00172_人は正義によって裁かれるのではない。法によって裁かれるのでもない。神によって裁かれるのでもない。人は、人によって裁かれる。

人は正義によって裁かれるのではありません。

法によって裁かれるのでもありません。

神によって裁かれるのでもありません。

人は、
「人」
によって裁かれる。

人を裁く
「人」
は、
「誰の指揮も命令も受けることなく、上司も不在で、法を解釈する超絶的な権限を有する、専制君主あるいは独裁者」
とも言える者です。

そういう
「人」
によって裁かれるのです。

1.司法の独立

日本国憲法第76条第3項には、司法の独立性が謳われています。

これは、司法権が国家の他の権力から独立し、自由かつ公正に行使されるべきであるという原則です。

司法の独立性とは、裁判官が他の権力、つまり行政や立法からの干渉を受けずに、自らの良心と法のみに基づいて判断を下すことができる状態を指します。

この原則は、自由主義や人権保障という点において重要な役割を果たします。

なぜなら、司法が他の権力、特に民主的多数決を基盤とする政治権力、すなわち、立法府や行政府から独立していなければ、公正な裁判が行われず、市民の権利や自由が守られないからです。

司法の独立性は、法の支配の基本原則の1つです。

法の支配とは、法律がすべての人々に平等に適用され、権力者も法律に従うべきであるという考え方です。

司法が独立していることで、政府や権力者が自らの都合の良いように法律を解釈したり、適用したりすることが防がれます。

これにより、市民は政府の恣意的な行動から保護され、公正な裁判を受けることができます。

2.司法の独立のダークサイド

しかし、司法の独立性が完全であることが必ずしも良い結果をもたらすわけではありません。

裁判官が他の権力から完全に独立しているということは、逆に言えば、裁判官が自らの判断を無制限に行うことができる状態を意味します。

これは、裁判官が
「法を解釈する権限を有する、専制君主あるいは独裁者」
となる危険性を孕んでいます。

このような場合、司法の独立性は逆に市民の権利を侵害する結果となります。

憲法第76条第3項に謳われている司法の独立性は、民主主義社会において重要な原則です。

しかし、その独立性が過剰になることは、司法が独裁的な力を持つ結果を招く可能性があるのです。

著:畑中鐵丸

00171_金儲けのチャンスを、「バクチ」ではなく、「ビジネス」にするために

ビジネスあるいは事業とは、目的を達成することが至上命題であります。

企業や個人が事業を展開する際に最も重要なことは、その目標を達成することです。

成功とは、目的を明確にし、その達成に向けたプロセスを効率的に進めることで得られるものです。

では、どのようにしてこの目的を達成するのか?

それには、汗をかかず、危険を最小限に抑え、ギャンブルを避け、達成可能なマイルストーンを1つ1つクリアしていくことが必要です。

これこそが真の事業です。

1.目的達成のための効率性

事業の成功において、最も基本的な要素は効率性です。

効率的に目標を達成することは、リソースの無駄を最小限にし、最大限の成果を得るための鍵となります。

効率性を高めるためには、次のような方法が考えられます。

  • プロセスの最適化:業務フローを見直し、無駄な工程を削減することです。
  • 技術の活用:最新の技術を導入し、自動化やデジタル化を推進することです。
  • 人材の活用:適材適所に人材を配置し、各人の能力を最大限に引き出すことです。

これらの方法を駆使することで、企業は効率的に目的を達成することができるのです。

2.危険の最小化

事業には常にリスクが伴います。

しかし、そのリスクを最小限に抑えることは可能です。

リスクマネジメントの基本は、リスクを事前に予測し、対応策を講じることです。

  • リスク評価:プロジェクト開始前にリスクを洗い出し、その影響度と発生確率を評価することです。
  • リスク回避策:リスクの高い要素を避けるか、リスクを低減するための対策を講じることです。
  • リスク分散:リスクを分散させることで、一つの失敗が全体に大きな影響を与えないようにすることです。

リスクを最小限に抑えることで、事業はより安定し、成功への道が確実なものとなるのです。

3.不確実性を減らし、「ギャンブル」の要素を減らす

事業においてギャンブル的な手法は避けるべきです。

成功する事業は、計画的であり、確実性を重視します。

  • データに基づく意思決定:感情や直感ではなく、データと分析に基づいて判断することです。
  • 慎重な計画:プロジェクトの各段階において慎重に計画を立てることです。
  • リスク管理の徹底:前述のリスクマネジメントを徹底し、不確実性を排除することです。

