リゾートに関して、前から思っていることを述べてみたいと思います。
夏になると、都会に住む多くの日本人が、高いお金を使って、混雑した飛行機に搭乗し、こぞって人里離れた田舎に行き、刺激のない時間を過ごされますが、あれって、本当に楽しいのでしょうか。
私は、基本的に、田舎で過ごすより、都会で過ごす方が好きです。
ゴルフをするなら、長時間かけて沖縄やオーストラリアとかまで行って閑散としたゴルフ場でやるより、東京近辺のゴルフ場でプレーし、終わったらすぐに都心の家に帰れる方を選びます。
泳ぐにしても、「わざわざ遠くに行って、ギラギラ照りつける太陽の下、不愉快な砂を気にしながら、まずくて不衛生な海の家の食事に辟易しながら、ヌルヌルして塩っぱい海水で泳ぐ」のよりも、「ニューオータニやオークラのプールで、美味しい肴とカクテルを片手に、快適に過ごし、飽きたら、すぐに都心で遊ぶ」方がはるかにいいと思っています。
無論、スキーやゴルフやサーフィンやウィンドサーフィンやスキューバダイビングといった、特定のロケーションでしか味わえない特異な体験を楽しむためには、遠方のリゾート地まで出向く、ということも理解できます。
雪質の悪い人工雪のゲレンデでスキーをしたり、波がないあるいは風がない海でサーフィンやウィンドサーフィンをしたり、濁って何にも見えない海でダイビングをしてもつまんないですから。
とはいえ、この種のレジャーを楽しむにしても、せいぜい3日で十分です。
それ以降は、都会が恋しくなります。
定年退職した後、今までやりたくてもなかなかできなかった「ゴルフ三昧」の日々を楽しむべく、東南アジア等に移住するシニアの方がいらっしゃるようですが、一月くらいで飽きて、望郷の日々を過ごす、なんてケースもよくあるようです。
どんなに好きなレジャーを、どんなに素晴らしい環境で頼んしでも、最初の3日こそ楽しかったですが、それ以降は限りなく苦痛なんじゃないでしょうか。
例えば、セントアンドリュース・オールドコースや、オーガスタナショナル等で、「何日でもゴルフを楽しんでいい」というオファーがあっても、これらの場所は、ゴルフ以外は、ほぼ何もいないド田舎です。
私は、せいぜい5日くらいで、完全に飽きてしまう自信があります。
おそらく、私と同じように、「リゾートでのバカンスも3日超えたら苦痛」と考える日本人の方は、実は多いのではないかと思います。
鬼界ヶ島に流された俊寛や、隠岐島に流された後醍醐天皇等歴史の例をひもとくまでもなく、日本では、「人里離れた田舎に行き、刺激のない時間を過ごす、リゾートライフ」
という代物は、
「島流し」
と呼ばれていました。
都会に住んであくせく働く現代の日本人にとっては憧れの
「海のきれいなビーチリゾートで、好きなだけのんびり過ごせ」
という
「休暇命令」
ですが、かつては死罪の次に重い刑罰。
俊寛などは、
「青い海に浮かぶ珊瑚礁の島でゆっくり過ごしてこい」
と命じられただけですが、かなりヘコんでしまい、最後は食を絶って自害したとか。
でも、私は、なんとなく、わかるような気がします。
といいますか、
「労働=罰」
「仕事もせずのんびり過ごすこと=幸せ」
という考え方は、最近になって欧米から輸入されたものであり、我々日本人のDNAはこの考え方にどこかで拒絶反応を起こしているのではないでしょうか。
哲学史的な話をすれば、西洋社会における労働は罰として考えられていました。
旧約聖書において、アダムとイブが、神様の言いつけに反して、知恵の実であるリンゴを食べ、この罰として、
「男は労働という苦役を、女は出産という苦役を課せられた」
という経緯が書かれており、西洋における
「労働=罰」
の考え方はこれがバックボーンになっているようです。
ですが、日本人の労働観は、西洋社会のものとは異なります。
「労働というのは、神様の国づくりをお手伝いすることであり、これに参加できることは一種の喜びだった」
という考え方があるようです。
この考え方からすると、
「みんなと一緒に、神様の近く(天皇のいる都)で働くことこそが幸せ」
なのであり、
「一人、田舎でリゾートライフ」
は刑罰であるという話も理解できます。
最近、夏休みを都心で過ごす方が増えたと聞きます。
私も、お盆の時期は、オフィスでスローに過ごし、仕事は早めに切り上げ、人口が減少した都会で快適に遊ぶのが、最高に贅沢な夏の過ごし方だと感じています。
夏を都会で過ごすのは、原油高とか不景気とかによる一時的なものではなく、「実はリゾートライフが嫌い」な我々日本人の本質にフィットした休暇のあり方として今後も根付いていくのではないか、と勝手に思っています。
著:畑中鐵丸
初出:『筆鋒鋭利』No.014、「ポリスマガジン」誌、2008年10月号(2008年10月20日発売)