00002_離婚が頭によぎったら、まずは読んでおくべき「離婚にまつわる迷信・都市伝説」(1)~離婚すれば必ず幸せになれる?!~_20080420

離婚率はものすごい勢いで増えているようです。

2016年の婚姻件数は62万1000件で離婚件数は21万7000件、とのことですので、単純に考えると、離婚率3割となっています。

私の周りや、そのお子様等でも、びっくりするくらい、ポンポン離婚が発生しており、離婚はもはや、
「結婚に不可避的に付随する陳腐なイベント」
のような感じになっています。

これから結婚を迎える世代は、「5割の確率で離婚はありうる」という前提で、人生設計、家族設計等をする時代になるかもしれません。

私がまだ小さいころ、といっても30年から40年前くらいですが、このころは、まだ離婚というものが社会的に認知されておらず、離婚は「事件」であり、芸能人や著名人が離婚するだけで相当なニュースになりました。

ところが、令和の時代となった現在に至ると、事態は一変します。

芸能界ではすでに離婚は日常茶飯事となり、離婚せずに円満に結婚生活を続けている芸能人の方が珍しい存在としてメディアで取り上げられる有様です。

世間一般でも、離婚は珍しい出来事でなくなりましたし、テレビでは、離婚問題の対処法を扱ったクイズやバラエティ番組が盛んに放送されるようになっています。

私は、男女問題や離婚に関する法律実務にはそれなりに通じておりますが、しっかりとした認識と方針をもち、経済的な関係基盤を含めた盤石な信頼関係が構築できない限り、 依頼をすべてお断りをしており、業務として離婚を扱うことは、かなり少数です。

さらに言えば、離婚事件を積極的に扱いたいか、扱いたくないか、と問われると、どちらかというと後者が答えになります。

その理由は、「法は家庭に入らず」というローマ時代からの格言を重んじ、「弁護士も無闇に家庭に入らない」という業務上の方針をもっていることが一つにあります。

もう一つの理由は、無責任な内容を垂れ流すテレビ番組に汚染されているせいか、依頼者一般があまりにも無知で、法的状況や過酷な現実を理解することなく、離婚に対して「妄想」ともいうべき異常に高い期待を有しており、「啓蒙のため多大な時間を要するため、相当な信頼関係と相応の費用を前提としないと受任できない」という現実的理由によるものです。

そこで、今回から「離婚にまつわる都市伝説」と題し、「無責任な内容を垂れ流すテレビ番組に汚染された、無知な一般の方」を啓蒙する目的で、いくつかの都市伝説を検証する形で、離婚に関する法的知識を述べていきたいと思います。

◆離婚にまつわる都市伝説1~離婚すれば必ず幸せになれる?!~

おそらく、離婚を検討する人の多くは、このように考えられる方が多いです。

しかしながら、現実には、離婚の結果として確実なのは、経済的困窮の度が増すことだけであり、むしろ離婚前より不幸になる可能性が高いといえます。

離婚という現象を単純化すれば、それまで一個の経済単位であった家計を二分割するわけですから、社会経済的には明らかなマイナスが生じます。すなわち、それまで一つで足りていたマンションや、冷蔵庫や、電子レンジや、電話・・・と、何から何まで二つ必要になるわけですから、余計な経済上の負担が生じることは明白です。

経済的困窮は双方にふりかかりますが、一般的には、男性より女性の方が、仕事をもっている人間より仕事をしていない人間の方が、離婚を起因とした経済的困窮が激しく襲いかかります。すなわち、サラリーマンの方と専業主婦の方がご構成される夫婦が離婚した場合、専業主婦の方にふりかかる経済的困窮の度合は厳しく、不幸度が増すことは明らかです。

こういうことをいうと、「慰藉料とか養育費とかいっぱいもらえるから大丈夫」とかいう声が聞こえてきそうです。しかしながら、次回以降述べるように「慰藉料とか養育費とかいっぱいもらえるから大丈夫」というのも一種の都市伝説であり、離婚後も専業主婦としてのんびりやっていけるのは、離婚する夫によほどの理解と財産がある場合に限定されます。

「目ぼしい財産をもたない者同士が夫婦となり、所得が少なく、ケンカが絶えず、家庭内の状況が悪化し、離婚に至った」などというケースでは、妻が「夫からカネを取ってやる」と息巻いたところで、その「カネ」自体がないわけですから、カネは手にできません。

こういうケースで離婚しても、妻の側にはさらなる貧乏が待っているだけであり、現状の不満を打開する手段として離婚を選択することは、より一層不幸な状況を招くだけといえます。

「カネがすべて」というわけではないですが、幸福度を計測する重要な指標として経済状況というものが厳に存在し、かつ、離婚をすれば経済的困窮の度合いが増すことが明らかな状況では、「離婚をすることにより絶対貧乏になる」ということは確実にいえたとしても、「離婚すれば幸せになる」とは言い難いところです。

「夫ないし妻から毎晩暴力を受けていて、お金や生活にこだわっていたら命が危ない」「すでに再婚する人が決まっているので、別れても、今の生活状態を維持できる」というケースは別として、「離婚すれば必ず幸せになれる」というのは都市伝説というほかありません。 次回以降も、離婚にまつわるいくつかの都市伝説を検証していきたいと思います。