ギャンブルを避けることで、事業は安定し、着実に進展するのです。

4.達成可能なマイルストーンの設定

事業の成功には、達成可能なマイルストーンを設定することが不可欠です。

大きな目標を達成するためには、小さなステップを1つ1つクリアしていくことが重要です。

  • 現実的な目標設定:短期的な目標を設定し、達成可能な範囲内でステップを踏むことです。
  • 進捗管理:定期的に進捗を確認し、必要に応じて計画を修正することです。
  • フィードバックの活用:達成したマイルストーンごとにフィードバックを収集し、次のステップに活かすことです。

これにより、事業は段階的に進展し、最終的な目標に向かって確実に進むことができるのです。

まとめ

事業の成功は、目的を達成することに尽きます。

そのためには、効率性を追求し、リスクを最小限に抑え、ギャンブル的な手法を避け、達成可能なマイルストーンを設定することが重要です。

これらの要素を組み合わせることで、企業は確実に成功への道を歩むことができるのです。

真の事業とは、このように計画的かつ効率的に進めるものであり、その結果として目的が達成されるのです。

著:畑中鐵丸

00170_お金の本質:お金をもつと神になれるし、お金を失うと奴隷階級に落とされる

要約>

お金の最大の魅力は、自分の願いが叶えられる、自由になれる、経済学的に言えば
「効用が最大化できる」、
ということ。

自分の願いが十分叶えられた後は、他人の願いも叶えられる。

そして、他人の願いを叶えられる、ということは、それは
「神になれる」
「神様のように振る舞える」
ということを意味する。

そして、金がないと、自由を失う。

自由を失うと、不本意に甘んじることになる。

そして、それは、尊厳を失うことを意味し、さらにいえば、資本主義社会において
「奴隷になる」
ということを意味する。

はじめに

お金は現代社会において欠かせない存在であり、多くの人々の生活に深い影響を与えています。

その最大の魅力は、お金が個人の願いを叶え、自由を提供し、経済学的に言えば
「効用」
を最大化する手段であることにあります。

さらに、個人の願いが十分に叶えられた後、お金を通じて他人の願いを叶えることができるという側面もあります。

この行為は
「神になれる」
「神様のように振る舞える」
という感覚をもたらします。

しかし、金がないと自由を失い、不本意に甘んじることになり、最終的には尊厳を失い、資本主義社会において
「奴隷になる」
ことを意味します。

お金の本質的意味

お金は、人々が自分の願いを叶えるための手段です。

例えば、旅行に行きたい、欲しいものを買いたい、子供に良い教育を受けさせたいなど、私たちには様々な願望があります。

お金があれば、これらの願いを実現することが可能です。

このように、個人の自由を広げる手段としてお金は非常に重要です。

自由とは、自分の意志に基づいて行動する能力であり、お金はその自由を実現するための鍵となります。

経済学的には、お金は効用を最大化する手段とされます。

効用とは、個人が得られる満足度や幸福感を指します。

お金があれば、個人は自身の効用を最大化するために最も適した選択をすることができます。

例えば、ある人は高級レストランで食事をすることで満足感を得るかもしれませんし、別の人は趣味に投資することで幸福を感じるかもしれません。

お金は、個々のニーズや欲求に応じた選択を可能にし、それによって効用を最大化する手段となるのです。

「他人の願いを叶えること」は「神になる」こと

自分の願いが十分に叶えられた後、お金は他人の願いを叶えるためにも使われます。

家族の願いを叶え、身近な親族の願いを叶え、知人や後輩や部下の苦境を救い、さらには、慈善活動や寄付を通じて社会に貢献できます。

この行為は、他人に対して
「神様のように振る舞う」
ことを意味します。

なぜなら、他人の人生を良くするための力を持つことは、まるで神が人々に恵みを与えるような感覚をもたらすからです。

このような行為は、自己実現の一形態でもあります。

マズローの欲求段階説によれば、自己実現は人間の最も高次の欲求であり、自分の潜在能力を最大限に発揮し、他者に対しても貢献することを意味します。

お金を通じて他人の願いを叶えることは、自己実現の一環として捉えることができ、個人の生きがいや充実感を高める要因となります。

お金の喪失=自由を失う=奴隷階級に落とされる

お金がないと、自由を失うことになります。

自由を失うということは、自分の意志に反して行動しなければならない状況に陥ることを意味します。

例えば、経済的に困窮している場合、自分が望まない仕事をしなければならないことや、必要な医療や教育を受けられないことが考えられます。

このような状況は、不本意に甘んじることを強いられるため、個人の尊厳を傷つける結果となります。

尊厳とは、自己の価値を認識し、自分自身を尊重する感覚を指します。

経済的な自由がないと、自分自身の価値を十分に発揮することができず、他者からの尊重も得られにくくなります。

これは、資本主義社会において特に顕著です。

