00093_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」21_(7)カネより、健康より、命より、大事なものは「時間」_20200120

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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1 カネより、健康より、命より、大事なものは「時間」

生きる上で、時間を最も大切にすべきです。

カネより、命より、健康より、大事なのは時間です。

世の中、最も大事な資源は時間です。

2 進行した癌は治療できない。カネとエネルギーを使ってやっているのはただの「延命」。ただ、それでも、「時間稼ぎ」は尊い、貴重な営み。

癌が一定程度進行した場合、医者がやっている
「治療」
と称する営みのほとんどは、ただの時間稼ぎです。

進行したガンに対して医者がやっていることは、死ぬまでの時間を、1年を2年に、2年を4年にしているだけなのです。

いってみれば、
「進行したガンについて、往生際悪く、ジタバタする営み」
です。

このような
「時間稼ぎ」
「引き伸ばし」
をガンの治療と呼称するようです。

一定程度進行したガンは、ほぼ治りません。

絶対死にます。

絶対です。

例外はありません。

カネとエネルギーと高度な医療技術をかけて、進行したガンに対して医者がやっていることは、死ぬまでの時間を先延ばしするための努力です。

では、これって無駄で無益で愚かな営みなのでしょうか?

いえいえ。

非常に、重要で、価値と意義がある、尊い営みです。

何故か。

時間を得られるからです。

死ぬまでの時間を1日でも、1時間でも伸ばせるからです。

逆にいえば、そのくらい、時間は貴重なのです。

3 「人生=時間」であり「時間を失う=人生を失う」

時間というのは、人生そのものです。

「時間を失う」
ということは
「人生を失うこと」
と同義です。

懲役10年とか20年とか無期懲役刑といった
「人間から時間を奪い、国家権力が時間をコントロールする刑罰措置」
があります。

死刑判決を受けると人生を奪われますが、その次に奪われるものは、時間です。

懲役刑が設定構築された背景というのは、犯罪に対する刑罰を想定するにあたって、人生に準じて、
「人生を奪うのに匹敵する貴重なもの」
を奪うペナルティ、あるいは
「人生そのもの全部を奪うほどではないにしても、人生を一部切り取って奪い去る」
ペナルティとして、犯罪者に苦痛を与えようしたものとして考え出されたものと推測されます。

このような刑罰制度の仕組みを考えれば、時間を奪われることが人生を奪われるに匹敵するほど、人間に重篤なダメージに与える、ということを端的に表しています。

すなわち、時間は人生そのものといえるほど重要な価値と意義を有するのです。

4 「カネで時間を売る労働契約」は「カネで人生を売る契約」を意味する

話は変わりますが、最近、残業代未払いについて、多くの事件が裁判所に係属しています。

ほとんどすべての残業代未払事件において、裁判所は、厳しい態度で企業に向き合い、企業の言い分に一切耳を貸さず、過酷なまでの厳格さで企業に対して、労働者への未払残業代の支払清算要求をします。

企業としては
「ちょこっと残業してもらうくらいいいじゃん。そんなにガタガタいうなよ。こっちも労働者の面倒みてんだから、お互い様じゃん」
という考え方をもっているようです。

しかし、このような考え方は、
「人生における時間というものの意義や重要性について、狂った感受性の下、致命的な誤解をしている」
といわざるを得ません。

労働契約は、
「誰にも等しく与えられ、誰からも等しく奪われる、この世でもっとも貴重な、『時間』という資源」
を、労働者からカネを払って買い上げるという取引です。

時間とは人生そのものであり、労働契約は、労働者からすると、
「企業に時間を切り売りする」
すなわち
「企業に人生を切り売りする」
という性格をもちます。

このような取引対象の決定的重要性から、労働契約という、
「『労働者の人生』を時間単位で切り売りされたものを、企業が、自らの金儲けを手伝わせるために買い上げる取引」
は、厳格な取引ルールによって規制すべき、というのが労働法の本質的要求なのです。

