00127_「退屈で、お上品で、説教臭く、ジジ臭い社訓」を作る会社はたいていブラックだし、未来がない_20210120-20210220

「社訓」
と呼ばれるものがあります。

会社としての訓(おしえ)を略したものと思われますが、会社の役職員すべてが順守すべき、行動規範・指針として定めた理念や心構えを示したものです。

ちなみに、
「ブラック企業が使いがちな社訓キーワード」
と、いうものがあるそうです。

「挑戦(チャレンジ)」「創造」「誇り」「感謝」「最高(最良、ベスト、No.1)」「思いやり」「チーム」「仲間」「誠実」「真心」「正直」「自主性」「働きがい」「愛」「夢」「幸せ」「信頼」「安全第一」「満足」「健康」「感動」「成長」「やりがい」「精神」「姿勢」「向上」「貢献」「社会(の発展、繁栄)」

こういう、抽象的で無内容ながら、耳に心地いい、響きの美しい、デオドランド(清潔)で、お上品な言葉であったり、高潔さ・高邁さが感じられる言葉、逆に言えば、教師や宗教家が使いそうな、説教臭い、ジジ臭い、退屈そうな言葉を社訓にするような会社は、労働者の人権を無視して、奴隷労働を強いるようなブラック企業にありがちだ、ということのようです。

これと似ているのがヤンキーの価値観とされる
「気合主義」

「反知性主義」
です。

斎藤環氏(精神科医だそうです)著「ヤンキー化する日本」(角川ONEテーマ21刊)
によれば、
「ヤンキーは、熟慮を嫌う、理屈を嫌うという反知性主義の傾向が強い」
「ヤンキーにとって無条件に『良いもの』とされている言葉は、『夢』、『直球』、『愛』、『熱』、『信頼』、『本気』、『真心』、『家族』、『仲間』、『覚悟』、『遊び』、『シンプル』、『リアル』、『正直』 … 」
「アツさと気合いで、やれるだけやってみろ、という行動主義」
「判断より決断が大事、考えるな、感じろという世界」
と書いてありますが、ヤンキーとブラック企業って、顕著な親和性があります。

ここで、2019年度に、栄えある(?)ブラック企業大賞に輝いた、M株式会社の社訓をみてみましょう。

Mグループは、技術、サービス、創造力向上を図り、活力とゆとりある社会の実現に貢献することを企業理念に掲げています。これは、創業時の『経営の要諦』に示した『社会の繁栄貢献する』『品質の向上』『顧客の満足』の考え方を引き継いだもので、社会やお客様に対するMの対応の基本精神となっています。この精神を具現化するため、『七つの行動指針』において、社会やお客様などとの高い『信頼』関係を構築すること、最良の製品・サービスや最高の『品質』の提供を目指すこと、研究開発・技術革新を推進し、新しいマーケットを開拓することにより『技術』でお客様のご期待にこたえること、などを姿勢として示しています。この考え方のもと、Mグループでは、高品質で使いやすい製品づくりから、ご購入後のサポート、不具合発生時の対応まで、すべての事業活動において常にお客様の満足向上に努め、社会の繁栄貢献していきます。

この社訓からは、ブラック企業の香りもそうですが、
「気合と勢いがあればなんとかなる」
「考えるな、感じろ」
「ややこしい理屈をこねるより、大それたことを実行した奴が偉い」
「ハートで熱く感じて考えずに行動に移してテッペン取ったれ」
みたいな反知性的なヤンキー臭がぷんぷんしてきます。

こういう前近代的な会社は、従業員の犠牲の下に一生懸命金儲けに勤しんでくれますので、株主にとっては実によい会社です。

その意味では、株を買って株主として資本参加はしたいですが、入社して従業員としては働くのはマジ勘弁です。

日本人や、日本の組織の上層部の方は、昔からこういう
「センスのない訓示」
を作るのが好きだったようです。

戦時中(といっても、第二次大戦中ですよ。京都人みたく「応仁の乱でっしゃろ」とか言わんといてくださいね)、
「教育勅語」
というものがありました。

教育勅語の効果のほどについて、
パオロ・マッツァリーノ著「反社会学講座」(イースト・プレス刊)
に面白いことが書かれています。

「昭和23年の(少年犯罪としての)強盗件数は『戦後最高』の3878件。これは戦後の混乱期だったことを示します。当時の17歳は、教育勅語による学校教育を受けています。近年、教育勅語の有用性を訴える老人がいらっしゃいますが、なんの効果もないことが証明されました。人間、食うのに困れば、盗みを働くのです。道徳教育を強化したところで、犯罪の抑止効果は期待できません」

このように、説教臭い社訓、ジジ臭い社訓、お上品な割に無内容で上っ滑りしているような社訓を作って悦に入っている経営者は、今どき、ちょっとセンスがありませんし、こんなセンスのない会社にロクな従業員は入ってこないですし、業績もイマイチでしょうし、少なくとも、未来はあまりなさそうです。

じゃあ、どんな社訓がいいのでしょうか?

