1、他人の話をよく聞く
期限が来たりして、迷ってばかりいられなくなって、いよいよ、「もう、そろそろ決断しなきゃいけないな」って話になりました。
そのときにはいろいろ悩んで、情報を分析して、評価してから、決断するんですが、個々の人間の持っている認識とか情報とか分析力とかを含めた知的資源は限られています。
「奥ゆかしく、慎ましやかで、謙虚な畑中鐵丸」としては、言うのが相当憚られますが、自慢でも何でもなく(ウソです。ほんの少しだけ自慢がはいちゃったかもしれません)、一応、東大卒です。
もっと言えば、東大文Ⅰ(東京大学教養学部文科一類)現役合格です。
それが、どうした!
うっせえ、うっせえ、うっせえわ!
テメエなんか、たいしたことねえわ!
という声が聞こえてきそうですが、はい、そのとおり。
おっしゃるとおりです。
全く、たいしたことありません。
しかし、そこそこ勉強してきたことは事実ですし、その過程でそこそこ知識も情報も知性らしきものも教養みたいなものも、ほんの少しだけ獲得出来たような気がします。
控え目にいっても、「日本人成人の平均レベル」程度には、知識も情報も実装しているかな、くらいは言えると思います。
加えて、弁護士も20年やってますから、普通のサラリーマンや専業主婦の方くらいには、世の中の仕組みの本質や、裏の話も表の話についても、知っていますし、健全な懐疑能力も持っている(つもりです)。
そんな私でも、(って言ったら、「テメエ、バカなんだから、テーリメぇだよ」とか突っ込まれそうですが、勇気を振り絞って、あえていいますが、)そんな(日本人平均レベル程度の知的資源は有している、いい年こいたオッサンの)私でも、いまだに、「世の中って不思議だな」って思うこととか、「世の中に、こんなこともあったんだ!」って驚くことがあったりします。
要するに、そんな(日本人平均レベル程度の知的資源は有している、いい年こいたオッサンの)私でも、知らないことだっていっぱいあるわけです。
あるいは、知ってるつもりになっても、実は間違えて理解していたってこともあったりします。
50を超えても、ですよ。
じゃあ、私、バカなんでしょうか?
確かに、そんなに頭良くないですが、バカってほどバカじゃないと思います。
一応、それなりの大学出てますからね。
また、それなりに難しい司法試験に、それなりに合格率が低かった時代に(※どうでもいい話ですが、私が合格した平成3年当時の司法試験の合格率が、受験者合計22,596人で、最終合格者が605人だったので、対出願者合格率は2.94%でした)、まがりなりにも通ってますしね。
弁護士もやってますし、社会生活も営んでおり、いい年こいていますので、それなりに知識や情報はあるはずです。
「それでもなお、この世の中に、分かんないことが山程ある」ってことは、やっぱり「個々の人間の持ってる情報や知識といった知的資源には限界がある」という厳然たる事実を示唆しています。
しかも情報を誤解してる場合もあったり、あるいはバイアスが掛かってる場合もあったりしますから、人生、生きていると秒毎に、間違ったり、誤ったりしています。
「常識で考えたら、当たり前でしょ。これが正しい決断」って言われても、それが間違いということも結構あります。
かの、アインシュタインさんいわく、「常識とは、物心つくまでに身に付けた偏見のコレクション」ってことです。
三つ子の魂、百まで。
三つ子の偏見、百まで。
三歳児が獲得したバイアスは百歳まで続くんだ。
って話があるぐらいですからね。
ですから、自分の常識ってのは当てにならない場合があったりします。
自分の情報も知識、実は見間違い、聞き間違い、勘違い、誤解や偏見だったりすることも平気であります。
その意味では、「いろいろ悩んで、情報を分析して、評価してから、決断する」ってときには、いろんな人の話を聞いたほうがいいです。
いろんな人の話を聞いている間に迷っちゃうぞって話ありますけど、迷うのはいいんじゃないですか。
別に急ぐことないですから。
