00090_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」18_(5)何事も目的をはっきりさせるべし(xⅳ)_畑中鐵丸流「楽しい人生」を送るための「各内包要素の衝突調整法」_20191020

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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企業や国家運営は言うに及ばず仕事の上でも、私生活においても、処世全般においても、物事の目的を明確にすることは重要です

そして、「人生」という、この世のすべての方にとって「もっとも、重大で重要なプロジェクト」についても、当然、目的をはっきりさせるべき、という話をさせていただきました。

私個人としても、人生を送る上での目的というものをはっきり、くっきり、明確に堅持しています。

いえ、そんなに、気色ばんで、眦決して吠えるほど、志の高いものではありません。

私の人生において、究極の目的は、「人生を楽しむこと」です。

では「楽しい人生」とはなんぞや、その定義はどうなっているんだ、という具体論をお話ししております。

無論、生きる目的は、ひとそれぞれで、いろいろ異論はあるでしょうが、知性と教養と思考力をフル回転してたどり着いた、普遍的で、みなさんにも納得できるような形で整理した、私なりの「楽しい人生」の定義を紹介しております。

私の定義する「楽しい人生」については、自由であること(その1)美容と健康を保てること(その2)財産があること(その3)尊厳があること(その4)刺激があること(その5)及び自分のコピーを増やすこと(その6)の全てが内包されるべき要素として必須です。

すなわち、自由であること(「楽しい人生」の内包要素その1)や、健康であること(「楽しい人生」の内包要素その2)カネをもっていること(「楽しい人生」の内包要素その3)ナメられない程度の評価基盤、すなわち、尊厳をもっていること(「楽しい人生」の内包要素その4)刺激があること(「楽しい人生」の内包要素その5)自分を実現し、自分を理解し共感し、自分のことを忘れず、埋もれさせることなく、自分の思いを共有し伝播してくれる弟子やコピーを増やすこと(「楽しい人生」の内包要素その6)が、「楽しい人生」であり、私の人生における唯一無二の目的です。

ここで、「内包要素その1」から「内包要素その6」までの各要素間で衝突した場合の調整法です。

すなわち、「内包要素その1」から「内包要素その6」の各要素は、ときに、トレードオフ(あっちを立てれば、こっちは立たず)の関係に立つことがあります。

眦を決して、不眠不休で、ストレスを抱えながら、お金ばかり追いかけていると、美容と健康を害します。

また、どんなにお金があっても、若さや美容や尊厳やカッコよさは買えません。

「アルマーニを着ているものの、見るからに不健康で、不摂生丸出しの大企業の経営者や政治家」と、「ユニクロを着たエグザイル」、どっちがカッコいいですか?

カネや地位のために、人を裏切ったり、嘘をついたり、騙したりするのも、精神衛生上よくありません。

他人に嘘をつくのはまだましです。

カネや地位のために、自分に嘘をつき、自分を欺き、自分を騙し、自分への違和感や嫌悪感を抱えながら生きると、精神的健康を害します。

精神的健康を害すると、体内に悪質なストレスがたまり、血がドロドロになって、代謝が不活発になり、三ヶ月に一歳年をとり、がん細胞が増殖し、美容・健康を害しはじめ、肌が荒れ、終には悪相になります。

政治家や犯罪者が、みな同じような顔をして、同じように不健康で、同じように良い死に方をしないのは、そういう理由です。

要するに、バランスや優劣格付けが大事なんです。

カネをあきらめても信用を維持した方が、尊厳維持や精神衛生上望ましい場合があります。

カネなど失ってもいくらでも取り返せますが、美容と健康を一旦失うと、カネをかけても取り戻すのは不可能です。

トレードオフ関係においてバランスを取ったり、取捨選択が必要な場合があるとはいえ、私としては、「楽しい人生を送る」という人生の目的が明確であり、また、「楽しい人生」を構成する各要素の序列・優劣もはっきりしているせいか、努力の方向性を喪失したり、悩むことも少ないですし、概ね、各要素が実現され、ほどほどに楽しい人生が送れています。

目的が不明確なもののために、貴重な時間や労力を捧げるほど、無駄でつらいことはありません。

「人生を楽しむこと」。

簡単に聞こえるかもしれませんが、この目的を実現するには、時間も労力も知恵もスキルも必要です。

私は、全人生・全精力をかけ、それこそ、死に物狂いで「人生を楽し」んでいます。

楽しい人生を送ると、天国にコネができます。

この世の去り際、笑顔で人生を終えたときに、天使がやってきて、楽しいところに連れていってくれて、死後も楽しく過ごせる。私は勝手にそう思っています。

現世と来世のために、私は、一生懸命、それこそ必死の思いで、人生を楽しんでいます。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.146-2、「ポリスマガジン」誌、2019年10月号(2019年9月20日発売)

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