資本主義社会では、お金が個人の価値を測る1つの尺度となっているため、経済的に困窮している人々は社会から低く見られがちです。

このような状況は、個人の尊厳を損ない、
「奴隷」
のような状態に追い込む可能性があります。

資本主義社会において、お金がない、ということの意味

資本主義社会において、お金がないことは
「奴隷になる」
ことを意味します。

ここで言う
「奴隷」
とは、古典的な意味での所有権を持たれた人間ではなく、経済的自由を失い、自分の意志で行動する能力が制約される人々を指します。

この状況は、低賃金労働や長時間労働、過酷な労働環境などによって引き起こされます。

経済的な自由がないと、個人は自分の時間や労力を他者の利益のために費やさざるを得なくなります。

例えば、生活費を稼ぐために複数の仕事を掛け持ちしなければならない場合、個人の時間はほとんど全て仕事に費やされ、自分のために使う時間がほとんど残りません。

このような状況は、まるで
「奴隷」
のように働かなければならない状態を生み出し、個人の生活の質を大きく損なうことになります。

経済的自由と自己実現

経済的自由は、個人の自己実現にとって不可欠な要素です。

自己実現とは、自分の能力や可能性を最大限に発揮し、充実した人生を送ることを意味します。

経済的自由があれば、個人は自分の夢や目標を追求するためのリソースを持つことができます。

例えば、芸術家が創作活動に専念するための資金がある場合、その作品を通じて自己実現を達成することができます。

一方で、経済的自由がないと、自己実現は非常に困難になります。

生計を立てるために必要な最低限の収入しか得られない場合、自分の夢や目標を追求する余裕はほとんどありません。

このような状況は、個人の創造性や才能を発揮する機会を奪い、長期的には社会全体の発展をも妨げる可能性があります。

まとめ

お金の最大の魅力は、自分の願いを叶え、自由を提供し、経済学的に言えば
「効用」
を最大化する手段であることにあります。

お金を通じて他人の願いを叶えることは、
「神になれる」
「神様のように振る舞える」
感覚をもたらし、自己実現の一環として非常に意義深いものです。

しかし、金がないと自由を失い、不本意に甘んじることになり、尊厳を失う危険性があります。

資本主義社会において経済的自由を失うことは、
「奴隷になる」
ことを意味する場合があり、個人の生活の質や社会全体の発展に悪影響を及ぼす可能性があります。

したがって、経済的自由を確保することは、個人の幸福や自己実現にとって非常に重要であり、それを追求することが求められます。

著:畑中鐵丸

00169_リーダーの仕事は、皆から嫌われること

要約>

意思決定の本質はトレードオフ。

誰かから嫌われる みんなに好かれるのは意思決定を避けている、ということ。

そして、それは、トップとして、経営者として、全く仕事をしていない、価値を創出していないことを意味する。

要するに
「経営者やリーダーの仕事は嫌われること」
「孤独であり、村八分されること
である。

はじめに

意思決定とは、リーダーや経営者にとって避けられないものであり、その本質には、トレードオフが存在します。

トレードオフとは、ある選択をすることで別の選択肢を放棄しなければならない状況を指します。

このような状況では、必ず誰かが利益を得る一方で、他の誰かが不利益を被ることになります。

すべての人に好かれることを目指すリーダーは、実際には意思決定を避けていると言えます。

そして、それは経営者としての責任を果たしていないことを意味します。

この記事では、意思決定におけるトレードオフの重要性と、リーダーが嫌われることの意義について考察します。

トレードオフの不可避性

意思決定のプロセスにおいて、リーダーは常に複数の選択肢の中から最適なものを選ばなければなりません。

しかし、全ての選択肢が等しく魅力的であることは稀であり、必ず何かを犠牲にする必要があります。

例えば、新しい製品を開発するために予算を増やすことは、他のプロジェクトへの資金を削ることを意味します。

また、人員を増やすために採用を進めることは、現行のスタッフの昇給や福利厚生の充実を遅らせる可能性があります。

このように、意思決定には常にトレードオフが伴うのです。

リーダーの役割と責任

リーダーの役割は、組織全体の利益を最大化するために最善の選択をすることです。

しかし、その選択が全てのメンバーにとって満足のいくものであることは稀です。

例えば、企業の方向性を大きく変える決定を下す際、現状維持を望むメンバーからは反発を受けることが予想されます。

それでも、リーダーは長期的な視点で組織の成長と発展を考えなければなりません。

好かれるリーダーと嫌われるリーダー

全ての人に好かれることを目指すリーダーは、実際には意思決定を避けていると言えます。

これは、何も決めずに現状を維持することが最もリスクの少ない選択肢であるためです。

しかし、このようなアプローチは、組織の成長を妨げる可能性があります。

逆に、明確なビジョンと目標を持ち、それに向けて積極的に行動するリーダーは、一部のメンバーから反発を受けることがあっても、組織全体の利益を考えた意思決定を行うことができます。