2、「アツく」ならず、冷静に他人の話を利く精神的余裕(冗長性)を持っておく
迷ってもいいし、他人の意見を聞いたほうがいいんですよね。
ただ、意見を聞くときにも、これスキルあるわけですよね。
「自分の感覚で決めろ」とか「考えるな、感じろ」「アツくなれ」みたいなこと言われますけど、そんなアツくなっちゃ駄目ですよ。
たいてい、アツくなるほど、冷静さを失わなければ間に合わないほどの決断ってことじゃないかもしれませんから。
建物が火事になって逃げるか逃げないかって話なら、これはもう決断もへったくれもありません。
逃げる、の一択です。
火事に巻き込まれて逃げるとき、他人の話を聞く余裕もないですから、それはもうしょうがないです。
ただ、そんな「考えるな、感じろ」みたいな「アツくなるほど、冷静さを失わなければ間に合わないほどの決断」を迫られる切羽詰まった状況っていうのは、本当に一生過ごしても来ないかも分からないぐらいですから、そんな急ぐことないわけです。
3、聞く相手を間違えない
他人の意見を聞いた方がいいのですが、ただし、聞く相手を間違えちゃ駄目ですよ。
特に、当該決断によって利益を得る人や、損害を被る人ですが、こういう当事者とか利害関係人からの話とか情報とかは、絶対に聞いちゃ駄目です。
耳汚しなどという生易しいものではなく、騙りに近い、ウソの危険性がある、有害なノイズです。
株を買う、不動産を買うときに、「当該株を売ってくれる人」、「当該不動産売ってくれる人」からの情報っていうのは、絶対、聞いちゃいけません。
ノイズです。
危険で、有害で、頭を狂わせる、致命的で破壊的なノイズです。
うまーいこと、持っていかれるように仕組まれたバイアスが必ず入っている可能性があるからです。
だって、その不動産や株について、買い手さんが買ってくれたら、「当該株を売ってくれる人」、「当該不動産売ってくれる人」にとって利益になるんでしょ。
そりゃ、あばたもえくぼに、美しい誤解を招くような言い方しますよね。向こうだって商売ですから。
また、そんな美しい誤解を撒き散らすような情報があるかないか、分かりませんし、検証しようがありません。
もちろん、不動産にしても株にしても、ちゃんと価格の根拠となる情報は存在します。
株だったら有価証券報告書ありますし、会社四季報もありますし、ヤフーファイナンスなどの情報サイトをみても、PBRやらPERやらROEやらの各種財務指標に加え、信用倍率やらチャートやら価格根拠情報が山のように掲載されています。
不動産についても、重要事項説明書という精密な書類でいろいろな価格根拠情報が作成され、手渡されます。
ところが、普通の人は、不動産の重要事項説明書とか、あるいは有価証券報告書とか、会社四季報の情報とか、ヤフーファイナンスのいろんな情報とか、読むのを面倒くさがります。というか、読んでも理解できません。というか、読めていません。下記のとおり、日本で静かに増殖している「機能的文盲」という方が多く、その方にとっては、理解できないか、理解以前に視界に入ってこない(脳内には、意味のあるテキスト情報ではなく、無意味な図柄の画像情報としてしか入ってこない)
すなわち、下記の「機能的文盲」状態にあるせいか、不動産の重要事項説明書とか、あるいは有価証券報告書とか、会社四季報情報とか、ヤフーファイナンスのいろんな情報を目にしても、そこに記載されている漢字や数字がびっしり書かれた細かな情報の塊が、象形文字で書かれた滅びた古代の民族の呪文か何かのようにしか認識出来ず、意味や内容はおろか、読み方すら不明な難解な文字が散りばめられたもののようにしか見えないのです。
自分が、機能的文盲で、文書をしっかり読めないもんだから、業界経験長くて、文書を理解していそうな、売主側の営業マンの話を、ほいほい聞いちゃうわけです。
ですが、営業マンの話にはバイアスが入っていたり、「大事な内容で、しかも買主にとって、重要で、売主にとって不利な事実」が巧妙に抜いてあったりしたら、どうするんでしょうか?
