00098_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」26_(12)大きな仕事をするのに、常識は有害です_20200520

=========================================
本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
=========================================

「常識」
は捨ててください。

そもそも
「常識」
とは何なのでしょうか。

断言します。

「常識」
とは、3歳までに身につけた偏見のコレクションです。

・「『常識』とは、物心つくまでに身につけた偏見のコレクションを指す」(20世紀の天才科学者、アインシュタインの言葉です)
・「三つ子の魂百まで」(ことわざ)
という2つの格言から、当然導かれます。

「常識」
という
「偏見の集積」
をもっていれば、
「いてもいなくても同じの、『大したこと』を何一つできないし、『大したこと』にも関われない、社会にとっては陳腐なコモディティとしての『労働者』」
で終わってしまいます。

いえ、別に、そういう人生が良いとか悪いとか、っていう評価は別です。

「英雄や偉人を目指せ」
というのは、別の言い方をすれば、
「異常者になれ」
というミッションと同様ですし、

そんな人生が苛酷でクレイジーであることも事実です。

とはいえ、冒頭に書きましたとおり、
「個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方」向け
のリテラシーとしては、
「常識」
という
「陳腐な偏見の集積」
は有害だ、という当たり前の事実を指摘しているだけです。

なぜ、
「大したこと」
を成し遂げようとしたり、
「大したこと」
に関わろうとすると
「常識」
という
「陳腐な偏見の集積」
が有害になるか、というと、
「大したことを成し遂げる」
あるいは
「大きなプロジェクトの成功」
という事態は、例外事象であり異常現象だからです。

大きなビジネスや新規のプロジェクトは、フツーのことをフツーにやっていては成功などしません。

トラブルや想定外の連続の事柄が次々生じます。

大きな事業や新規の事業を、地方公務員やフツーのサラリーマンやごく平均的な小学校の教師に、彼らの常識に従って、ごく常識的で穏当な方法に取り扱わせたら、どうなるか、想像してください。大成功するでしょうか、悲惨な失敗をみることになるでしょうか?

大きな事業や新規の事業といった例外事象の対処には、常識や良識は通用しません。

アップルやグーグルやアマゾンの新しい社長が、ビジネス経験も投資経験もない、
「公立小学校の万年ヒラ教師」
が指名されたら、これらの企業の株価は上がるでしょうか、暴落するでしょうか?

1ついえることは、アップルがそのような社長人事を強行する事態になったら、少なくとも、私は、二度とアップル製品もアップル社の株も買いません。そのことだけは断言できます。

畑中鐵丸は、部下に対して、いつもいいます。

「世間で評価される仕事というのは、あらゆる形式やモラルを排して遂行されているものだ」
と。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.153-2、「ポリスマガジン」誌、2020年5月号(2020年4月20日発売)

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です