今回は、
「パワー」
というものについてお話したいと思います。
パワー、一般に力といわれますが、お話したいのは動力や馬力の話ではなく、そこはインテリっぽく、権力や暴力や政治力や国家権力など、人や社会を動かす支配の源泉についてです。
1、裁判所のパワー
弁護士として、普段、交渉をやっていると、すぐさま交渉は暗礁に乗り上げます。
一般に、人はお互い折り合えるなら、弁護士になど頼みません。
どれほど努力しても折り合う余地がないから弁護士に頼むわけです。
ただ、そこまで関係が悪化している状況で、弁護士がついた途端にお互い譲り合って話がまとまるか、というと、そういうことにはなりません。
結局、弁護士がついて内容証明郵便によるエレガントな嫌味を言い合っても、すぐに交渉はスタックして(暗礁に乗り上げて)しまい、打開するためには、交渉を進める裏付けとなる力が必要になります。
では、この
「交渉を進める裏付けとなる力」
は何か、というと、もちろん、金属バットやトカレフや柳刃包丁を見せびらかしたり振り回したり、ということも論理上・想像上考えられますが、そこは、我々知的紳士としては、
「裁判所という国家機関による暴力的裁定によって、不利益を食らわせる」
ということを実践します。
すなわち、
「交渉を進める裏付けとなる力」
としては、
「裁判所という権力機関による裁定する権力」
がこれに該当します。
具体的には、どちらかが事件を裁判所に持ち込み(どちらも持ち込むというケースもあります)、裁判が始まります。
しかし、裁判所は、判決に向かってまっしぐらに事実や証拠を検証しはじめる、というわけではありません。
その間に、裁判所は、何度も何度も何度も、くどいくらい、
「もういい加減にしてよ」
っていうくらい、和解を斡旋します。
正確に調べたわけではありませんが、民事裁判がはじまって、最終的に判決で決着するのは3割程度ではないか、と思えるほど、和解で終了する蓋然性は高いです(なお、欠席判決や、銀行や貸金業者が事務的なルーティンで判決取得するような、争いの要素が皆無で、裁判所も事務的に判決をこなすような事件は除きます)。
要するに、裁判所という国家機関が提供するサービスの本質は、
「判決をくれる」
というものではなく、
「『イザとなったら権力的に(あるいは暴力的に)裁定して、どちらかを不幸にどん底に陥れる力』をもった国家機関が主導してお節介を焼き、そのようなパワーを背景に当事者双方を威嚇しつつ、できない譲歩をさせ、和解を強引にさせる」
という面があり、後者の役割を果たす場合の方が相対的に大きい、といえるのです。
2、パワーとプレゼンス
例えば、
「モノ(車でも家でも船でもいいのですが)を売った代金として、1000万円を払う・払わない」
という揉め事が起こり、弁護士同士の交渉が頓挫して、裁判を起こし、ある程度事件が進んだ段階で、裁判官が
「700万円くらいで折れませんか」
と言ったとします。
裁判官は、強制する口調や乱暴な口調や命じる口調ではなく、ドライに、クールに、ジェントルに、エレガントに、のたまいます。
裁判官のそのような優しげな言い方や口調の第一印象を軽く甘く判断して、
「うっせーうっせーうっせーわ。余計なお世話だ、馬鹿野郎!」
と思って、
「嫌です。そんな和解、承服できません。とっとと判決ください」
と言うのは、もちろん当事者の自由であり、実際、そういう対応をする方も少なくありません。
しかし、裁判官の
「700万円くらいで折れませんか」
という提案は、どんなにジェントルに、どんなにエレガントな口調で言ったとしても、
「当該事件を煮て食おうが焼いて食おうが、誰からも文句を言われない、神聖にして不可侵な絶対的権力を与えられた国家機関としての裁判所」
のお言葉であり、そういう話を前提に考えると、この提案は、実は恐れ多くも畏(かしこ)くも
「700万円で妥協せよ」
とお命じあそばした指示ないし命令と理解されます。
この命令に中指突き立て、峻拒すると、待っているのはシビれるくらいエゲツない祟り、ないし報復です。
かくして、裁判官の和解の勧告に対して、
「嫌です。そんな和解、承服できません。とっとと判決ください」
と言った原告は、後日の判決で、こっぴどく報復されます。
すなわち、具体的な和解提案を拒否して裁判所の手を払い除けた原告には、700万円どころか1円も手にできない、そんな残酷な未来が待ち構えるのです。
要するに、裁判所にはパワーがあるのですが、パワーにふさわしいプレゼンス(存在感)が見えにくいため、パワーの実体や大きさがわからず、最終的にゲームに失敗する、ということなのです。
裁判なり交渉なりトラブル処理というゲームをうまく進めるためには、ゲームを動かす決定的パワーを察知し、その所在を把握し、うまく働きかけて、ゲームを制御していく観察力と想像力が必要である、と総括できますでしょうか。
著:畑中鐵丸
初出:『筆鋒鋭利』No.166、「ポリスマガジン」誌、2021年7月号(2021年6月20日発売)