こういう場合は、がんばって自分で読み、読んで納得しない限り、買っちゃ駄目です。「自分が機能的文盲でよく読めない、よく理解できない」なら、買う前に、「絵本を読んでもらうために母親にせがむ、字の読めない幼児」のように、識字能力があるインテリに頭を下げて、内容を読んで聞かせてもらわなければなりません。
ところが、機能的文盲者に限って、バカな上にケチ、という手合が多いのです。
手近なところで、無料(タダ)で済まそうとして(自分のために働いてくれるインテリに対する支援費用をケチって)、安直に、利害が対立する売り主側の営業マンの話を聞いてしまうんです。
だから、地獄に転げ落ちるのです。
「自分が機能的文盲でよく読めない、よく理解できないとき」に、取引相手の話を聞いたらダメに決まっています。
聞くべきなのは、利害関係がなく、むしろ、自分の利害のために、「知的資源を活用し、時間とエネルギーを費やしてくれる、第三者」であるべきです。
「当該取引に利害関係を持たず、自分のために頭を使ってくれる人の話を聞く」と言われても、そんな人がいなかったり、そんな人がいても、そいつの手数料をケチりたいなら、それはそれで結構です。
だったら、弱い頭をフル回転して、無い知恵しぼって、頑張って勉強して、不動産の重要事項説明書とか、あるいは有価証券報告書とか、会社四季報の情報とか、ヤフーファイナンスのいろんな情報を読み込んで、理解するべきなのです。
それでも理解できなければ、買い物をやめるべきなのです。
大事な買い物なんでしょ。高いんでしょ。
だったら、手を抜いたらいけません。
古代ローマ時代以来、格言として残っています。
「買い手は注意せよ」「買い手は勉強せよ」「買い手は情報を集めろ」です。
勉強は大事ですね。教養は大事ですね。
バカはこういう教養がないから、こういうことの価値を知らないし、認めないし、バカみたいにテレビばっかりみて口開けて笑っているから、失敗するんです。
え、うるせえよって?
いえいえ、私もバカの一人です。
だから、日々、読書をし、教養のありそうな人との接点を保ち、バカが治るように努力しているのです。
4、情報と解釈は別物
情報を集めるのは結構ですし、情報を解読するのも結構です。
しかし、事実と解釈っていうのは違います。
インフォメーションと、それからそのインフォメーションに解釈や分析や解釈や評価が加わったものとは、完全な別物です。
俗に、ポジショントークといわれますが、解釈には必ず、バイアスが入ります。
故意なのか過失なのか他意なきことかもしれませんが、利害関係から、主観が混じってしまいます。
事実なのか解釈なのか。
仮に、解釈だとすると、誰がどういう目的で解釈してるんだ、どの立場からのポジショントークなのかをちゃんと分けて考えるべきです。
5、ホニャララ士(し)や、「先生」や、「専門家」という人種には気をつける
注意・警戒すべきは、「何とか士(し)」とか「先生」とか「専門家」と呼ばれる人たちも同様です。
憚りながら、私、弁護士である畑中鐵丸もその一人です。
弁護士しかり、税理士さん、会計士さん、何とか士、大学の先生含め、また、お医者さんも含め、ナリや格好や肩書きが立派だったり、使う言葉が高尚で高級だったり、メガネをかけていたり、七三分けだったり、シブい感じだったり、高いネクタイをクビからぶら下げているからといって、それだけで、そういう手合の話を鵜呑みにすることはリスクがあります。
ナリや言葉や肩書きが立派でも、見かけほど頭良くなかったり、情報を知らなかったりとか、情報を誤解していたり、仕事欲しさに適当なことを言っていたり、ということも無いとは言えません。
もちろん、邪悪な詐欺師とまでは言いません。
あと、出来もしないことや、成就しない可能性があることでも、仕事欲しさに「私に任せれば何とかなる」という雰囲気を漂わせながら、自信たっぷりに、「お任せください」と胸を叩いて、フィーをもらう。
そんな、「専門家としての仕事の営業」は、見方を変えたら「善意に満ちた詐欺」とも言えます。
例えば、「医学的に絶対治らないガンに罹患したことを宣告され、焦って、パニックになって、財布の紐が緩んでいる患者」を前にして、「私に任せれば何とかなるかも知れません」などと無責任なことを言って、仕事をもらうのは、「専門家としての仕事の営業」ではなく、「仕事の対価をもらうための詐欺」になる可能性があります。
別に、騙そうとして騙すわけではなく、「自分にとって不利になる重要な情報を、聞かれなかったので、あえて言わなかった、隠していた」ため、美しい誤解が生じたが、そのままにしておいて、結果、買主さんが損したっていうことは、よくあります。
