00146_改めて「教育」というものを考える(4)_20220920

「教育再考」
と題し、改めて
「教育」
というものを考えております。

今回は、教育との関係でよく話題にのぼる
「学歴」
というものについてです。

まず、少し脱線した話から入ります。

私は、経営者の知恵袋として、投資案件の評価・助言をすることがあります。

顧問先の経営者が、
「知り合いの経営者から紹介された『投資のプロ』と称する人間」
から、
「極めて高度な投資理論を使った、安全で、儲かる投資案件」
を持ち込まれたことから、私が、案件の内容を聞き、私の評価・助言を聞いてみたい、ということで、当事務所で面談しました。

自称
「投資のプロ」
は、高そうなスーツに、高いネクタイをぶら下げて、理解しがたい、難解そうな理屈を並べ立てて、自分が提案する投資案件がいかに儲かるか、どれほどの投資家がこぞって投資を望んでいるか、を滔々と述べ立てます。

私は、コメントを求められましたが、
「私にはわかりません。理解できません」
と返答しました。

自称
「投資のプロ」
は、
「弁護士さんには難しいでしょうね。新しい投資商品ですから」
などとやや小馬鹿にしたような目線で返し、
「じゃあ、進めてよろしいでしょうか?」
と畳み掛けます。

私は、
「いや、やめておいた方がいいでしょう」
と答えました。

場が凍りつきます。

私は続けます。

「先程から、いろいろ小難しい話をされていますが、これって、たかが金儲けの話。儲かる話、の説明ですよね。1万円札を5000円で買って、買った1万円札を2万円で売れる。そんな程度の話ですよね。別に量子力学の議論をしているわけでもないし、ホッジ予想やリーマン予想や宇宙際タイヒミューラー理論の話でもない。単なる金儲けの話。そんな単純な話なのに、私はまったく理解できない。『たかだか金儲けの話なのに、この私が理解できない』という点が問題なのです。言えば嫌味になりますが、私は東京大学教養学部文科一類、通称東大文一に現役合格しております。バカでは合格できません。相応に国語読解能力が必要です。したがって、私は、世の中の方々の平均以上に国語読解能力があります。その、東大文一現役合格した私がもっている国語読解能力を総動員しても、あなたがおっしゃる、たかが金儲けの話が理解できない。別に、宇宙の成り立ちの話ではない。ニュートリノの話でも、メッセンジャーRNAの話でも、ABC予想の話でもない。何度も言いますが、たかが、金儲けの話です。にもかかわらず、東大文一の国語読解能力を総動員して2回繰り返し聞いても、どういう構造と論理で儲かるのかが理解できない。この場合の可能性は2つしかない。1つは、『あなたが、東大卒の想像と理解を絶するほど非常に高度に知的で、話されている内容がポアンカレ予想や量子力学並に難解で、そのために、東大卒風情の私が理解できない』という状況。あるいは、『あなたが話している内容が狂っているか、騙そうとしているから、東大卒の知性と理性を総動員しても、混乱した内容なので理解できない』という状況、のどちらかだ。で、失礼ですが、あなたの学歴をお尋ねしてよろしいでしょうか。」
と。

そうしたところ、自称
「投資のプロ」
は、そそくさと逃亡しました。

あとで詳細を確認したところ、マネロン絡みの法令抵触リスクの高い取引のブリッジファイナンスで、
「1万円札の洗濯をお願いするのに5万円払って、一歩間違うと、犯罪行為に加担したとされるリスクを引き受けてもらう」
という話でした。

犯罪行為の加担としての
「お金の洗濯の資金と名義協力」
を、(あくまで)
「投資商品」
と言い張るため、まともな思考を前提とする東大卒の頭脳では、理解できなかったというオチ。

ただ、それだけでした。

その後、紹介した知り合いの社長も含めて、たくさんの被害者が出たことを知りました。

なお、こういう言い方をすると、そそっかしいアホは、私のことをこう言います。

「畑中鐵丸は、学歴偏重主義者で、学歴差別主義者である」
と。

アホでなければできない誤解です。

私は、学歴差別主義者とは、真逆の人間です。

人間は、ラベル(学歴や表層)ではなく、レベル(本質・実体・行動)で判断します。

私は、
「学歴」
などというくだらないものは、エルメスのバッグやフェンディのお洋服と同じで、
「単なるファッションアイテムであり、アクセサリーにすぎない」
と捉えています。

シャネルを着た泉ピン子と、ユニクロを着た滝沢カレンと、どちらがどうか。

こういう課題を設定すれば、
「ブランド」
というものの本質が見えてきます。

私は、
「ブランド」
は、くだらなく、価値がない、と思っています。

私は、着ている服ではなく、中身を重視しますし、着ている服にはごまかされません。

私は、
「学歴やブランド」
を、徹底的にバカにしていますし、価値を認めません。

また、私は、
「学歴やブランド」
そのものもバカにしますが、
「『学歴やブランドといった、実にくだらないもの』を盲信する人間」
も、徹底的にバカにしていますし、価値を認めません。

私は、学歴はおもちゃにして遊びますが、学歴を神聖視したことなど、一度もありません。

「ホンモノの学歴偏重主義者、学歴差別主義者」
とは、学歴を神聖視する
「ほんまもんのアホ」
のことです。

そういう、
「学歴といった『くっだらないもの』をありがたがり、神聖視するアホ」
は、神聖な学歴を軽々しく議論の俎上に載せたり、おもちゃにして遊んだりしません。

この世には、
「ホンモノの学歴偏重主義者、学歴差別主義者」
という生き物も実在します。

法曹界や中央官庁の役人や上場企業に勤務する東大卒の中には、そのような
「変わった生き物」
の存在が確認されています。

「ホンモノの学歴偏重主義者、学歴差別主義者」
という
「変わった生き物」
は、学歴の話を公共の場で、軽々しく、ライトに、カジュアルにするようなことは、絶対しません。

私のように、ネタとして、小話として、あっけらかんとして、おもしろおかしくして話すことは、絶対しません。

「ホンモノの学歴差別主義者・学歴偏重主義者」
が学歴の話をするときは、裏でコソコソします。

なぜなら、こいつらにとって、
「学歴」

「神聖不可侵なもの」
だから。

私のように、
「神聖にして、高邁なる学歴」
を、ファッションアイテムやアクセサリー程度に扱ったり、話の小ネタとして
「おもちゃ」
にして遊んだりすると、こいつらはキレます。

要するに、こいつらは、
「学歴くらいしか誇るもののない、正真正銘、ホンモノのクズ」
なんです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.180、「ポリスマガジン」誌、2022年9月号(2022年8月20日発売)