作業ごときオレがやる必要はない」
といって誰かに振ってしまいます。
他方、仕事のデキない人間は、深く考えずに
「並べ替え」
という
「作業」
に着手し、着手したら最後、この作業に盲目的に没頭し、無駄に時間を費やした挙げ句、
「努力の痕跡は認めるが、努力の方向性を喪失した感が否めない、何とも使いにくい成果物」
を寄越します。
整理とは、
「作業」
ではなく、自分やチームのプロジェクト遂行のプロセスの理屈化・体系化であり、実にクリエイティブな仕事です。
そして、このような創造的な体系化・論理化が適切に遂行されことにより、今後のプロジェクトの企画・遂行の際、無駄が省かれ、失敗が少なくなり、全体として成功率が増えることにつながるのです。
その意味では、整理という仕事を行う上では、体系構築のための創造性が要求されるもので一定の才能が要求されます。
次に、
「評価」
という仕事についてです。
「評価」
という言葉の意味は
「値打ちを定める」
というものですが、
「値打ち」
などといったものは人により様々であり、正解があるわけではありません。
要するに、
「独断と偏見によるでっち上げ」
を上等な言葉で飾ると
「評価」
という仕事になるのです。
「評価」
という仕事を苦手にする人というのは、要するに、
1 物事をデッチ上げるための勇気がない
あるいは
2 デッチ上げるための表現技術に乏しい
のいずれかまたは双方の特徴を備えた人間
ということです。
言い換えれば、
「無駄に誠実で控え目な人間」
であり、企業社会においては
「使えない人間」
あるいは
「使いたくない人間」
といえます。
仕事のデキる人間は、以上のような
「評価」
という仕事の本質をよくわかっており、上司から
「どういう結論をデッチ上げてほしいのか」
「デッチ上げの際、どういうロジックが好まれるか」
ということを事前によく確認します。
そして、デキる人間は、眉一つ動かさずに上司の好みに合わせた
「デッチ上げ」
ができ、これを
「客観的評価」
と臆面もなく言い切ることができるのです 。
著:畑中鐵丸
初出:『筆鋒鋭利』No.044、「ポリスマガジン」誌、2011年4月号(2011年3月20日発売)