(つづく)

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.008、「ポリスマガジン」誌、2008年4月号(2008年4月20日発売)

00001_学校で子ども悪口を言われたとき、いじめられたときの対処法_20181204

例えば、こんなケースを考えてみましょう。

小学校に通う子どもが、突然、泣いて帰ってきた。
聞けば、音楽の授業、笛がうまく吹けず、不協和音を奏でてしまい、また、合唱の際に大声で音を外し、クラスのボス的な同級生から
「あんた、いい加減にして。音痴で、音楽できないんだから、歌うな。笛も吹くな。口パクしとけ。笛は吹くマネだけして音だすな。あんたの家族は、皆音痴で音楽センスのかけらもないでしょ。だいたい、家でちゃんとした音楽とか聞かないでしょ。親の遺伝よ」
と言われたらしい。

子どもは、もう学校に行きたくない、と言って、手がつけられないほど泣いている。

ご主人は、「子どもに対する言い方もさることながら、家族や家のことまでバカにされている。おそらく、相手の家の両親も普段から、我々の悪口を吹き込んでいるんだ。そうでなければ、理解できない言い様だ。許さん。相手の家に怒鳴り込みに行く」と息巻いている。

他方で、奥さんは、そんなことをすると、後々お母様同士やりにくくなる。
学校の先生に相談しようとも考えたが、きちんと取り扱ってくれるかわからない。

さて、どうしたものか・・・・・・。

以上の事例を前提に考えてみましょう。

まず、認識すべきことは、この問題には、「絶対的正解がない」という厳然たる事実です。

あるのは、「どれもこれも不正解の、いくつかの選択肢ばかり」で、「その中から、よりマシな方法を選ぶしかない」という状況だけです。

「実験環境における自然科学の問題」ではなく、「現実社会における人間関係から派生する社会的課題」については、たいてい、絶対的正解なんてありません。

多数の不正解の選択肢から、功利分析(メリット・デメリット、プロコン)を踏まえて、よりマシな選択肢を選び出し、選んだ選択肢を正解に近づける努力をするほかありません。

今回のケースで言いますと、選択肢として浮上するのは

1)何もなかっことにして、放置する
2)なかったことにはしないが、すぐさまのアクションを取らず、とりあえず、注視する姿勢で、様子をみる
3)子どもから相手の子どもに対して何らかの「アクション」を取る
4)学校に対して何らかの「アクション」を取る
5)相手の親に対して何らかの「アクション」を取る

といったものです。

「アクション」の中身についても、いろいろ選択肢が想定されるため、さらに分岐していきます。

A)口頭で何か「メッセージ」を伝える
B)文書で何か「メッセージ」を伝える
(もちろん、この他にも、「金属バットをもって怒鳴り込む」、「恐ろしい方々を招集して徒党を組んで交渉しにいく」といった選択肢も、論理上浮上しますし、親御さんの中には、そういうことをなさる方もいらっしゃるかもしれませんが、法律上・社会常識上の制約条件があるので、選択肢から除外します)

さらに、「メッセージ」といっても、反省と謝罪と今後の矯正を要求する、損害賠償を求める、こちらとして不快感を伝える、事実の確認を求める、などなど、マナーやトーンによっていろいろなバリエーションが出てきます。

なお、このようにして数多く浮上した選択肢それぞれに一長一短があります。

まず、1)や2)の利点は、圧倒的にラク、ということです。

時間もエネルギーも必要ありませんので、「省エネ」という点では、「捨て置く」「先延ばし」ということにまさるものはありません。

無論、泣きじゃくって、もう学校なんて行きたくない、と言っている子どもにとっては、何の問題解決にもなりませんが、ラクはラクです。

相手が、自己客観視と自律的に人格矯正ができる、と立派な子どもであれば、登校しないお友達の状況を察して、自省し、自主的に謝ってきてくれるかもしれません。

ですが、普通に考えて、上記のような悪口雑言を口に出す子どもが、そんな立派な人格者である、という推定は困難ですので、期待のほどは絶望的です。

5)は、一定の効果は期待できますが、どういうメッセージ内容を構築して、どういう体裁の文書を作成し、どういう方法で伝達するか、を企画し、構想し、実行するのに、多大な時間やエネルギーを消耗することになります。

加えて、メッセージを受け取った相手方が、非を認めて、折れてくれればいいのですが、
事実を争い、
事実の痕跡(証拠)の不備をあげつらい、
事実の解釈を争い、
「子ども同士の話」と取り合わなかったり、
となる可能性もあり、資源動員に見合った成果が絶対に得られるとは限りません。

特に、親は子どもを弁護しますし、不備を指摘されて却って硬直化して争われ、「証拠もなしに、言った言わないのくだらない議論をふっかけ、問題を大きくする、非常識なトラブルメーカー」のレッテルを貼られ、親子ともども学校のコミュニティから排除され、不可逆的に子どもが居づらくなり、問題が悪化する場合だってあります。