「いい加減な専門家が語る、真実とは程遠い無責任な話に踊らされ、不幸な誤解に基づき大損コいて地獄に叩き落された事例」っていうのが仮にあっても、新聞では大々的に報道されません。
ひょっとしたら報道されているかもしれませんが、どこかの中小企業の社長や地味な政治家が死んだときの訃報のように、新聞の隅っこに、ひっそり、わかりにくくにしか載っていません。
全ての詐欺が刑事事件になるか、というと、うやむやになったりだとか、証拠が不十分で、不起訴ってことも結構ありますので、報道されない裏話ってのも、世の中、結構あります。
脱線しましたが、専門とか肩書きとかそういったものに漫然と信用を置かないということでが大事です。
6、いろいろ他人の話を聞いて迷うのは、もちろん、重大な決断・選択に限っての話
他人の話を聞いたり、あれこれ迷ったりしろって言ってますが、いつもいつもそうしろといった話じゃありません。
いつもそうしてたら、もう社会生活できませんからね。
例えばコンビニエンスストアでおにぎり買うのに、専門家の意見聞きます。これはちょっと知性を疑われます。
あくまで、重大な決断のときについては、ちゃんとそれなりにいろんな人の話を聞いて、専門家の話も鵜呑みにしないという形で、慎重に、という話です。
お医者さんの世界でも、セカンドオピニオンというのもありますが、私の所属する弁護士法人にもセカンドオピニオンの依頼が来ます。
「先生、これって大丈夫でしょうか?」みたいな感じで聞かれます。
私のほうで、違和感があったら、ストレートに違和感を伝えます。
「この収益不動産って、むっちゃ儲かるんですよね?だから、買おうとしているんですよね?でも、そんなに、笑いが止まらないくらい、シビれるくらい儲かりまくる収益不動産だったら、何で手放すんですかね?私だったら、その話が本当なら、絶対売らずに持っておきますが。収益シナリオとか、仮説とか仮定とか入っていませんか?ほらほら、満室前提とか書いてあんじゃないですか。物件見ました?え?見ていない?知らない方と結婚するのに、お見合いなしで、いきなり式挙げる、みたいな話じゃないですか。意味わかりません。」
「この投資商品、あなたの複雑怪奇なお話を前提にすると、凄まじい利益が出るんですよね?すいません。私、こんな話、聞いたことがありませんし、理解も出来ません。あ、言っておきますが、私、一応、東大出てます。東大文一現役合格です。どうでもいいかもしれませんが。そこそこの国語読解力とそこそこの知性と教養と情報があります。その私が、いくら聞いても、何のこっちゃわかりませんし、そんな儲かり話、耳に入ってきたこともありません。むしろ、逆に、この種の『意味不明だが儲かる話』に安直に乗っかって大損こいて地獄に直行した事件については、いっぱい聞きます。私が知らなかったり、理解できなかったりするのは、私がバカで世間知らずか、売り込もうとしているあなたが混乱しているか、どっちかだと思っています。試みに問いますが、大変ご無礼なことかもしれませんが、学歴や経歴をお伺いしてよろしいでしょうか?いえ、大きな買い物であり、大事な決断なので、売り込もうとしている方の情報の信頼性を確認したいだけなんです。ついでに、前科や前歴や、所属していた会社の行政処分の情報もいただけるとありがたいです。いえ、強制はしません。任意です。ご随意です。あれ?黙っちゃった。黙秘します?黙秘権ですか。洒落た言葉知っていますね。警察とか検察とか裁判とかで使ったことあるとか。黙秘、結構でしょう。言いたくないんですね。はい、結構です。言わなくて結構です。ですって、社長。で、どうされます?この投資、やります?あ、やらない?あ、そ。聞いた?ですって。買わないって。え、ちょ、何。何、そんなに怒ってんですか?やだなあ、もう。そんなに顔を真っ赤にして怒んなくたっていいじゃない。まあまあ、落ち着いて。お詫びに、いいこと教えます。あなたのおすすめするその商品、あなた自身がお買いになったらどうですか?そうしたら、あなたがおっしゃるとおり、シビレルくらい儲かりますよ。儲かること間違いなら、多少お金がなくとも、消費者金融で借りたって、バカ高い金利を遥かに上回るエグいくらいの儲けが出ることでしょうから、あなた、たちまち大金持ちですよ。え?何?俺は買わないって?そんなの私のクライアントに勧めないでよ。ったく」
