00008_婚前契約というのは、どこまで意味があるのか

最近、日本でも婚前契約が普及してきた、というニュースがありました。

どんな内容なんでしょうか?

「浮気したら、2000万円払う」とか?

こんな契約書、本気で作るんでしょうか?

民法132条
「不法な条件を付した法律行為は、無効とする。不法な行為をしないことを条件とするものも、同様とする。」
をみる限り、どこまで有効か、疑問です。

せっかくお金をかけて契約を作っても、裁判で無効と判断されたりしないのでしょうか?

ネットをみたら、行政書士が婚前契約アドバイスサービスをやっているようですが、きちんとした法律知識に基づき、正しい指導がなされているのか、そもそも弁護士法の抵触問題も含め、大丈夫なんでしょうか、という印象をもってしまいます。

そもそも、民法には、婚前契約なんて代物、書かれていません。

あるのは、夫婦財産契約、と呼ばれるものであり、この契約の対象となる事項は夫婦の法定財産制(第2款=760条~762条)に関するものです。

これは、別に、
「夫婦のうち、弱い立場にある人間のことを同情して、法がか弱き配偶者の一方を保護してあげよう」
という正しく、美しい気持ちで、作られた条文ではありません。

夫婦間において、法律で決まっているものと異なる財産秩序を勝手に決めた場合、困るのは、そのような夫婦の内情を知らない取引相手や第三者。

身勝手なローカルルールで、取引社会に混乱を与えないよう、
「夫婦間で勝手な取り決めしても構わないが、あんまり、社会や他人に迷惑かけんなよ」
という限定付で、認めてやる、というスタンスです。

だから、夫婦財産契約については、登記が要求されています。

婚前契約に、いろいろ夢や幻想を抱くのは自由ですが、
「浮気したら大金もらえる」
みたいな雑なイメージを抱くと、あとで痛い目に遭うかもしれません。

そもそも、夫に財産や収入がなければ、浮気されようが離婚しようが、たいしたお金は手に入りません。

しかも、浮気の慰謝料というのは、法的に相場が決まっており、裁判例等を調べればわかりますが、びっくりするくらい低い金額です。

具体的な裁判例としては、
「(夫は)時々の自己の感情の赴くまま単独で、あるいは愛人A、愛人Bを随伴して旅行に出かけるなどし、これらの夫の身勝手な行動によって妻が相当程度の心労を被ったことは想像に難くない。以上の諸事情のほか、本件に現れた諸般の事情を考慮すると、夫が妻に支払うべき慰謝料額は80万円が相当である」(東京地方裁判所判決平成17年2月22日判決要旨)
のようなものがありますが、要するに、やりたい放題しても慰藉料は80万円しか認められないのです。

「裁判における慰藉料相場」
としては、一般にいわれているには100万円前後であり、暴力等の、かなりひどい状況があっても300万円を超える慰謝料を取るのは困難といわれています。

先程の民法132条もありますが、よしんばこの規定をクリアしたとしても、あまり多額な違約罰となると、公序良俗違反(暴利行為)となって、裁判官はあまりいい顔をしないかもしれません。

ともかく、婚前契約、まだまだ各種問題や論点がありそうですし、そもそも、お互いそれほど財産がなければ、無意味なものです。

さらにそもそも論のお話いとして、
「婚前契約の条件を取り決める」
といいますが、結婚の話を進める中で、こんな話、スムーズに進むのでしょうか?

結婚の話を前に進めるだけでも大変です。

それなのに、離婚の際の取り決めがスムーズかつスピーディーに進むとは到底思えません。

「離婚の条件決まらないから、なかなか結婚できない」
なんて、笑い話のような状況がそのうち出てくるのではないでしょうか。

00007_離婚が頭によぎったら、まずは読んでおくべき「離婚にまつわる迷信・都市伝説」(6・完)~今にみてらっしゃい。裁判になれば、人格も見識も立派な裁判官様が正義の裁きを下してくれるからっ!~_20080920

平均的日本人は、裁判官という人種に接したことがないためか、裁判官という公務員に一種畏敬ともいうべき評価を抱いており、「裁判官は誰もが、白馬の騎士が如く、か弱き者の味方として、自分の困難を救済してくれる」等と身勝手な妄想を抱いているようです。  

しかし、残念ながら、このような裁判官のイメージは現実のものとは全く異なるものです。

裁判官は、特定の試験に合格することを前提として、特定の採用手続を経て、公務員としての身分を取得しただけであり、別に人格や見識の素晴らしさをもとに選ばれているわけではありません。

無論、高い受験偏差値をもつ試験秀才が集まっていますので、一般のサラリーマンや専業主婦の方々より頭がいいことは間違いありませんが、裁判官の常識や良識に関しては疑うべき場合が多いです。

例えば、ある学校のあるクラスにおいて投票で学級委員を選ぶ際、「○○君は足立区に住んでいるから1票だけ。○○さんは、港区に住んでいるから2票あげましょう。○○さんは、千代田区に住んでいるから5票ですね」なんてことを先生が言い出したら、「そんなの民主主義じゃない」と生徒からツッコミ入れられることは明らかです。