残業問題は、
「サービス(残業)だし、お互い様なんだから、ちょっとくらい、いいじゃん」
と軽く扱っていいものではなく、行政当局も、司法当局も、裁判所も、
「厳格な時間計算ルールや適用例外についての取扱い」
について徹頭徹尾企業に厳しい解釈を行い、一致団結して、労働者に寄り添って保護救済しようとするのです。

5 「カネがあっても時間は買えない」が「時間さえあればカネは作れる」

カネがあっても時間は買えませんが、時間さえあればカネを作れますし、やろうと思えばなんでもできます。

時間の価値に気づきましょう。

くだらないこと、無駄なこと、どうでもいいことに費やす時間をなくしましょう。

6 千里の道はジェット機で

千里の道を、一歩一歩、歩いていませんか?

知人弁護士が言った言葉ですが、
「千里の道はジェット機で」(制作/著作:井藤公量弁護士)
行くべきです。

とはいえ、どこぞの奥地で文明から隔絶した社会で生活するような方は、千里の道を歩くことしかできません。

ジェット機の存在を知らないからです。

ジェット機という交通手段の存在や、チケット購入方法や搭乗方法を知らないと、ジェット機には乗れない。

人生においても、
「ジェット機」
のような方法論や選択肢があるにもかかわらず、これを知ることなく、知ろうともせず、興味も関心もなく
「ボーっと生きて」
しまっていて、バカみたいに、一歩一歩歩いている、というような状況に陥る場合があります。

「そんな方法があったんだ」
「なんだそうすりゃよかったじゃん」
「若いときにもっと勉強しとくんだった。なんでこんなに無知でバカだったのか」
と、
「ジェット機」
の存在を後から知って、悔しい思いをする。

そんな状況や場面ですが、皆さんも心当たりがあるのではないでしょうか。

7 時間を大切にする生き方は、知性が必要であり、脳に負荷がかかる

「千里の道はジェット機で」
とはいうものの、
「時間を節約し、人生を実りあるものにする、効率的な方法の模索・発見と選択」
には、特に、知的に苦しく、脳に負荷がかかることがあります。

「効率的な方法の模索・発見と選択」
という営みにおいて、知的・精神的ストレスやプレッシャーをエネルギーに転換し、効率的な方法を探し出し、ブレークスルー(課題突破)する。

この種の頭脳・精神面における負荷は、成功体験と相まって、人生に心地よい刺激をもたらし、健康に良い影響を与え、若々しさをもたらします。

「ボーっと生きている」
と、愚かになり、老け、病気になり、早死します。

絶えず時間を効率的に使い、百里の道も、千里の道も、ジェット機でぶっ飛ばし、スマートに、スピーディーに、ソフィスティケートされた人生を歩みましょう。

8 「効率的な生き方のために必要な知性=思考の柔軟性、経験の開放性、新奇探索性、謙虚な自己評価

そのために、柔軟な思考と、経験の開放性と新規探索性をもち、知ったかぶりをせず、謙虚にたゆまぬ知的努力をして、キビキビとスマートに、スピーディーに生きていきましょう。

とはいえ、努力やガンバリといっても、無駄なことや無意味なこと、無益なことや無理なことに、時間やエネルギーを費やしても、それこそ
「時間の無駄」
であり、
「人生の無駄」
です。

すなわち、
「無駄な努力」、
「不効率な努力」、
「無益な営み」、
「絶対的に無理で不可能とわかっていることに挑戦すること」
にはまったく価値がありませんし、時間の無駄、人生の無駄です。

 苦手なことや不得意なことはとっととあきらめ、自らの強みを知り、自分の強みを活かすべき

「自分に合わない、自分が好きでもなく、得意でもなく、誰も評価してくれない、まったくの無意味で無価値な営み」
を延々と続けることは、無駄で愚かな人生です。

「まったく不可能なこと、絶対できないこと」
に努力しても、絶対結果が出ませんし、一瞬たりとも関わるべき、試みるべきではありません。

また、
「一瞬であれば、ちょっとできそう」
なことであっても、
「好きでもなく、得意なことでもない」
ことについては、これも関わるべき、試みるべきではありません。