つまり、リーダーの仕事は、必然的に、嫌われることを含んでいるのです。

意思決定と価値の創出

リーダーが意思決定を通じて組織に価値を創出するためには、必ずしも全てのメンバーの賛同を得る必要はありません。

むしろ、組織の長期的な成功を目指すためには、時には短期的な不満や反発を受け入れる覚悟が必要です。

例えば、古いビジネスモデルを捨てて新しい技術に投資する決定は、一部の従業員や株主から反対されるかもしれません。

しかし、このような意思決定が将来的に組織にとって大きな利益をもたらす可能性があります。

嫌われることの意義

リーダーが嫌われることを恐れずに意思決定を行うことは、そのリーダーシップの真価を問うものです。

嫌われることを恐れないリーダーは、自分のビジョンや目標に対する確固たる信念を持ち、その実現に向けて行動することができます。

また、このようなリーダーは、組織全体の利益を最優先に考え、個々のメンバーの短期的な不満を超えて、長期的な成功を追求します。

まとめ

意思決定の本質はトレードオフにあり、リーダーや経営者は、その過程で必ず誰かから嫌われることを経験します。

全ての人に好かれることを目指すリーダーは、意思決定を避けることで組織の成長を妨げる可能性があります。

一方で、嫌われることを恐れずに明確なビジョンを持ち、積極的に行動するリーダーは、組織にとって不可欠な存在です。

最終的に、リーダーの仕事は組織全体の利益を考えた意思決定を行うことであり、その過程で嫌われることは避けられないものなのです。

著:畑中鐵丸

00168_「共通のリテラシーに基づく、高度の信頼関係」 の構築が弁護活動の前提

弁護士は、

・状況を正しく認識し、
・状況の意味も正しく解釈し、
・描ける現実的なゴールについて明瞭に把握し、
・現状とゴールの間に横たわる課題(なかんずく、非常識な相手の意図や行動)についてもれなく抽出し、そこに至る道筋やイレギュラーが生じた場合のゲーム・チェンジを想定し、
・実際、戦略実施過程に入ると、あの手、この手、奥の手、禁じ手、寝技、小技、反則技を駆使して、最後まで交渉・闘争を続ける、

というイメージを持ちます。

言わずもがなでしょうが、クライアント本人とのチームビルディングが万全にできないと、どんなに正しい戦法も実現できません。

ところが、
・状況の認識、
・状況の意味の解釈、
・現実的なゴールについてのイメージ、
・課題の抽出、
・ゴールデザイン、
・戦略やゲーム・チェンジの想定、
・実施過程での非常識な方法を含めたタブーなきあらゆる手段の構築と実施、
すべてにおいて、話が噛み合わないことがあります。

言葉を変えると、(クライアントの)常識フィルターや思い込みバイアスが障壁となって、フラットな情報やリテラシー共有環境が築けず、いわゆる
「人の和」
も築けず、最後は、あまりのコミュニケーション障壁の高さに、弁護士が感情的になるほどの有様です。

たとえば、
「○○円さえ渡せば、相手もおとなしくなって、常識が通用するようになるだろう」
という思い込みをもつクライアントが、弁護士から
「優位に立った非常識は、常識に遠慮するどころか、(相手方は)ますます図に乗り、のさばり、全てを奪っていく」
という可能性・危険性を伝えられ、それを否定するようであれば、(弁護士としては)手の打ちようがないのです。

平和のための○○円というカネの提供が、
「相手をビビらせれば、金が出てくる」
というメッセージを相手方に与えてしまい、そこから、際限なき譲歩を迫られていく、というシナリオ(無論、可能性に過ぎませんし、そこまでに至らない可能性もあるかもしれませんが)への配慮がなされないからです。

あるいは、これまでの(相手方との)契約において、(クライアント本人が)しっかり内容を把握せず、あるいは、その悪意を解釈することなく、署名してきた文書があるとすれば、
「漢字が多く、意味解釈が困難で、一件しておどろおどろしい法的手続」
を誇示してちらつかせれば、いくらでも、言うことを聞いてくれる、ということを、相手方に教えてしまうことになります。

相手にとっては、こんなラクな相手はありません。

そして、
「敗戦交渉するのは、単に、武装解除して、白旗上げて、手を上げれば、それで、最低限の尊厳は確保される」
というのもまた思い込みです。

負けを悟って降伏した相手を、人間として尊重し、敬意をもって処遇したのは、日露戦争の日本軍か、第二次世界大戦の英米の軍隊くらいで、強盗・レイプ集団と化した、ソ連の満州侵攻や、会津戦争の薩摩兵の狼藉ぶりの方がデフォルトイメージです。

「優位に立った非常識は、常識に遠慮するどころか、ますます図に乗り、のさばり、全てを奪っていく」
という可能性・危険性は、こういう歴史的事象から推察される真実を前提としています。