ところが、裁判所の頂点に立つ最高裁裁判所は、国会議員の選挙において「島根県民に5票、東京都民に1票という取扱でもOK。民主主義的にこれで問題なし」などという驚くべき見解を、長年にわたって固持していました。

これは一例ですが、「社会一般の常識や価値観は裁判所も当然のように共有している」と考えるのは早計です。

あと、裁判所は、揉めごとの解決は、すべて証拠の有無で決すべしと考えています。特に、「夫が暴力を振るった」「夫が浮気した」「夫がかまってくれない」「夫が優しくない」等といった犬も食わないトラブルに関して、証拠もなくワーワーキーキー騒ぎ立てるだけの妻側に対して基本的に冷淡です。

そして、裁判所は、「証拠をもたない弱者の主張を無視し、救済を拒否する」ことにあまり抵抗がありません。

むしろ、「弱者といえども、裁判所で救済を求めるなら、テメエの主張する事実について証拠はテメエで準備してもってこい。それもできずに負けるのは、自己責任の観点から当たり前だ!」というのが裁判所の基本的スタンスです。

逆にいえば、「出るところ出てやる」と息巻いたところで、証拠をそろえないことには話になりません。

たまに「神の如く、何から何までお見通しで、人格も見識も立派な裁判官様が、証拠とか文書とかそんな堅いこといわず、粋な計らいで、弱者である自分を救済してくれるはず」などと甘い考えで裁判をはじめる方がいらっしゃいますが、こんなことをしても完璧な敗訴を食らうだけで、惨めな気持ちになるだけです。

離婚にまつわるトラブルを裁判という手続きで打開することを願うのであれば、「裁判官の常識・良識」等という得体の知れないものに期待することなく、専門家の指導の下、丹念に証拠を収集するなど合理的な準備をすべきです。

さらにいえば、裁判などせず、お互い冷静になって話し合いにより解決した方が賢明といえますし、「出るとこ出てやる」などと無意味なハッタリをぶつけて話し合いの環境を悪化させるのは愚の骨頂といえます。

以上、合計6回の連載形式で、離婚にまつわる様々な迷信・都市伝説の類を検証して参りました。

一ついえることは、離婚というイベントには、勝者も敗者もなく、お互い時間とエネルギーとコストを費やすだけの、壮大な無駄であるということです。

このように本質的に無駄の固まりである離婚というイベントに、誤解や妄想や迷信が介在すると、話が余計にややこしくなり、互いに疲弊が増すだけです。

離婚というのは、お互い客観的な情報をもち、妄想や迷信を排して、冷静に話し合い、無駄や非効率を極力抑えて、短期間にキレイに処理するのが一番です。

というよりも、無駄を省いてトクな生き方をしたいのであれば、そもそも離婚などしないのが一番です。  

それに、神の前か仏の前か知りませんが、結婚する際には神妙な気持ちで永遠の愛を誓ったのでしょうし、約束とか誓約を守るのは大人としての最低限のモラルですから。

(「離婚にまつわる迷信・都市伝説」・完)

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.013、「ポリスマガジン」誌、2008年9月号(2008年9月20日発売)

00006_離婚が頭によぎったら、まずは読んでおくべき「離婚にまつわる迷信・都市伝説」(5)~離婚したら、子供は私が引き取って立派に育てますからっ!?~_20080820

離婚する夫婦に子供がいる場合、妻側からこのような決意表明がされることがあります。

 ここで、3歳と5歳の子供がいる現在35歳の妻を想定しましょう。そして、この妻には兄弟がなく、現在70歳と65歳の両親(子供からすると母方の祖父母)がいるとしましょう。

 この35歳の妻がバリバリのキャリアウーマンで数千万円を超える年収をもらっている場合や、実家に数億円の流動資産があるのであれば、「離婚したら、子供を引き取って立派に育てる」という決意にも十分根拠があるといえます。

 反対に、この35歳の妻が、専業主婦の方で、さしたる学歴もキャリアもなく、これから職探しという状況で、加えて、両親の資産といってもバブル時に購入した安普請の一軒家とか築20年超のマンションしかない、となると、本人の主観的意図はともかく、「離婚して子供を引き取って立派に育てる」選択には凄まじい困難が待ち構えることになります。

 まず、現在の労働市場において、さしたる学歴もキャリアもない35歳の女性の方が正規雇用される可能性は極めて低く、派遣やパート等の非正規雇用ですら仕事をみつけるのは大変です。

 非正規雇用だからといって、仕事がラクだと思ったらこれまた正反対。

企業側は非正規雇用にも過酷な責任を課します。

といいますか、解雇が困難な正社員と異なって、企業側に解雇の自由が事実上保証されている非正規雇用社員には、わずかなインセンティブで正社員よりも過酷な責任を課しますので、「子供が熱を出したので退社します」とかいえる雰囲気ではありません。

結局、非正規雇用社員は、「賃金が安く、身分保証がなく、正規雇用者よりも仕事上も責任を課され、かつ業績が悪ければ真っ先にクビを切られる立場」といえます。

 こういう言い方をすると、「離婚しても養育費がもらえるから大丈夫」という声が返ってきそうですが、養育費といっても、月額何十万円ももらえるものではなく、平均的サラリーマンの夫の収入を前提にすると数万円程度にとどまります。

