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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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企業や国家運営は言うに及ばず、仕事の上でも、私生活においても、処世全般においても、物事の目的を明確にすることは重要です。
そして、
「人生」
という、この世のすべての方にとって
「もっとも、重大で重要なプロジェクト」
についても、当然、目的をはっきりさせるべき、という話をさせていただきました。
私個人としても、人生を送る上での目的というものをはっきり、くっきり、明確に堅持しています。
いえ、そんなに、気色ばんで、眦決して吠えるほど、志の高いものではありません。
私の人生において、究極の目的は、
「人生を楽しむこと」
です。
では
「楽しい人生」
とはなんぞや、その定義はどうなっているんだ、という具体論をお話ししております。
無論、生きる目的は、ひとそれぞれで、いろいろ異論はあるでしょうが、知性と教養と思考力をフル回転してたどり着いた、普遍的で、みなさんにも納得できるような形で整理した、私なりの
「楽しい人生」
の定義を紹介しております。
私の定義する
「楽しい人生」
については、自由であること(その1)、美容と健康を保てること(その2)、財産があること(その3)、尊厳があること(その4)に加え、その5として、
「刺激があること」
も内包すべき要素として必須です。
自由で、健康で、カネがあり、そこそこ威張れるアクセサリー的な肩書や地位や経歴だけあっても、
「死ぬほど退屈な人生」
しか送れず、人生楽しめない、という人はいると思います。
古今東西、王族や貴族といった方々は、それこそ、自由で、健康で、カネがあり、これみよがしの評価基盤をもっていますが、彼らは、それだけでは決して満足しません。
彼らは、恋や冒険やギャンブルや決闘や戦争といった、ときに死と隣り合わせになるような危険を内包するような行為を含む、刺激を求めます。
ある小説のリッチな主人公が
「3週間は私の脳には永遠と一緒。常に刺激を与えないと、退屈の病により死滅する」
と述懐していました。
「退屈で死ぬ」
ということはないでしょうが、刺激のない、退屈な人生は、どんなに自由で、健康で、お金や地位・肩書に恵まれても、送っていても楽しくなく、死んでいるような無意味で無価値なものです。
そもそも、人間はカネが好きで、利益追求に敏感です。それに加えて、あるいはそれ以上に、刺激があること、ワクワクすること、面白いことが大好きです。
人間がおぞましいまでに忌避し嫌うのは
「退屈」
です。
楽しいこと、刺激のあること、ワクワクすること、面白いことがあるなら、報酬なしでも、あるいは大金をドブに捨てても、危険なこと、大変なこと、苦労することに挑戦します。
今でも、世界の金持ちは、ロケットを飛ばし、宇宙に行こうとします。
宇宙のビジネスを展開するとか、ロケット技術を応用した開発を商業利用するとか、とってつけたような
「事業目的」
が掲げられていますが、実際のところ、単純に、
「人生を楽しむために、刺激を求める」
という根源的欲求の端的な発現であり、金儲けとかビジネスとかは、後付けだと思います。
行動経済学の理論的基礎を作った進化心理学的知見に鑑みれば、我々の遺伝子レベルにおいて、
「思考の偏向的習性」
として、楽しいこと、刺激のあること、ワクワクすること、面白いことに傾倒する思考や勘定の動きがビルドインされているのだと思います。
旧石器時代に、獣や敵に襲われることを怖がって、退屈に耐え、洞穴にじっと隠れ続けるような偏向のある人間は、片っ端から餓死して、そのような遺伝子はことごとく淘汰されたはずです。
生き残ったのは、退屈を忌避し、安全を無視・軽視し、リスクを取って、武器を手にして、外に出ていきたがるという偏向をもった人間であり、現代に生きる我々人類は、全員、退屈を死ぬほど嫌がり、刺激を求め、変化を求め、愉快でワクワクするような行動を好むという基本スペックを遺伝子レベルで格納しているのです。
ともあれ、
「死と隣り合わせの危険を冒してでも、宇宙に行く」
という激しい刺激ではなくとも、楽しい人生を送るためには、興奮したり、ワクワク・ドキドキできること、新しいもの・感動するもの・素晴らしいものを見たり触れたりできること、世界観が変わること、知らないことを発見したり再認識できたりすること、一流の人と交流し啓発されることは必要だと思います。
どこの国でも、大都市に人口が集中し、周辺の町は無残に廃れます。
これは、刺激を求める人間の本能に根ざします。
様々な人間が集う都市には、常に刺激に満ちています。
また、関係が固定化されるような田舎特有の閉塞感もないため、都市の空気は、人を自由に、活発にします。
そして、都市は、都市に住まう人々に自然と進取の気性を涵養します。
そんな理由からか、
「楽しい人生を送りたい」
と考える私が、住まう街は、現在のところ、東京一択です(もちろん、ひとそれぞれですし、異論はあると思いますが、私個人の意見としては、「生活に刺激を求める」なら、東京が最有力候補になるであろう、と思います)。
著:畑中鐵丸
初出:『筆鋒鋭利』No.145-1、「ポリスマガジン」誌、2019年9月号(2019年8月20日発売)
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