じゃあ、どないすんねん?
という声が聞こえてきそうですが、
「この問題には、絶対的正解がない」
「あるのは、どれもこれも不正解の、いくつかの選択肢で、よりマシな方法を選ぶしかない」
という前提で、お話ししたいと思います。

「私ならこうする」という意味における、「ワリとマシな不正解」は、
4)学校に対してアクションを取る 
というものです。

1)、2)の放置する、捨て置く、先送り、というのも魅力的な選択肢ですが、法律の世界で「黙示の承諾」「責問権の喪失」という理屈があるように、何も言わないと、無かったことになり、状況を容認した、と取られることもあります。

したがって、いかに、ケチで経済重視で省エネ指向の私でも選択しかねますね。  

今回の件は、学校の中の出来事です。

学校の中のことは、(法律問題等ではなく)教育問題である限り、また、学校が問題解決を放棄しない限り、第一義的には、学校が対処すべき課題、と位置づけられます。

学校に事実と状況を正しく伝え、
学校の共感を得て、
学校を動かし(=資源動員決定をせしめ)、
学校をして、まず、ヒヤリングその他、状況確認のためのアクションを取らせ、
学校をして、「当該事態が、事実とすれば、芳しからざるものであり、発言児童及びその家庭において、非違認識をして、矯正すべきもの」というメッセージを、発言児童と家族に発出させる、
というゴールとステップを見据えて、学校を動かすための状況構築をすることを考えることが、「わりとマシな最善の選択肢」だと考えます。

ここで、考えるべきは、

・学校の先生(担任教師)の本来的・正常的職務は、児童の教授であり、児童間のトラブル処理は、例外業務であり、厄介事であること

・また、学校の先生は、弁護士でもなく、法律の素養もないので、トラブル処理のためのスキルは習ったことがなく、むしろ、皆無である
という学校側の状況です。

学校の先生の立場からすると、本来的・正常的業務ですでに他の膨大な雑務に追われている中、スキルが全くないトラブル処理のために、残業をしてまで取り組むことは忌避したいところです。

さらに言えば、担任教師個人の認識レベルとしては、知見もスキルもない業務(トラブル処理)に手を染めて挙げ句、処理を間違い、トラブルが大きくなったら、余計な面倒を背負い込むことになりかねない、という状況である可能性が高いと思われます。

すなわち、担任教師個人レベルとしては、被害児童から何らかの問題状況の告発があっても、できるだけ、有耶無耶曖昧にして、自分の手を煩わせることなく、当事者間で自主的・自律的に解決してくれた方が便宜、という事になりかねません。

よくありがちなのが、「喧嘩両成敗」の形で、「発言児童の発言内容も悪いが、被害児童が音楽で迷惑かけたのも悪いので、どっちもどっちでおあいこ。さ、もう、終わった話。あとは仲良くしてね」というラクな終わらせ方です。

「学校へのアクション」の内容を構築するにあたって、「担任教師に、電話で伝える」というのはラクなことはラクなのですが、事態の重篤性が伝わらず、有耶無耶曖昧にされてしまうリスクがあります。

このように、担任教師がぬるい処理で、有耶無耶曖昧にさせたないためにも、「大事(おおごと)にする」「フォーマル化する」という方向で動いた方が、こちらが意図する問題解決に誘導する上では近道です。

メッセージは、文書によって行うべきですし、学年主任や、教頭(事案によっては校長)もCCに入れた形で、担任教師が握りつぶしたり、曖昧有耶無耶にできないような状況構築をしておくべき、となります。

なお、この文書の内容・体裁ですが、
意味不明、ボキャブラリー貧困、稚拙で幼稚、感情的で一方的で非知的な文書
だと、却って、バカにされ、体面を喪失しますし、最悪、厄介者扱いされて、積極的な協力も得られない可能性もあります。

文書としては、
1)事実と経緯を、感情や修飾語を一切排して、淡々と記述する
2)その上で、こちらとして、重篤かつ深刻な被害を受け、困惑しており、改善が必要であり、学校内の出来事なので、学校側が主体となって改善すべき事柄である、との前提見解を伝える
3)その上で、まずは、事実確認が前提、という保守的態度で、調査(具体的には発言児童からの聴取)をお願いする
4)事実が確認できた段階で、学校として、どのようなアクションを取るのか、決定し、教えてほしい、とお願いする
という内容で、フォーマルで知的でエレガントな文体・体裁の文書を作成し、発出する、という感じになるかと思います。

ここまで、しっかりとしたメッセージを発出し、事態を大きくしておけば、学校側が、いかに無視軽視したくとも、曖昧有耶無耶にはできず、何らかのアクションをせざるを得ません。

学校が動けば、大事(おおごと)になり、これが契機となって、状況が改善する方向で変化が期待できる、というところです。

もし、万が一、これでもなお、学校側が無視・放置すれば、事態は教育問題ではなく、法律問題に変化せざるを得ず、次のステップとなります。

著者:畑中鐵丸

初出:畑中鐵丸メールマガジン・”畑中鐵丸、語る”シリーズ、2018年12月4日号「畑中鐵丸、学校で子どもが悪口を言われたときの対処法を語る」

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