加えて、不景気で夫の収入が激減したりすると、任意の支払が遅延したりあるいは停止されたり、さらには減額されたりすることだってありえます。

 以上の経済的困難に、老齢の両親の介護の問題が追い打ちをかけます。

70代になると要介護となる現実的可能性が生じてきますし、公的施設に入れようとしてもどこも満杯状態。お金があればケアが充実した施設に入れる可能性もありますが、そこまでの事態を想定して十分な金銭を準備している高齢者は稀です。

結局、介護にまつわる経済的負担、肉体的負担のいずれかまたは双方は妻一人に重く、暗く、のしかかります。

 「離婚しても子供は絶対に手放さない」という意気込みは立派ですが、冷静に考えると、妻は、過酷な労働条件下で、「子供という元気な要介護者」と「親という、くたびれた要介護者」を両手に抱える未来が待っているだけであり、子供を引き取るのは実に不幸な選択といえますし、宣言どおり「立派に育てられる」か極めて疑わしいといえます。

 他方、離婚して子供を取られた夫側はというと、低廉な養育費の負担で面倒くさい日常の子育てすべてを妻側に押しつけ、「暇ができれば、面接交渉権を行使して子供と遊んでリフレッシュし、飽きたら妻に返却」という自由な立場が保証されます。

「父親の子育て参加」が叫ばれる中、素知らぬ顔で仕事に打ち込むことができ、場合によっては離婚前よりも出世したり、いい出会いがあって、却って人生が開けるかもしれない。

 私個人の意見としては、妻側は「子供は絶対に渡さない」などというドグマを捨て去り、「私は仕事と介護で忙しい。子供は押しつけるからアンタが責任持って育てろ。テメエの方がカネ持ってんだから、養育費は払わない。子供の顔がみたくなったら、適当に面談交渉権を行使して、飽きたら適当な時に返してやる」という選択をする方がはるかに賢明かと思うのです。

引き続き、離婚にまつわる迷信・都市伝説を検証していきたいと思います。

(つづく)

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.012、「ポリスマガジン」誌、2008年8月号(2008年8月20日発売)

00005_離婚が頭によぎったら、まずは読んでおくべき「離婚にまつわる迷信・都市伝説」(4)~浮気されたら、慰藉料ふんだくってやる?!~_20080720

夫に浮気(法律上は不貞行為といいます)をされた妻側の常套句としては、「浮気したわね! おぼえてらっしゃい! たんまり慰藉料ふんだくって離婚してやるから!」というものがあります。

「たんまり」「ふんだくる」というのがどの程度の額を指すのかは発言者の経済感覚によりますが、「裁判所が認めてくれる慰藉料額」は、一般の方が想定するほど景気のいい金額ではありません。

裁判例としては、「(夫は)時々の自己の感情の赴くまま単独で、あるいは愛人A、愛人Bを随伴して旅行に出かけるなどし、これらの夫の身勝手な行動によって妻が相当程度の心労を被ったことは想像に難くない。以上の諸事情のほか、本件に現れた諸般の事情を考慮すると、夫が妻に支払うべき慰謝料額は80万円が相当である」(東京地方裁判所判決平成17年2月22日判決要旨)のようなものがありますが、要するに、やりたい放題しても慰藉料は80万円しか認められないのです。

「裁判における慰藉料相場」としては、一般にいわれているには100万円前後であり、よほどひどい状況があっても300万円を超える慰謝料を取るのは困難といわれています。

離婚して手にできるのは100万円程度ですが、離婚後世帯が分離することにより元妻側に襲いかかる過酷な経済的苦境は第1回で解説したとおり。

妻側にとっては「浮気されて離婚したはいいが、雀の涙ほどのカネしかもらえず、いつの間にか貧乏になり、踏んだり蹴ったり」ということになります。

さらに不愉快な話になりますが、この慰藉料というのは、不貞行為を基礎づける事実立証に成功した場合に初めて認められるものです。

「何となく怪しい」「行動が不可解」「女の影がチラホラ」みたいな程度の与太話では、慰藉料以前の問題として、不貞行為の事実すら認められず、当然ながら、「慰藉料はゼロ」ということになります。

だったら、「妻の方も報復で浮気してやればいい」等と安直なことを助言される方もいます。

しかし、これは、妻側にとってさらに過酷な結末を招くことになります。

すなわち、不貞行為の代償たる慰藉料はそれほど大した額にはなりませんが、不貞行為が一回でもあれば、立派な離婚事由となるのです。たとえ、夫の浮気に対する報復であれ、妻側が浮気をすれば、夫から強制離婚の請求を受けることになります。

つまり、「夫側が不貞行為をしても、支払うべき慰藉料は少額で、かつ、離婚後の人生設計がみえないので事実上離婚請求が困難」だが、「妻側が不貞行為した場合は、たとえ夫の不貞への報復目的であっても、問答無用で強制離婚となり、経済的苦境にさらされる」ということになるのです。