社訓は、人間の本質に訴えて、人間がもつ根源的なエネルギーを解放あるいは活性化させ、これを単一目的に収斂し有機的に結合させ、組織としてのエネルギーに転換させ、組織が希求し、組織でしかなし得ない大きな目標を達成させることに、その本来的役割が存します。

ここで、
「組織が希求し、組織でしかなし得ない大きな目標」
とは何でしょうか? 

「弱者救済」や、
「差別なき社会の実現」や、
「社会秩序や倫理の発展」や、
「健全な道徳的価値観の確立」や、
「世界平和の実現」や、
「環境問題の解決」や、
「人類の調和的発展」や、
「持続可能な社会の創造」なのでしょうか?

また、
「企業活動やビジネス活動において」、
訴えるべき
「人間の本質」や、
活性化させるべき
「人間がもつ根源的なエネルギー」
とは何でしょうか?

「挑戦」や「創造」や「誇り」や「感謝」や「自主性」や「愛」や「思いやり」や「信頼」や「正直さ」や「真心」なのでしょうか?

まったく違いますね。

企業(株式会社)の目的(ミッション)は、会社法の教科書の冒頭に書いてあるとおり、
「営利追求」
であり、それ以上でもそれ以下でもありません。

無論、「非法律的な」目的を主観として勝手に思い込むのは自由です。

しかし、それは、非法律的なものであるがゆえ、他者とは共有出来ないものです。

上場企業が、社長の個人的思い入れで、「わが社は、営利を捨ててでも、従業員への愛や思いやりを優先します。したがって、銀行への返済を停止し、納税を忌避し、配当を無期限に行わず、余剰資金を全て賃金に回します」といった場合を想像してください。

このような「非法律的」な目的を、銀行や、税務当局や、目つきの鋭い投資家が、笑って許してくれるでしょうか?

そもそも、企業(株式会社)は、
「『営利追求組織である企業に集う人間』誰もが本質的に有する、『カネが欲しい』、『地位や名誉や自己承認の欲を充足したい』という無限にほとばしる強烈なエネルギー」
を結集し、収斂させ、有機的に結合させ、これを効果的に発散させて、凄まじいまでの規模感とスピード感で
「営利追求」
目的を達成させようとするのです。

要するに、前記のブラック企業が好むエレガントでデオドランドなキーワードは、このような構造・本質と真逆のものであり、端的に言うと、
「ウソをついている」
といえるのです。

このような
「ミエミエ、スケスケなウソ」
を臆面もなく、かつ偉そうに語る、という下劣で愚劣なところに、ブラック企業やヤンキー集団の本質的いかがわしさが看取されるのです。

外資系の金融企業やIT企業等、しびれるくらい儲かっている会社は、「退屈で、お上品で、説教臭く、ジジ臭い社訓」や「道徳や倫理を説教くさく押し付ける社訓」など作りません。

会社のカルチャーを発信するだけです。

「『カネが大好き・楽しいことや快楽が大好きで、欲まみれで、カネや欲のためにはどんな努力も厭わない』という人間の本質に訴えかけ、人間のエネルギーを健全に爆発させるような、明快なカルチャー」
があり、 これをオープンにする。

ただ、それだけです。

「欲のエネルギーを封印させるような説教臭く、ジジ臭く、年寄り臭く、退屈な社訓」
は、人間の有する本来的な活動指向性と真逆のものであり、本質的・構造的に無理があります。

「本質的・構造的に無理がある」
ような指示・命令は、
「降りのエスカレーターを上れ」
というメッセージと同様であり、一過性はあっても持続可能性がありませんし、早晩、破綻します。

「経営者が自分に対する戒めとしてもつ」
のは結構ですが、教師や宗教家でもない、単なる
「金儲け組織の首魁」にすぎない方々
が、陳腐な戒めを下位の者に説くのは、お笑い草です。

「金儲け組織の首魁」
として下位の者に伝えるべきメッセージは、
「誰もが根源的にもつ欲や好奇心をどのようにして効果的に発散するか」
という点、すなわち、
「『ビジネス』という『ゲーム』」の「ロジック」や「ルール」や「プレーの楽しさ」や「結果の魅力」
であるべきです。

「お金、地位を目標に、わくわくと、刺激を感じ、楽しく努力して、ゲームに勝ち、勝負に勝とうぜ!」
という誰もがもつ欲の本質に根ざしたゲームロジック・ルールやプレースタイルを、ミエル化・カタチ化・言語化・数字化・定量化・フォーマル化し、さらに、イージー化・カジュアル化・面白化させて、健全な欲に溢れた人間の本質を解放させて、金儲けエネルギーに転換させる内容。

これが、
「社訓」
の本来あるべき内容ではないか、と考えるのです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.161、「ポリスマガジン」誌、2021年1月・2月合併号(2020年12月20日発売)