敗戦交渉をするなら、最後まで抵抗する姿勢をみせ、
「いざとなったらいくらでも抵抗し、辟易させる」
と武威を示しつつ、ナメられないようにして、勝ち取るべきもので、相手の要求したものをもっていたら、それで相手が笑って許してくれる、というものではない、という認識です。

以上のような、保守的で、警戒心と危惧感にみちた、ネガティブな考え方も、
「絶対そうなる」
ということは言えません。

だからこそ、状況認識や、状況解釈、想定については、弁護士とクライアント本人、
「共通のリテラシーに基づく、高度の信頼関係」
が必要なのです。

「言葉は通じても、(紛争・有事対応のテーマについては)話は通じないし、リテラシーやマインドセットは完全に隔絶」
という状況では、敗戦処理すら、ままなりません。

私が、
「弁護士」
として接する際には、活動前提として、
「共通のリテラシーに基づく、高度の信頼関係」
の構築をクライアントに要求します。

この関係構築ができなければ、どんなにお金を積まれても、依頼を引き受けないし、相談を受けない、ということを、自分の仕事の流儀としています。

そのため、
「後からするケンカを、先にしておく」
といった形で、依頼を受ける際、たいていのクライアントと大喧嘩から始まります。

「“常識”対“非常識”の話」

「バチカンの天動説の話」
をすれば、たいていの
(“常識”という“偏見のコレクション”に冒された)クライアントは、激怒しますし、感情的になりますから、当然といえば当然です。

実の親からも仕事の依頼を受けたこともありますが、その際、あまりの
「常識バイアス」
の酷さに辟易し、
「いい加減、くだらない常識を捨て、プロが伝える、正しい非常識を優先して、物事をみろ!」
と怒鳴り飛ばし、最後は詫びを入れさせ、ことあるごとに、頭を下げさせ、ようやく、バイアス補正の上で、一定の成果を出したことがあるほどです。

「難事にあたるプロは、決して親しい人間の依頼を受けるな」
という箴言を身をもって思い知りました。

親しい関係があると、どうしても、目先の人間関係をこじらせたくないあまり、
「共通のリテラシーに基づく、高度の信頼関係」
構築前提の際の、
「後からするケンカを、先にしておく」
ということをおざなりにしがちです。

結局、
「後から津波が来ないように、最初に波風を立てておけ」
という仕事の前提環境作りが機能せず、あいまいな関係のまま、ずるずると関係ができてくると、お互いストレスが蓄積し、最後は不幸な結果に至るのです。

著:畑中鐵丸

00167_開業プロフェッショナル(開業医、経営弁護士等)における有事の心得

開業医における有事というものは、フェーズがすすむと、たいてい、診察時間に医院内にて起こります。

「受付に嫌がらせをしに来た」
「(当方としては)受け取ってはいけない“文書”を持ってきて、受付に無理やり置いていった」
「受付スタッフをそれとなく脅しに来た」
「待合の患者に医院の悪口を吹聴しに来た」
等々があげられます。

(患者の診察を終え、)診察室から出てきたら状況が飲み込めないほど変わっていた、というように、急激に状況が悪化することもあります。

だからといって、やみくもに恐れて休診にすると、患者が減る事態にもなりかねません。

すべては、トレードオフ課題です。

「休診するのか」
「そのまま診察を続けるのか」
の1つをとっても、トレードオフ課題なのです。

「そのまま診察を続ける」
を選択するのであれば、通常どおり診療を続けねばなりません。

だからといって、責任をスタッフに押し付け、診察室に入るのは、愚かというものです。

「何かあったときには、何とかしてね」
「何かあったら、呼んでくれたらいいよ」
などと、スタッフにあいまいな指示をして診察に入るのは、
「無策」
と同義です。

それは、任せる先の人間のレベルと限界を把握せずに、細かい指示を与えずに、警戒もせずに、細かくフォローもせずに、手放しで任せる、ということなのです。

要するに、有事の際、
「何とかなるだろう」
「誰か(スタッフ)が何とかしてくれるだろう」
などと楽観的に考えるのは、愚の骨頂といえましょう。

有事の心得としていえるのは、経営者であるトップ自身が、
「唯一の正解があるわけではない有事においては、トレードオフ状況を踏まえた上で、選択をする勇気をもつこと」
と、
「選択したことを正解にする努力を続ける」
しかない、ということです。

著:畑中鐵丸

00166_開業プロフェッショナル(開業医、経営弁護士等)における経営前提リテラシー

開業医における経営を考えるには、まず、経営についての概念を固めます。

1 患者はなぜ、あなたのところに来るのでしょうか?