不公平だとか、おかしいだとか、という感情論はさておき、これが現在の日本の裁判実務における厳然たる状況です。

異性にだらしない夫と徹底的に戦うのは多いに結構です。

しかしながら、このような「地の利」をわきまえず、無責任な迷信に惑わされて好戦一方で攻め立てても、さらなる不幸に見舞われかねませんので、注意が必要です。

連載形式の「離婚が頭によぎったら、まずは読んでおくべき”離婚にまつわる迷信・都市伝説”」も4回目となりましたが、引き続き、この検証を続けていきたいと思います。

(つづく)

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.011、「ポリスマガジン」誌、2008年7月号(2008年7月20日発売)

00004_離婚が頭によぎったら、まずは読んでおくべき「離婚にまつわる迷信・都市伝説」(3)~離婚したら、家は絶対私のものだから?!~_20080620

離婚に際して、「離婚したら家は私がもらうからね」ということを強硬に主張される女性がいらっしゃいます。

当該不動産が担保に入っていなければ、こういう話もそれなりのものとして受け取れるのですが、ローンで買ったマンション等の場合は問題です。

不動産を現金で買うような特殊な筋の方は別として、カタギの方が常識的な方法で不動産を購入するとなると、頭金を準備して、銀行から融資を受けて購入するのが通常です。一般に「晴れのときに傘を貸し、雨が降り出すと傘を強引に取り上げる」などと言われるくらいシビアな銀行のことですから、融資をしておいて、担保を取らないということは絶対ありません(ごくたまに、金融機関が担保を取らず融資をする場合もありますが、これは不正融資という名の背任行為であり、後でバレると、逮捕者や自殺者が何人か出ることになります)。

30年とか40年とかの住宅ローンを払い続けて完済した後に離婚するならともかく、ローンの支払いも終わっていない段階で離婚となると、妻が狙っている自宅には、ベッタリと銀行の担保がついています。

「ローンの払い終わっていない自宅」などという代物は貸主の所有物みたいなものであり、こんな不動産を持っていたところで、物件所有者の法律上の地位は借家人と大差ありません。

ローンで購入した自宅を「私がもらう」と強く争ったところで、「大喧嘩の末に別れた夫が、無理やり出ていかされた自宅のローンをニコニコ支払う」とも考えられませんし、ローンの支払いが止まれば退去させられるだけです。

これに対して、「すでに何年かローンを払っているのだから、マンションを売却したら残っている借金よりも高く売れるはず。だからその差額くらいはもらえるはずだ」という方もいらっしゃいます。

しかしながら、「不動産は、必ず買った価格より高く売れる」というかつての神話は、はるか昔に与太話と化しています。

20年でガタがくるような安普請の一軒家の場合、10年も経てば経済上の価値はゼロに近似したものとなりますし、猫の額のような郊外の土地の価値は買ったときからぐんぐん下がりはじめているものと思われます。

マンションにいたっては、我々資産取引のプロフェッショナルからみれば耐久消費財と同じであり、「手垢がついた瞬間、半値になる」という物件も相当あります。

実際、平均的サラリーマンが購入した家やマンションの多くは、残っている借金が資産価値を上回る不動産(専門用語で「オーバーローン物件」などといいます)であり、要するに「売却して換金しても、借金が払いきれない」物件なのです。

「ローンをして不動産を購入する行為」というのは、経済的には「住宅向不動産市場が債権市場よりも有望と考え、債権市場で借入れ、不動産市場に数千万円単位の投資をする」ことと同義であり、

バブル崩壊以降の住宅向不動産市場の長期的状況をふまえれば、自ら首を吊る行為と同じです。

以上のとおり、ローンで購入した住宅を有する、30代とか40代とかの典型的なサラリーマン世帯の夫婦において不和が生じ、離婚するような場合、「離婚したら家は私のものだからね」という妻の言い分も、実はあまり意味がない要求であるといえます。

引き続き、離婚にまつわる都市伝説を検証していきたいと思います。

(つづく)

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.010、「ポリスマガジン」誌、2008年6月号(2008年6月20日発売)

00003_離婚が頭によぎったら、まずは読んでおくべき「離婚にまつわる迷信・都市伝説」(2)~離婚すると、必ず慰藉料がもらえる?!~_20080520

よくスポーツ新聞や女性週刊誌などをみると、芸能人同士の離婚報道に関し、「○○と□□、離婚で慰藉料5億円」等といった見出しが掲げられることがあります。

こういう無責任な報道のせいか、離婚を検討する専業主婦の方々の中には、離婚すると、当然のように多額の慰藉料が転がり込んでくると考えられる方が少なからずいらっしゃるようです。

まず、前述の「離婚で慰藉料5億円」という報道は、「離婚給付の総額が5億円」という意味であり、「慰藉料が5億円」という意味ではありません。

離婚給付、すなわち離婚に際して夫が妻に対して支払うお金や財産は、①財産分与と②慰藉料の二つに分類されますが、離婚給付の総額が5億円とした場合、その内訳は、慰藉料が500ないし1000万円程度で、残額の4億9000万円ほどは財産分与、というのが一般的です。

すなわち、芸能人や実業家の奥さんが離婚に際して5億円もの金額をもらえたのは、財産と経済的余裕がある夫と結婚したことによるものであって、夫がひどい浮気したからというわけではないのです。