「節税スキームのご提案ですか。なるほど。この資料の一番最後に、ミジンコみたいに小さく書いてある字、ちょっと、読んでみていいですか。え~と、なになに。つか、小せえな、この文字、なんだよ。ったく。『本資料に掲載されている情報を、専門的な会計、税務、法務、その他の権限あるアドバイスの代用として用いるべきではありません。本資料の情報に基づき具体的な決定や行為を起こす前に、専門家に相談することをおすすめします。本資料では、信頼できる情報源から得た情報を、確実に掲載するよう適正な努力を尽くしておりますが、本資料作成者は、間違い、情報の欠落、あるいは、掲載されている情報の使用に起因して生じる結果に対して一切の責任を負わないものとします。本資料に掲載されている全ての情報は、その時点の情報が掲載されており、完全性、正確性、時間の経過、あるいは、情報の使用に起因して生じる結果について一切の責任を負わないものとします。また、あらゆる種類の保証、それが明示されているか示唆されているかにかかわらず、また業務遂行、商品性、あるいは特定の目的への適合性への保証、また、これらに限定されない保証も含め、いかなることも保証するものではありません。 いかなる場合にも、本資料作成者ないしその関係者は、本資料に掲載されている情報によって決定を下したり、あるいは行為を起こしたことにより、結果的に損害を受け、特別なあるいは同類の損害を蒙ったとしても、またその損害の可能性について言及していたとしても、一切の責任を負いません。』なるほど。何だ、自信ねえじゃん。売ったものについて自信ないから、トラブル起きても、知らねえよってことね。つか、トラブルなるじゃん。こんな過激な節税効果出るのに、税務当局が黙って、笑って許してくれるわけ、ねえじゃん。デカい暴力団にみかじめ料約束させられていて、これをエグいくらいちょろまかすようなアイデアというかトンチを実行する、って話でしょ。暴力団が、『ははは、こりゃ一本取られたわ!』と笑って、許してくれる・・・・なわけねえじゃん。一休さんと新之丞さんの掛け合い漫才じゃないんだから。というか、あんた達、売り込んでるの、それって、国税当局とのケンカの種、ってことでしょ。で、ケンカが生じたら、知らんぷり。え?税務に詳しい弁護士を紹介しますって?でも、それって費用こっちもちでしょ。また、カネかかんじゃん。それに、税務争訟って9割近く負けんでしょ。二次被害じゃない。ですって。社長。どうします?」
といった具合に、割とむかつくようなセカンドオピニオン出してですね、相談してきたクライアントが、結局やめるとか考えるとかっていうようなこともあったりします。
どんなにエラそうで、立派そうな専門家の話であっても、重大な重大な決断で、違和感を感じれば、ちゃんと裏付けを取ってください、ということです。
またむかつくような話をしますけど、特に、自分の学歴とか経歴とかそういったものにコンプレックス持ってる人は要注意です。
そういう人ほど何かにすがりたくなっちゃったりだとか、立派な学歴見せつけられちゃうと、精神的にひれ伏しちゃう可能性ありますから、要注意ですよ。
たかが、学歴、経歴ですよ。アクセサリー程度の話であって、話の本筋が大事ですよ。
東大ごとき、私のような、いい加減な人間だって入れるくらいですから、そんなに大したことありません。
どんな人の話を聞くべきか、というと、「利害関係がないにもかかわらず、耳の痛いことを、口悪く言ってくれる人」です。
そうです、畑中鐵丸です。と、さりげなくセカンド・オピニオン営業入れちゃいました。
あと、聞くべき人といえば、お父さん、お母さんの話です。
昔から言います。親父の説教と、特上の冷酒(ひやざけ)。どっちも「後からよく利く」って。
お父さん、お母さんって、それなりに社会経験あったりしますし、利害関係ないというよりもむしろ、子どものためには本当に一肌二肌脱ぎますというか、自分の命に代えても子どもを守るっていう心意気で、子供の幸せを願いますので、そういう方々の小言や説教は、よく聞くべきです。
ただ、その当該お父さんやお母さんが、情報を持っていなかったり、本当のことを知らなかったり、誤解していたりすることもあります。
世の中、「カネを儲けたり、危機を避けたりするような、人生の切所で役に立つ、本当に大事なこと」ほど、本に載っていませんし、学校でも教えられませんし、学校の先生も親もほとんど知りません。
加えて、「老いては子に従え」なんて言葉のあったりするぐらいですから、お父さん、お母さんも年をとって、ヤキが回っているかもしれない。
いずれにせよ、「耳の痛いこと」を言ってくれる人の話のほうが、かえって自分の決断にとって重要なサポートになっている可能性があります。
とにかく耳の心地良いことばっかり聞いたり、自分にとって都合のいい話ばっかり聞くってことは、その人がバカになるってことです。
バカばかになっちゃいけませんよ。
耳の痛いことや厳しい見立ても聞いた上で批判的に考えるべきです。
「我、疑う故に、我あり」です。
疑う、あるいは批判的に考えるってことこそが、知性ある人間の思考ですから。
重大な決断に際しては、以上のようなことを考えながら、いろんな人の話を聞いて、たくさん迷ってください、ということになります。
著:畑中鐵丸