1) 近いから?
2) 便利だから?
3) たまたま目についたから?
4) 清潔そうだから?
5) ホームページが整っているから?
6) 知っているから?
7) 病院にいたころの患者だったから?
8) 腕が良いから?
9) 腕が良さそうだから?
10) 女性(男性)だから?
11) 腰が低いから?
12) 偉そうで自信たっぷりで安心できそうだから?
13) 数百円で長話や愚痴を聞いてくれるから?
14) (あなたが)貧乏そうで可哀想だから、(診察してもらって)お金を落としてあげるため?
15) スタッフがたくさんいて流行ってそうだから?
16) 看板が素敵だから?
17) 待たなくてもすぐに診察してもらえるから?
18) 電話やオンライン診療に対応しているから?
19) すぐ薬を出してくれるから?
20) たくさん薬を出してくれるから?
21) 医者を切り替えるのが面倒くさいから?

2 では、逆を考えてみましょう

1’)  遠かったら、患者はあなたのところに来ますか?
2’) 不便だったら、患者はあなたのところに来ますか?
3’) たまたま目につかなくても、患者はあなたのところに来ますか?
4’) 清潔そうでなくても、患者はあなたのところに来ますか?
5’) ホームページが整っていなくても、患者はあなたのところに来ますか?
・・・

3 次に、「病院は、百貨店」「クリニックは、ブティック」と、置き換えて、考えてみましょう

ブティックの強みは、強調するところは徹底して強調し、捨てるところはバッサリ捨てることです。

1) クリニックの強みもしかり、と考えると、クリニックとして、「何を実装する必要があるか」「何を強調すべきか」は、おのずと見えてくるでしょう

2) (「何を実装するべきか」「何を強調すべきか」が見えると、)「何を捨てるか」
が、おのずと見えてくるはずです

これが、開業医における経営前提リテラシーです。

著:畑中鐵丸

00165_企業経営者が意識すべき「会社の憲法」「訓示」のつかいかた

会社の憲法をつくるときや訓示するとき、
「説教臭い」
ものは、 NGでしょう。

それは、要するに、
「一過性はあっても持続可能性がない」
ということです。

いわば、
「下りのエスカレーター登るのと同じ」
ようなもので、構造的に無理があるといえます。

要するに、説教臭い会社の憲法や説教臭い社訓は、企業経営者が、
「自分に対する戒め」
としてつかうものであり、従業員に強いるのはNG、ということです。

なぜなら、
「説教臭い」
は、
「ジジくさい」
「年寄りくさい」
「退屈な」
と同様に、人間の本来的なエネルギーに反しているからです。

では、会社の憲法や訓示は、どのようなものがいいのでしょうか。

人間というものは、欲があります。

「お金」
「地位」
「わくわく」
「刺激」
「楽しい」
「勝負に勝つ」
というような欲を前にすると、人間は、自然とやる気を出します。

・ゲームのロジック
・ゲームのルール
・プレーの楽しさ
を構築し、企業経営者から従業員に対するメッセージとして、これらを伝え、そして、評価するものが、会社の憲法であり、訓示です。

構造的・本質的に、素直で自然で無理しない
「欲」
に適合したゲームのロジック・ルール・推奨されるプレースタイルを、
「ミエル化」
「カタチ化」
「言語化」
「数字化」
「定量化」
「フォーマル化」
プラス
「イージー化」
「カジュアル化」
「面白化」
することです。

このようにして、会社の憲法、会社トップの訓示を運用していくと、会社は、構造的に大きくなっていくでしょう。

著:畑中鐵丸

00164_ヒトのマネジメント(4)_20120720

連載シリーズ
「仕事のお作法」
ですが、前回から、
「お仕事・各論編」
として、ヒト・モノ・カネ・チエという各種経営資源マネジメントのうち、
「ヒトのマネジメント(労務マネジメント)」
についてお話しております。

今回は、
「ヒトのマネジメント」
というお仕事の解説の最後として、解雇の仕方を解説します。

3 ヒトのマネジメント(労務マネジメント)に関わるお仕事の作法

(4)従業員のクビを切る

ア 採用は自由だが、解雇は不自由

労働法の世界では、解雇権濫用の法理といわれるルールがあるほか、解雇予告制度や即時解雇の際の事前認定制度等、労働者保護の建前の下、どんなに労働者に非違性があっても、解雇が容易に実施できないようなさまざまな仕組が存在します。

映画やドラマで町工場の経営者が、娘と交際した勤労青年に対して
「ウチの娘に手ぇ出しやがって。お前なんか今すぐクビだ、ここから出てけ!」
なんていう科白を言う場面がありますが、こんなことは労働法上到底許されない蛮行です。

そもそも、解雇権濫用法理(使用者の解雇権の行使は、客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是認することが出来ない場合には、解雇権の濫用として無効になる)からすれば、代表取締役の娘と従業員が交際した事実を解雇理由とすることは濫用の典型事例であり、解雇は明らかに無効です。