ちなみに、財産分与のルールについても、「離婚したら、もれなく、財産きっちり半分もらえる」ということが絶対的に確定しているものではありません。

実際、「被告(妻)が、具体的に、共有財産の取得に寄与したり、会社の経営に直接的、具体的に寄与し、特有財産の維持に協力した場面を認めるに足りる証拠はない」などという理由により、離婚した際、財産のうち、妻にはたった5%しか分与を認めなかった(残りの95%は夫が保持)、という裁判例もあります。

したがって、仮にご主人が相当な資産をお持ちであったとしても、「リッチな夫の財産の半分が転がり込むから、離婚したらたちまち大金持ちになれて、幸せな人生が送れる」という目論見が大きく外れる可能性もあり、安穏としていられません。

ましてや、離婚する相手が、リッチなセレブではなく、財産のない夫である場合、ゼロの財産をどう分割してもゼロにしかならず、結局、夫が浮気をしようが、暴力を振るおうが、「財産分与はゼロで、もらえるのは慰藉料だけ」ということになります。

で、その慰藉料ですが、簡単にもらえると思ったら、これまた大間違いで、実に様々なハードルがあります。          

まず、配偶者の浮気や暴力を訴え出ても、現実には立証が困難であり、「疑わしい」「怪しい」だけでは泣き寝入りの結果に終わります。

仮に、立証に成功したとしても、1億円とか2億円の賠償額がポンポン認められるほど日本における損害賠償の裁判実務は気前がいいわけではなく、苦労に苦労を重ねてようやく数百万円程度の慰藉料を認めてもらえるのがやっと、といったところです。

そして、苦労して慰藉料請求を認める判決を取ったとしても、相手に財産がなければ現実にお金を手にすることはできず、結局弁護士費用分損する、ということだってあるのです。

実際、離婚を相談される女性の中で、「ウチの夫の女癖は極度に悪く、今まで30回以上浮気された。アメリカの有名プロゴルファーも愛人を12人作って、その結果、離婚して600億円ものお金を払わされた、と聞きました。だから、かなりの数浮気をされた私も、600億円といわないまでも、2、3億円くらいもらえる権利はあるはずだ!」と鼻息荒く、ご主張なさる方もいます。

ただ、話をお伺いすると、件のご主人の浮気は、羽振りがよかったころの話で、今は、会社が傾いて、浮気する暇すらなく、うまく会社を整理できるかどうか、という状況のようです。

私が、「お気持ちはわかりますが、そんなお金、今のご主人にはありません。ないところからは取れませんよ」とお答えすると、その女性は、「そんな馬鹿げた話、あるはずはない。この前テレビでやってたワイドショーで、『ひどい扱いを受けた女性は、離婚の際、きっちりお金をもらえる。だから、泣き寝入りしないでください。最後は、正義が勝ちます』、とコメンテーターがいっていた。先生は、法律を知らないんですか!」とおっしゃいます。

私が、「それは、ご主人にお金がある場合でしょ。ご主人が尾羽打ち枯らして、手元不如意だと、どんなにひどい浮気をされても、お金なんて出てきませんよ」といいますと、最後には、「そんなわけないでしょ! 税金とか、社会保険とかって形で、離婚の被害者には、きっちり国が補償してくれるはずです。そのために、税金払ってきたんだから。先生、もっと真面目に調べてください!」とおっしゃる始末です。

言葉は通じるものの、話が全く通じないので、かなり難渋し、「財産のない夫からどんなにひどい仕打ちを受けても、一銭も取れない」、という単純な事実をご認識いただくまでに、相当な時間を空費する結果となりました。

以上のとおり、典型的なサラリーマン夫婦の場合、夫に暴力を振るわれようが、ひどい浮気をされようが、余所で子供を作られようが、離婚によって自動的に大金が転がり込むわけではないのです。むしろ、前回申し上げたように、世帯が分離して余計な支出が生じることも重なり、妻は、離婚によって経済的にますます不幸になるだけ、ということになります。

なお、「夫が年金をもらう年齢になれば、離婚によって、夫の年金の半分を分割してもらえる」というのも不正確な内容を含む、都市伝説です。年金分割の対象は、結婚期間中に納めた保険料に対応する厚生年金であり、基礎年金部分は分割の対象になりませんし、しかも支給開始時は、離婚時ではなく妻が将来年金を受給するときからです。

最後に、離婚した夫婦に未成年の子供がいる場合、制度上、子供を手放した方が、子供を引き取った方に対して、養育費を支払う義務が存在するのですが、「ない袖は振れない」の諺どおり、具体的な養育費の額は、相手方の経済状況に大きく依存します。そして、裁判所で認めてくれる養育費の額は、一般的にいってびっくりするくらい低い額です。

女性を差別する意志はありませんが、現在の法律の仕組みだけを客観的に観察する限り、財産のない夫婦に関していえば、夫に好き勝手されたことによる妻の被害を回復する仕組みはなく、むしろ、「離婚によって被害者たる妻側がますますミゼラブルになる社会的状況が厳然と存在する」ということしかいえません。

引き続き、離婚にまつわるいくつかの都市伝説を検証していきたいと思います。

(つづく)

