離婚する夫婦に子供がいる場合、妻側からこのような決意表明がされることがあります。
ここで、3歳と5歳の子供がいる現在35歳の妻を想定しましょう。そして、この妻には兄弟がなく、現在70歳と65歳の両親(子供からすると母方の祖父母)がいるとしましょう。
この35歳の妻がバリバリのキャリアウーマンで数千万円を超える年収をもらっている場合や、実家に数億円の流動資産があるのであれば、「離婚したら、子供を引き取って立派に育てる」という決意にも十分根拠があるといえます。
反対に、この35歳の妻が、専業主婦の方で、さしたる学歴もキャリアもなく、これから職探しという状況で、加えて、両親の資産といってもバブル時に購入した安普請の一軒家とか築20年超のマンションしかない、となると、本人の主観的意図はともかく、「離婚して子供を引き取って立派に育てる」選択には凄まじい困難が待ち構えることになります。
まず、現在の労働市場において、さしたる学歴もキャリアもない35歳の女性の方が正規雇用される可能性は極めて低く、派遣やパート等の非正規雇用ですら仕事をみつけるのは大変です。
非正規雇用だからといって、仕事がラクだと思ったらこれまた正反対。
企業側は非正規雇用にも過酷な責任を課します。
といいますか、解雇が困難な正社員と異なって、企業側に解雇の自由が事実上保証されている非正規雇用社員には、わずかなインセンティブで正社員よりも過酷な責任を課しますので、「子供が熱を出したので退社します」とかいえる雰囲気ではありません。
結局、非正規雇用社員は、「賃金が安く、身分保証がなく、正規雇用者よりも仕事上も責任を課され、かつ業績が悪ければ真っ先にクビを切られる立場」といえます。
こういう言い方をすると、「離婚しても養育費がもらえるから大丈夫」という声が返ってきそうですが、養育費といっても、月額何十万円ももらえるものではなく、平均的サラリーマンの夫の収入を前提にすると数万円程度にとどまります。
加えて、不景気で夫の収入が激減したりすると、任意の支払が遅延したりあるいは停止されたり、さらには減額されたりすることだってありえます。
以上の経済的困難に、老齢の両親の介護の問題が追い打ちをかけます。
70代になると要介護となる現実的可能性が生じてきますし、公的施設に入れようとしてもどこも満杯状態。お金があればケアが充実した施設に入れる可能性もありますが、そこまでの事態を想定して十分な金銭を準備している高齢者は稀です。
結局、介護にまつわる経済的負担、肉体的負担のいずれかまたは双方は妻一人に重く、暗く、のしかかります。
「離婚しても子供は絶対に手放さない」という意気込みは立派ですが、冷静に考えると、妻は、過酷な労働条件下で、「子供という元気な要介護者」と「親という、くたびれた要介護者」を両手に抱える未来が待っているだけであり、子供を引き取るのは実に不幸な選択といえますし、宣言どおり「立派に育てられる」か極めて疑わしいといえます。
他方、離婚して子供を取られた夫側はというと、低廉な養育費の負担で面倒くさい日常の子育てすべてを妻側に押しつけ、「暇ができれば、面接交渉権を行使して子供と遊んでリフレッシュし、飽きたら妻に返却」という自由な立場が保証されます。
「父親の子育て参加」が叫ばれる中、素知らぬ顔で仕事に打ち込むことができ、場合によっては離婚前よりも出世したり、いい出会いがあって、却って人生が開けるかもしれない。
私個人の意見としては、妻側は「子供は絶対に渡さない」などというドグマを捨て去り、「私は仕事と介護で忙しい。子供は押しつけるからアンタが責任持って育てろ。テメエの方がカネ持ってんだから、養育費は払わない。子供の顔がみたくなったら、適当に面談交渉権を行使して、飽きたら適当な時に返してやる」という選択をする方がはるかに賢明かと思うのです。
引き続き、離婚にまつわる迷信・都市伝説を検証していきたいと思います。
(つづく)
著:畑中鐵丸
初出:『筆鋒鋭利』No.012、「ポリスマガジン」誌、2008年8月号(2008年8月20日発売)