仮に解雇理由があっても、労働基準監督署から解雇予告除外のための事前認定を取らない限り、解雇は1カ月先にするか、1カ月分の給与(予告手当)を支払って即時解雇することしかできません。

したがって、上記のような解雇は、理由もなければ手続上も違法なものであり、法的効力は一切ありません。

婚姻関係が
「婚姻は自由だが、離婚は不自由」
と言われるのと同様、従業員雇用も
「採用は自由だが、解雇は不自由」
とも言うべき原則が働きますので、解雇は
「勢い」
でするのではなく、法的環境を冷静に認識した上で、慎重かつ合理的に行うべき必要があります。

イ 裁判所は、ダメ社員の味方

経営感覚と裁判例の大きなギャップを示す事件として、高知放送事件というものが挙げられます。

同事件(最判昭和52年1月31日)では、
「2週間の間に2度、宿直勤務の際に寝過ごし、定時ラジオニュースの放送事故を起こし、放送が10分間ないし5分間中断されることとなり、2度目の放送事故を直ちに上司に報告せず、後に事故報告を提出した際に、事実と異なる報告をしたアナウンサー」
に対する普通解雇について、
「解雇をもってのぞむことはいささか過酷に過ぎ、合理性を欠くうらみなしとせず、必ずしも社会的に相当なものとして是認することはできない」
として解雇を無効としています。

「無断遅刻・無断欠勤などした従業員は解雇が当然」
と考えておられる経営者も多いかと存じますが、最高裁に言わせれば、
「無断遅刻無断欠勤くらいで、解雇だの、懲戒だの、とかガタガタ言うな。その程度で解雇なんぞするのは、不合理で、反社会的だ」
ということになってしまうようです。

 恋愛関係も雇用関係も、キレイに関係を清算するには、フるのではなく、フられるようにもっていく

では、スマートにクビを切るにはどのようにするか、というと、従業員側から退職届を出してもらうことに尽きます。

さまざまな規制が及ぶ
「解雇」
とは、あくまで
「嫌がる従業員を無視して、会社の一方的意思表示により雇用関係を消滅させること」
を意味します。

すなわち、会社の一方的都合でラディカルな行為が行われるから、さまざまな解雇の法規制が働くのです。

他方、従業員が自主的に雇用関係を消滅させることはまったく自由であり、そのような形での雇用関係の解消に法は介入しません。

男女の交際関係を上手に解消する手段として、
「こちらからフるのではなく、相手に愛想を尽かせて相手からフらせるようにもっていけ」
なんて方法が推奨されることがありますが、雇用関係の解消もこれと同様に進めれば、カドをたてず所定の目的を達成できる、ということになります。

(5)ヒトのマネジメント・まとめ

以上、
「ヒトのマネジメント(労務マネジメント)」
というお仕事の作法を見て参りましたが、この種のお仕事の作法の基本は、ヒトという経営資源の特性をきちんと把握して、良い物を安く買い、買ったものをうまく使い倒し、不要になったら、モメないように綺麗に処分する、ということに尽きます。

そして、
「ヒトとモノの区別をきっちり付けないと、有益な資産を買ったつもりが、捨てるにあたってとんでもないトラブルを背負い込むになる」
ということも、マネジメントにあたって、頭に叩きこんでおく必要があります。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.059、「ポリスマガジン」誌、2012年7月号(2012年6月20日発売)

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連載シリーズ
「仕事のお作法」
ですが、前回から、
「お仕事・各論編」
として、ヒト・モノ・カネ・チエという各種経営資源マネジメントのうち、
「ヒトのマネジメント(労務マネジメント)」
についてお話しております。

3 ヒトのマネジメント(労務マネジメント)に関わるお仕事の作法

(3)採用した人間を如何にうまく使うか

 組織が末期になると、精神論で乗り切ろうとする

前回は、
「人の採用」
がテーマでしたが、今回は、
「採用した人をいかにうまく使うか」
というテーマについて述べてみます。

当たり前の話ですが、ヒトという経営資源を運用するには、
「どのようにして事業を展開すべきか」
という課題を達成するための合理的手段を、科学的な方法で組み立て、これを現実的な行動計画に落とし込み、現場の人間が判別可能な戦術を与えていくことが必要です。

ここで、いきなり歴史のお話をさせていただきます。

第二次世界大戦末期、旧日本軍は、魚雷に兵士を搭乗させてそのまま敵艦に突っ込ませて爆破させる攻撃方法(人間魚雷)や、航空機をそのまま敵艦に衝突させて爆破させる攻撃方法(特攻)を実施させたり、国民には、
「気合があれば、竹槍でB29を落とせる」
等と激を飛ばし、竹槍を扱う訓練をさせたり、と愚にもつかないことを行っていたそうです。