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.009、「ポリスマガジン」誌、2008年5月号(2008年5月20日発売)

00002_離婚が頭によぎったら、まずは読んでおくべき「離婚にまつわる迷信・都市伝説」(1)~離婚すれば必ず幸せになれる?!~_20080420

離婚率はものすごい勢いで増えているようです。

2016年の婚姻件数は62万1000件で離婚件数は21万7000件、とのことですので、単純に考えると、離婚率3割となっています。

私の周りや、そのお子様等でも、びっくりするくらい、ポンポン離婚が発生しており、離婚はもはや、
「結婚に不可避的に付随する陳腐なイベント」
のような感じになっています。

これから結婚を迎える世代は、「5割の確率で離婚はありうる」という前提で、人生設計、家族設計等をする時代になるかもしれません。

私がまだ小さいころ、といっても30年から40年前くらいですが、このころは、まだ離婚というものが社会的に認知されておらず、離婚は「事件」であり、芸能人や著名人が離婚するだけで相当なニュースになりました。

ところが、令和の時代となった現在に至ると、事態は一変します。

芸能界ではすでに離婚は日常茶飯事となり、離婚せずに円満に結婚生活を続けている芸能人の方が珍しい存在としてメディアで取り上げられる有様です。

世間一般でも、離婚は珍しい出来事でなくなりましたし、テレビでは、離婚問題の対処法を扱ったクイズやバラエティ番組が盛んに放送されるようになっています。

私は、男女問題や離婚に関する法律実務にはそれなりに通じておりますが、しっかりとした認識と方針をもち、経済的な関係基盤を含めた盤石な信頼関係が構築できない限り、 依頼をすべてお断りをしており、業務として離婚を扱うことは、かなり少数です。

さらに言えば、離婚事件を積極的に扱いたいか、扱いたくないか、と問われると、どちらかというと後者が答えになります。

その理由は、「法は家庭に入らず」というローマ時代からの格言を重んじ、「弁護士も無闇に家庭に入らない」という業務上の方針をもっていることが一つにあります。

もう一つの理由は、無責任な内容を垂れ流すテレビ番組に汚染されているせいか、依頼者一般があまりにも無知で、法的状況や過酷な現実を理解することなく、離婚に対して「妄想」ともいうべき異常に高い期待を有しており、「啓蒙のため多大な時間を要するため、相当な信頼関係と相応の費用を前提としないと受任できない」という現実的理由によるものです。

そこで、今回から「離婚にまつわる都市伝説」と題し、「無責任な内容を垂れ流すテレビ番組に汚染された、無知な一般の方」を啓蒙する目的で、いくつかの都市伝説を検証する形で、離婚に関する法的知識を述べていきたいと思います。

◆離婚にまつわる都市伝説1~離婚すれば必ず幸せになれる?!~

おそらく、離婚を検討する人の多くは、このように考えられる方が多いです。

しかしながら、現実には、離婚の結果として確実なのは、経済的困窮の度が増すことだけであり、むしろ離婚前より不幸になる可能性が高いといえます。

離婚という現象を単純化すれば、それまで一個の経済単位であった家計を二分割するわけですから、社会経済的には明らかなマイナスが生じます。すなわち、それまで一つで足りていたマンションや、冷蔵庫や、電子レンジや、電話・・・と、何から何まで二つ必要になるわけですから、余計な経済上の負担が生じることは明白です。

経済的困窮は双方にふりかかりますが、一般的には、男性より女性の方が、仕事をもっている人間より仕事をしていない人間の方が、離婚を起因とした経済的困窮が激しく襲いかかります。すなわち、サラリーマンの方と専業主婦の方がご構成される夫婦が離婚した場合、専業主婦の方にふりかかる経済的困窮の度合は厳しく、不幸度が増すことは明らかです。

こういうことをいうと、「慰藉料とか養育費とかいっぱいもらえるから大丈夫」とかいう声が聞こえてきそうです。しかしながら、次回以降述べるように「慰藉料とか養育費とかいっぱいもらえるから大丈夫」というのも一種の都市伝説であり、離婚後も専業主婦としてのんびりやっていけるのは、離婚する夫によほどの理解と財産がある場合に限定されます。

「目ぼしい財産をもたない者同士が夫婦となり、所得が少なく、ケンカが絶えず、家庭内の状況が悪化し、離婚に至った」などというケースでは、妻が「夫からカネを取ってやる」と息巻いたところで、その「カネ」自体がないわけですから、カネは手にできません。

こういうケースで離婚しても、妻の側にはさらなる貧乏が待っているだけであり、現状の不満を打開する手段として離婚を選択することは、より一層不幸な状況を招くだけといえます。

「カネがすべて」というわけではないですが、幸福度を計測する重要な指標として経済状況というものが厳に存在し、かつ、離婚をすれば経済的困窮の度合いが増すことが明らかな状況では、「離婚をすることにより絶対貧乏になる」ということは確実にいえたとしても、「離婚すれば幸せになる」とは言い難いところです。

