「取締役の悲劇」
の連載第5回目です。
前回、ある
「取締役」
の方が、換金のために持ち込んだ銀行に全く相手にされなかった手形について、とある事務所から裏書きした手形と引き換えに幾ばくかの現金をもらい、遂に手形の換金に成功したところまでお話ししました。
それから何ヶ月かした後、この
「取締役」さん
が務める会社のところに内容証明郵便による通知書が届きました。
通知書は、都内の某所にある
「ホニャララ商事」
というところが通知人となっているものですが、
「取締役」さん
は、こんな会社、接点はもったことはおろか、見たことも聞いたこともなく、まったく狐につままれた気分です。
通知書をよく読むと、先般、換金に成功した手形のことがつらつら書いてありました。
この点は身に覚えがある話です。
というか、この手形換金話は、その後も銀座のクラブで幾度となく語っている話であり、
「取締役」さん
にとって何度語ってもつきない輝かしい武勇伝でした。
通知書を読み進めると、
「手形を銀行に持ち込んだら、最初に手形を振り出した会社が支払を拒絶した。裏書きしたあなたの会社は、その責任を取って、額面全額の金額を支払わなければならないので、即刻耳を揃えて全額払え」
等と書いてありました。
「取締役」さん
は、ワケがわかりません。
「取締役」さん
は、
「ウチの会社は、借金のカタに手形をもらいうけ、これを換金しただけだ。手形を最初に書いた会社なんて、アカの他人じゃないか。なぜ、そんなヤツの借金まで面倒をみる必要があるんだ。どうせ、これは新手の『オレオレ詐欺』か何かだろう」
と断定し、通知書を放置することにしました。
すると、その後、東京地方裁判所民事7部というところから、訴状が届きました。
訴えを提起したのは、
「ホニャララ商事」。
先日の内容証明郵便による通知書に書いてあったようなことが、同じような形で味も素っ気もなくツラツラ書いてあります。
ここまで来ると、
「取締役」さん
も流石に気持ち悪くなり、知り合いの取引先に紹介したもらった弁護士のところに行き、意見を聞くことにしました。
弁護士さんは訴状をみて、その上でおおまかな事情を聞いたあと、いきなり
「こりゃ、ダメですな。こちら側の全面敗訴になりますよ」
と言うではありませんか。
「取締役」さん
は耳を疑いました。
思わず激昂し、
「先生、いい加減なこと言わないでください。私はもらった手形を換金しただけです。いわば権利者ですよ。なんで最初に手形を振り出したヤツのケツをもたなければならないんですか! 裁判所に行けばわかってくれます。こんな不当な訴訟、徹底的に戦ってください!」
と言いました。
弁護士さんは、
「素人が、慣れない手形をイジるとこうなっちゃうんだよな・・・」
とボヤキながら、手形制度の説明を始めました。
手形の信用を高めて、なるべく多くの人間が安心して手形を受け取るような制度とするため、手形法上、手形の裏書人は、振出人や自分より前に裏書きした人間が手形金の支払ができなかった場合の保証人になるとされています。
すなわち、手形の裏書人というのは、手形を受け取ったという点では権利者である反面、手形振出人や自分より前の裏書人のケツを拭かされるのであり、この点において、見ず知らずの人間が振り出した手形に裏書人として署名するのは非常に危険な行為だったのです。
他方、保証を引き受けずに手形を次の人間に譲渡する方法も用意されており、無担保裏書という特殊な裏書をしたり、そもそも裏書人として署名をすることなく手形そのものを売り飛ばしてもよかったのです。
手形の制度など全く知らなかったズブの素人の
「取締役」さん
は、手形を換金するために持ち込んだ先の事務所の社長にうまく騙され、わずかなカネと引き換えに、知らない間につぶれそうな会社の保証人にされてしまったのです。
もうこうなれば、恥も外聞もありません。
「取締役」さん
は、弁護士さんに必死で頼み込みます。
「私は、何にも知らなかったんですよ。手形なんて、それまで実物を見たこともありませんでしたし、そんなヘンなルール知りっこないじゃないですか。それに私は二代目で、親からもそんなこと教わっていません。素人相手にひどいじゃないですか。なんとか、ノーカンになりませんか。裁判所もわかってくれますよね。ね。ね」
と最後は哀願口調です。
しかし、弁護士さんから返ってきたのは突き放すような冷たい回答でした。
「無理なものは無理ですよ。手形はプロが扱う決裁道具であり、そんな言い訳通用しません。それに、仮にも取締役なんでしょ。高校生や専業主婦ならともかく、『ボクはバカですから今回のチョンボは見逃して』なんて話、裁判所で通用しませんよ」
結局、
「取締役」さん
の知ったかぶりのため、この会社は高い授業料を支払わせることになりました。
では、このような悲劇に見舞われないためには、
「取締役」さん
としては今後、どのようにして世知辛い世の中を生きていけばいいのでしょうか。
この点は、次回お話ししたいと思います。
著:畑中鐵丸
初出:『筆鋒鋭利』No.037、「ポリスマガジン」誌、2010年9月号(2010年8月20日発売)