弁護士は、
・状況を正しく認識し、
・状況の意味も正しく解釈し、
・描ける現実的なゴールについて明瞭に把握し、
・現状とゴールの間に横たわる課題(なかんずく、非常識な相手の意図や行動)についてもれなく抽出し、そこに至る道筋やイレギュラーが生じた場合のゲーム・チェンジを想定し、
・実際、戦略実施過程に入ると、あの手、この手、奥の手、禁じ手、寝技、小技、反則技を駆使して、最後まで交渉・闘争を続ける、
というイメージを持ちます。
言わずもがなでしょうが、クライアント本人とのチームビルディングが万全にできないと、どんなに正しい戦法も実現できません。
ところが、
・状況の認識、
・状況の意味の解釈、
・現実的なゴールについてのイメージ、
・課題の抽出、
・ゴールデザイン、
・戦略やゲーム・チェンジの想定、
・実施過程での非常識な方法を含めたタブーなきあらゆる手段の構築と実施、
すべてにおいて、話が噛み合わないことがあります。
言葉を変えると、(クライアントの)常識フィルターや思い込みバイアスが障壁となって、フラットな情報やリテラシー共有環境が築けず、いわゆる
「人の和」
も築けず、最後は、あまりのコミュニケーション障壁の高さに、弁護士が感情的になるほどの有様です。
たとえば、
「○○円さえ渡せば、相手もおとなしくなって、常識が通用するようになるだろう」
という思い込みをもつクライアントが、弁護士から
「優位に立った非常識は、常識に遠慮するどころか、(相手方は)ますます図に乗り、のさばり、全てを奪っていく」
という可能性・危険性を伝えられ、それを否定するようであれば、(弁護士としては)手の打ちようがないのです。
平和のための○○円というカネの提供が、
「相手をビビらせれば、金が出てくる」
というメッセージを相手方に与えてしまい、そこから、際限なき譲歩を迫られていく、というシナリオ(無論、可能性に過ぎませんし、そこまでに至らない可能性もあるかもしれませんが)への配慮がなされないからです。
あるいは、これまでの(相手方との)契約において、(クライアント本人が)しっかり内容を把握せず、あるいは、その悪意を解釈することなく、署名してきた文書があるとすれば、
「漢字が多く、意味解釈が困難で、一件しておどろおどろしい法的手続」
を誇示してちらつかせれば、いくらでも、言うことを聞いてくれる、ということを、相手方に教えてしまうことになります。
相手にとっては、こんなラクな相手はありません。
そして、
「敗戦交渉するのは、単に、武装解除して、白旗上げて、手を上げれば、それで、最低限の尊厳は確保される」
というのもまた思い込みです。
負けを悟って降伏した相手を、人間として尊重し、敬意をもって処遇したのは、日露戦争の日本軍か、第二次世界大戦の英米の軍隊くらいで、強盗・レイプ集団と化した、ソ連の満州侵攻や、会津戦争の薩摩兵の狼藉ぶりの方がデフォルトイメージです。
「優位に立った非常識は、常識に遠慮するどころか、ますます図に乗り、のさばり、全てを奪っていく」
という可能性・危険性は、こういう歴史的事象から推察される真実を前提としています。
敗戦交渉をするなら、最後まで抵抗する姿勢をみせ、
「いざとなったらいくらでも抵抗し、辟易させる」
と武威を示しつつ、ナメられないようにして、勝ち取るべきもので、相手の要求したものをもっていたら、それで相手が笑って許してくれる、というものではない、という認識です。
以上のような、保守的で、警戒心と危惧感にみちた、ネガティブな考え方も、
「絶対そうなる」
ということは言えません。
だからこそ、状況認識や、状況解釈、想定については、弁護士とクライアント本人、
「共通のリテラシーに基づく、高度の信頼関係」
が必要なのです。
「言葉は通じても、(紛争・有事対応のテーマについては)話は通じないし、リテラシーやマインドセットは完全に隔絶」
という状況では、敗戦処理すら、ままなりません。
私が、
「弁護士」
として接する際には、活動前提として、
「共通のリテラシーに基づく、高度の信頼関係」
の構築をクライアントに要求します。
この関係構築ができなければ、どんなにお金を積まれても、依頼を引き受けないし、相談を受けない、ということを、自分の仕事の流儀としています。
そのため、
「後からするケンカを、先にしておく」
といった形で、依頼を受ける際、たいていのクライアントと大喧嘩から始まります。
「“常識”対“非常識”の話」
や
「バチカンの天動説の話」
をすれば、たいていの
(“常識”という“偏見のコレクション”に冒された)クライアントは、激怒しますし、感情的になりますから、当然といえば当然です。
実の親からも仕事の依頼を受けたこともありますが、その際、あまりの
「常識バイアス」
の酷さに辟易し、
「いい加減、くだらない常識を捨て、プロが伝える、正しい非常識を優先して、物事をみろ!」
と怒鳴り飛ばし、最後は詫びを入れさせ、ことあるごとに、頭を下げさせ、ようやく、バイアス補正の上で、一定の成果を出したことがあるほどです。
「難事にあたるプロは、決して親しい人間の依頼を受けるな」
という箴言を身をもって思い知りました。
親しい関係があると、どうしても、目先の人間関係をこじらせたくないあまり、
「共通のリテラシーに基づく、高度の信頼関係」
構築前提の際の、
「後からするケンカを、先にしておく」
ということをおざなりにしがちです。
結局、
「後から津波が来ないように、最初に波風を立てておけ」
という仕事の前提環境作りが機能せず、あいまいな関係のまま、ずるずると関係ができてくると、お互いストレスが蓄積し、最後は不幸な結果に至るのです。
著:畑中鐵丸