「夫ないし妻から毎晩暴力を受けていて、お金や生活にこだわっていたら命が危ない」「すでに再婚する人が決まっているので、別れても、今の生活状態を維持できる」というケースは別として、「離婚すれば必ず幸せになれる」というのは都市伝説というほかありません。 次回以降も、離婚にまつわるいくつかの都市伝説を検証していきたいと思います。

(つづく)

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.008、「ポリスマガジン」誌、2008年4月号(2008年4月20日発売)

00001_学校で子ども悪口を言われたとき、いじめられたときの対処法_20181204

例えば、こんなケースを考えてみましょう。

小学校に通う子どもが、突然、泣いて帰ってきた。
聞けば、音楽の授業、笛がうまく吹けず、不協和音を奏でてしまい、また、合唱の際に大声で音を外し、クラスのボス的な同級生から
「あんた、いい加減にして。音痴で、音楽できないんだから、歌うな。笛も吹くな。口パクしとけ。笛は吹くマネだけして音だすな。あんたの家族は、皆音痴で音楽センスのかけらもないでしょ。だいたい、家でちゃんとした音楽とか聞かないでしょ。親の遺伝よ」
と言われたらしい。

子どもは、もう学校に行きたくない、と言って、手がつけられないほど泣いている。

ご主人は、「子どもに対する言い方もさることながら、家族や家のことまでバカにされている。おそらく、相手の家の両親も普段から、我々の悪口を吹き込んでいるんだ。そうでなければ、理解できない言い様だ。許さん。相手の家に怒鳴り込みに行く」と息巻いている。

他方で、奥さんは、そんなことをすると、後々お母様同士やりにくくなる。
学校の先生に相談しようとも考えたが、きちんと取り扱ってくれるかわからない。

さて、どうしたものか・・・・・・。

以上の事例を前提に考えてみましょう。

まず、認識すべきことは、この問題には、「絶対的正解がない」という厳然たる事実です。

あるのは、「どれもこれも不正解の、いくつかの選択肢ばかり」で、「その中から、よりマシな方法を選ぶしかない」という状況だけです。

「実験環境における自然科学の問題」ではなく、「現実社会における人間関係から派生する社会的課題」については、たいてい、絶対的正解なんてありません。

多数の不正解の選択肢から、功利分析(メリット・デメリット、プロコン)を踏まえて、よりマシな選択肢を選び出し、選んだ選択肢を正解に近づける努力をするほかありません。

今回のケースで言いますと、選択肢として浮上するのは

1)何もなかっことにして、放置する
2)なかったことにはしないが、すぐさまのアクションを取らず、とりあえず、注視する姿勢で、様子をみる
3)子どもから相手の子どもに対して何らかの「アクション」を取る
4)学校に対して何らかの「アクション」を取る
5)相手の親に対して何らかの「アクション」を取る

といったものです。

「アクション」の中身についても、いろいろ選択肢が想定されるため、さらに分岐していきます。

A)口頭で何か「メッセージ」を伝える
B)文書で何か「メッセージ」を伝える
(もちろん、この他にも、「金属バットをもって怒鳴り込む」、「恐ろしい方々を招集して徒党を組んで交渉しにいく」といった選択肢も、論理上浮上しますし、親御さんの中には、そういうことをなさる方もいらっしゃるかもしれませんが、法律上・社会常識上の制約条件があるので、選択肢から除外します)

さらに、「メッセージ」といっても、反省と謝罪と今後の矯正を要求する、損害賠償を求める、こちらとして不快感を伝える、事実の確認を求める、などなど、マナーやトーンによっていろいろなバリエーションが出てきます。

なお、このようにして数多く浮上した選択肢それぞれに一長一短があります。

まず、1)や2)の利点は、圧倒的にラク、ということです。

時間もエネルギーも必要ありませんので、「省エネ」という点では、「捨て置く」「先延ばし」ということにまさるものはありません。

無論、泣きじゃくって、もう学校なんて行きたくない、と言っている子どもにとっては、何の問題解決にもなりませんが、ラクはラクです。

相手が、自己客観視と自律的に人格矯正ができる、と立派な子どもであれば、登校しないお友達の状況を察して、自省し、自主的に謝ってきてくれるかもしれません。

ですが、普通に考えて、上記のような悪口雑言を口に出す子どもが、そんな立派な人格者である、という推定は困難ですので、期待のほどは絶望的です。

5)は、一定の効果は期待できますが、どういうメッセージ内容を構築して、どういう体裁の文書を作成し、どういう方法で伝達するか、を企画し、構想し、実行するのに、多大な時間やエネルギーを消耗することになります。

加えて、メッセージを受け取った相手方が、非を認めて、折れてくれればいいのですが、
事実を争い、
事実の痕跡(証拠)の不備をあげつらい、
事実の解釈を争い、
「子ども同士の話」と取り合わなかったり、
となる可能性もあり、資源動員に見合った成果が絶対に得られるとは限りません。

特に、親は子どもを弁護しますし、不備を指摘されて却って硬直化して争われ、「証拠もなしに、言った言わないのくだらない議論をふっかけ、問題を大きくする、非常識なトラブルメーカー」のレッテルを貼られ、親子ともども学校のコミュニティから排除され、不可逆的に子どもが居づらくなり、問題が悪化する場合だってあります。