しかし、これは笑い事ではありません。

「ヒトを使う」
という点において、旧日本軍と同じようなことをやっている企業が、現代においても少なからず存在します。

すなわち、日本の多くの中小企業や、業績が低迷している上場企業においては、終戦末期の日本軍のように、科学的方法や合理的・現実的計画に基づかず、気合や根性や精神論で、従業員にできもしないノルマを与えるようなところが見受けられます。

イ 気合による営業が効果的だった時代

とはいえ、日本の戦後産業社会において、
「気合があれば、竹槍でB29を落とせる」
のと同じような激を飛ばし、気合や根性や精神論で従業員に営業活動を行わせることで
「何とかなった」
という時代も、あるにはありました。

30年ほど前までは米ソが冷戦真っ最中で、日本は、
「フツーのものをフツーの値段でフツーに作れる」
という稀有な所業国家として、
「世界の工場」
の地位を築き上げました。

当時、経済はインフレーション傾向にあり、作っても作ってもモノが不足し、作ればすべてモノが売れる時代でした。

現在のように、マーケティングだの営業戦略だの細かいことをグダグダ考えなくても、気合を入れれば、なんとか需要家がみつかり、あとは押しの一手で在庫を持ってもらうことができる、そんな時代だったのです。

そういう時代においては、能書をたれるよりも、行動こそが重要で、まさしく
「営業は気合」
だったのです。

しかし、冷戦が終了し、世界市場が単一化し、供給が過剰になりはじめました。

東欧諸国や中国が競争に参入し、圧倒的な価格競争力で「世界の工場」という地位を日本から奪取しにかかります。

加えて、日本国内においては社会が成熟し、デフレ・低成長時代になり、モノ余りが顕著になっていきました。

ウ もはや、気合だけでは売れない時代

このようにして、
「フツーのものをフツーに作れる」
というのは希有でもなんでもなく、
「ビミョーなものを、イジョーな安価で作れる中国」
に簡単に負けることを意味するような時代になったのです。

この時代の到来とともに、日本の産業社会は、フツーのものを大量に作れば、フツーに在庫が積み上がり、フツーに会社が生き残れない時代になったのです。

また、消費者規制が強化されるようになり、気合で売ろうとすると、逆に特定商取引法違反で逮捕される。

そんな時代になったのです。

その意味で、
「気合、根性、精神論で営業を展開する企業は、すでに20ないし30年ほど時代遅れの経営を行っているか、特定商取引法に無視ないし経営した経営を指向しているか、のいずれかまたは双方である」
と言えます。

エ ビジネスは気合からサイエンスに

低成長でデフレーションが顕著な現代においては、営業は、データと科学で緻密に戦略をたて、
「細かいことにこだわる戦術」
によって行うことが求められます。

一例を申しあげますと、
「売り上げ=潜在客数×来店率×成約率×客単価(+潜在客数×リピート率×成約率×リピート単価)」
と因数分解されます。

売り上げを伸ばすには、潜在客数を増やすか、来店率を上げるか、成約率を上げるか、客単価を上げるか、のいずれかの方法によるしかありません。

すなわち、売り上げが低迷している場合、
(ア)単価が減少しているのか、
(イ)成約率が悪いのか、
(ウ)来店率が悪いのか、
(エ)リピート率が下がっているのか、
(オ)潜在客数が減少しているのか、
(カ)そもそも市場自体が構造的に縮小傾向にあるのか、
を分析した上で有効な手を打つべきなのです。

科学的なアプローチを行って合理的な手順段取りで進めていかない限り、いたずらに
「気合」
「根性」
と叫んだところで、営業はまともに機能しません。

オ 人を動かすためには、指示は具体的に行うべし

かつて山本五十六は、
「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」
と言ったそうです。

海軍のような指揮命令系統が整備されていて、最終目標が
「純軍事上、敵に勝つ」
という単純明確な組織ですら、このような状況です。

「人にモノを買わせる」
という複雑で難しいミッションを有する企業においては、なおさら、現場への指示は、合理的で、細かく、具体的で、再現性がないと組織は動きません。

ハウステンボスを建て直したHISの澤田社長は、建て直しを行う際、
「『10%売り上げを上げろ』『利益を5%上げてこい』等という指示を出しても、現場には理解できない。現場への指示は明快で具体的であるべきだ。そこで『移動であれ、会議であれ、作業するのであれ、話をまとめるのであれ、すべて10%スピードアップをしてくれ』という指示を出したら、組織運営が効率的になった」
ということを言っておられました。

このように、ヒトという経営資源を効率的に活用する上では、精神論、根性論ではなく、
「現場に対して確実に伝わる、現実的で合理的な指示」
を行うことが重要なのです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.058、「ポリスマガジン」誌、2012年6月号(2012年5月20日発売)