「好きでもなく、得意なことでもないこと」
は、
「少しであればできそう」
といっても、持続可能性が保てません。

長続きしません。

そうすると、下りのエスカレーターを登るのと同様、そのうち、嫌になり、続かなくなり、やらなくなり、完全にやめます。

経営思想家ドラッカーは、
「強みの上に築け(Build on strength)」
「得ての上に自らを築け(Build on your own strength)」
といいました。

人間は強みを知り、強みを活かすべきです。

弱みや苦手なんてほっておくべきです。

弱みや苦手があっても、強みがあれば、認められますし、生きていけます。

そうすれば、弱みや苦手は、
「短所」

「欠点」

「偏り」
ではなく、
「個性」
として受け入れてもらえます。

弱みを克服している間に一生が終わってしまいます。

弱みを克服するだけで終えてしまう一生ほど、無駄で、無意味なものはありません。

それこそ、
「千里の道はジェット機で」
ではありませんが、弱いところ、苦手なところ、どうでもいいことは、カネやコネを使って外部から調達すればいいのです。

10 どうやったら、自らの強みを知り、自分の強みを活かして、貴重な時間を無駄にしない人生を送れるか

では、何が
「強み」
なのでしょうか?

どうやったら
「強み」
をみつけられるのでしょうか?

実はこれがなかなか難しい。

「小学生で強みを理解できてその後世間に評価される人間」
もいれば、
「60歳になっても自分探しをしたり、強みがわからず、引きこもって、社会参加をせず、鬱屈した人生を送る人間」
もいる。

「自分の強み」
はなかなか理解できない。

なぜなら、自分の強みとするところは、自分では普通であり、日常であり、価値があることに気づかないからです。

他方で、弱みは、よくみえます。  

劣等感を刺激し、他人の目を過剰に意識するからです。

そして、たいていの方は、弱みを過剰なまでに意識し、そこを目立たなくするため、人生をかけて無くそうとし、無駄で無理な努力を重ね、時間を、人生を丸ごと費消してします。

ここに身長180センチの女子高校生がいるとします。

彼女が、高い身長を弱みやコンプレックスと考えて、何とか解消しようとしたとしましょう。

そんな時間の使い方やそんな人生は、正しく、意義があるでしょうか?

背を低くする薬や手術を探して奔走するのは、賢明で、有益な時間の使い方、人生の過ごし方でしょうか?

「高い身長を弱みやコンプレックスと考えて、これを解消しようと、背を低くする薬や手術を探して奔走する人生」
ほど、無駄で、無理で、馬鹿げたものはありません。

そんな方法はまず存在しないし、みつからないでしょうし、あるにしても、おそらく致命的な犠牲や代償とセットになる危険なもののはずです。

そんなくだらないことにエネルギーを注ぎ込むなら、高い身長を
「強み」
と捉えて、パリコレモデルや、宝塚の男役や、バレーやバスケットの選手を目指すべきです。

弱みを解消するために時間を費消するより、強みを活かすために時間と努力を重ねる方が、はるかに有益で実りある人生を送れます。

11 まとめ

正しく物事の本質をみぬく知性を身につけ、明確な目的を持ち、とっとと課題の発見・特定を行い、当該課題を処理するための合理的な選択肢を抽出し、
「千里の道をジェット機で行く」
ような最も効率的な選択肢を選択し、
「目的優先、世間体軽視、常識無視」
の姿勢で、誰よりも、スピーディーに、スマートに結果を出す。

そして、余った時間で、実りある人生を大いに楽しみましょう。

これこそが、意義と価値ある時間の使い方であり、人生の過ごし方です。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.149、「ポリスマガジン」誌、2020年1月号(2021年12月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.150、「ポリスマガジン」誌、2020年2月号(2020年1月20日発売)

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