じゃあ、どないすんねん?
という声が聞こえてきそうですが、
「この問題には、絶対的正解がない」
「あるのは、どれもこれも不正解の、いくつかの選択肢で、よりマシな方法を選ぶしかない」
という前提で、お話ししたいと思います。

「私ならこうする」という意味における、「ワリとマシな不正解」は、
4)学校に対してアクションを取る 
というものです。

1)、2)の放置する、捨て置く、先送り、というのも魅力的な選択肢ですが、法律の世界で「黙示の承諾」「責問権の喪失」という理屈があるように、何も言わないと、無かったことになり、状況を容認した、と取られることもあります。

したがって、いかに、ケチで経済重視で省エネ指向の私でも選択しかねますね。  

今回の件は、学校の中の出来事です。

学校の中のことは、(法律問題等ではなく)教育問題である限り、また、学校が問題解決を放棄しない限り、第一義的には、学校が対処すべき課題、と位置づけられます。

学校に事実と状況を正しく伝え、
学校の共感を得て、
学校を動かし(=資源動員決定をせしめ)、
学校をして、まず、ヒヤリングその他、状況確認のためのアクションを取らせ、
学校をして、「当該事態が、事実とすれば、芳しからざるものであり、発言児童及びその家庭において、非違認識をして、矯正すべきもの」というメッセージを、発言児童と家族に発出させる、
というゴールとステップを見据えて、学校を動かすための状況構築をすることを考えることが、「わりとマシな最善の選択肢」だと考えます。

ここで、考えるべきは、

・学校の先生(担任教師)の本来的・正常的職務は、児童の教授であり、児童間のトラブル処理は、例外業務であり、厄介事であること

・また、学校の先生は、弁護士でもなく、法律の素養もないので、トラブル処理のためのスキルは習ったことがなく、むしろ、皆無である
という学校側の状況です。

学校の先生の立場からすると、本来的・正常的業務ですでに他の膨大な雑務に追われている中、スキルが全くないトラブル処理のために、残業をしてまで取り組むことは忌避したいところです。

さらに言えば、担任教師個人の認識レベルとしては、知見もスキルもない業務(トラブル処理)に手を染めて挙げ句、処理を間違い、トラブルが大きくなったら、余計な面倒を背負い込むことになりかねない、という状況である可能性が高いと思われます。

すなわち、担任教師個人レベルとしては、被害児童から何らかの問題状況の告発があっても、できるだけ、有耶無耶曖昧にして、自分の手を煩わせることなく、当事者間で自主的・自律的に解決してくれた方が便宜、という事になりかねません。

よくありがちなのが、「喧嘩両成敗」の形で、「発言児童の発言内容も悪いが、被害児童が音楽で迷惑かけたのも悪いので、どっちもどっちでおあいこ。さ、もう、終わった話。あとは仲良くしてね」というラクな終わらせ方です。

「学校へのアクション」の内容を構築するにあたって、「担任教師に、電話で伝える」というのはラクなことはラクなのですが、事態の重篤性が伝わらず、有耶無耶曖昧にされてしまうリスクがあります。

このように、担任教師がぬるい処理で、有耶無耶曖昧にさせたないためにも、「大事(おおごと)にする」「フォーマル化する」という方向で動いた方が、こちらが意図する問題解決に誘導する上では近道です。

メッセージは、文書によって行うべきですし、学年主任や、教頭(事案によっては校長)もCCに入れた形で、担任教師が握りつぶしたり、曖昧有耶無耶にできないような状況構築をしておくべき、となります。

なお、この文書の内容・体裁ですが、
意味不明、ボキャブラリー貧困、稚拙で幼稚、感情的で一方的で非知的な文書
だと、却って、バカにされ、体面を喪失しますし、最悪、厄介者扱いされて、積極的な協力も得られない可能性もあります。

文書としては、
1)事実と経緯を、感情や修飾語を一切排して、淡々と記述する
2)その上で、こちらとして、重篤かつ深刻な被害を受け、困惑しており、改善が必要であり、学校内の出来事なので、学校側が主体となって改善すべき事柄である、との前提見解を伝える
3)その上で、まずは、事実確認が前提、という保守的態度で、調査(具体的には発言児童からの聴取)をお願いする
4)事実が確認できた段階で、学校として、どのようなアクションを取るのか、決定し、教えてほしい、とお願いする
という内容で、フォーマルで知的でエレガントな文体・体裁の文書を作成し、発出する、という感じになるかと思います。

ここまで、しっかりとしたメッセージを発出し、事態を大きくしておけば、学校側が、いかに無視軽視したくとも、曖昧有耶無耶にはできず、何らかのアクションをせざるを得ません。

学校が動けば、大事(おおごと)になり、これが契機となって、状況が改善する方向で変化が期待できる、というところです。

もし、万が一、これでもなお、学校側が無視・放置すれば、事態は教育問題ではなく、法律問題に変化せざるを得ず、次のステップとなります。

著者:畑中鐵丸

初出:畑中鐵丸メールマガジン・”畑中鐵丸、語る”シリーズ、2018年12月4日号「畑中鐵丸、学校で子どもが悪口を言われたときの対処法を語る」

キーワード_イジメ_いじめ